_ kusa [これはヤマボウシですよね?仙台の家には大きな樹は二本。ピンクのハナミズキと白いヤマボウシです。山形市では街路樹になっ..]
_ ひろぽん [花弁の感じから、写真はハナミズキだと思うんだけれど。ヤマボウシはこんな感じじゃない?→http://had0.big..]
_ kusa [そうですね家のはピンクなので花弁の色にだまされました。GW帰省時には枯れ木のようだったハナミズキが、日々花芽が膨らん..]
_ circus [はい。詩人としての一青窈には3票くらい投票したいです。というと、違うよ、トラバトーレだよと突っ込まれるかもしれません..]
_ うは [我が家のハナミズキは、上半分が桃色、下半分が白色です。 家を買ったときにはすでに植わっていたのですが… 接木されてい..]
文京区立の図書館は昼間もbk1(TRC)に完全業務委託しているようだ。
先ほど、真砂中央図書館に本を返しに行って、ついでに帚木蓬生の小説(この前の飲み会で話題に)を借りようとしたら、「予約の本が届いています」とのこと。先日、Webからオーダーしておいたカンボジア内戦の記録『息子よ、生き延びよ』(連合出版)が目黒図書館経由で届いていた。オーダーから約1週間ほど。うむ、これはなかなか使える。TRCがというのではなく、都内の図書館システムがという意味だが。
元来、手元に本を長期確保しておかないと、しかも煙草を吸いながら傍線を引っ張らないと本を読めないタチだったので、これまで区立図書館の利用は敬遠していたのだが、なんでもかんでも本を購入する財力がなくなり、図書館の有効活用を考え始めた。
そんな矢先にWebから予約申請や貸出状況の確認ができるシステム——文京区立図書館のIT図書館システム や図書館検索サイト・カーリル の便利さを確認し、使い始めているというわけ。最寄りの真砂図書館まで徒歩10分ほどだから、軽い散歩にちょうどいい。富坂を上って図書館まで行き、帰りは炭団坂の階段を降りて、本郷菊坂界隈の風情を味わう楽しみもある。
文京の図書館は意外と蔵書率が高いので驚いている。小説やさほど重要ではない人文書はこれからは図書館で借りよう。返却期限の存在が、読書意欲を高める効果もあるかもしれない。
タモリのTV番組「ブラタモリ」に触発を受けた人が言い出しっぺで、1月から始まった都内の坂や建築や街並みを楽しむ散歩会「ブラ浪漫」。これまで文京区の本郷台地、小石川台地を歩いた。小石川編では不肖私が案内役というか先導役を務めたりした。
間にいくつか「ちい散歩」的なミニ散歩のイベントがはさまっていて、先週土曜日は駒込・霜降商店街から北区西ヶ原の旧古河庭園へ、さらに本郷通りを飛鳥山まで歩き、そこで夕刻の花見をするというプランに乗った。飛鳥山はたしか来たことがあるのだが、他は初めて。天気にも恵まれ、目と足にいい運動になった。
二次会は王子駅裏、昭和な雰囲気を残す飲み屋街。たまたま入ったのが家族経営の温かい雰囲気の居酒屋で、一気にファンになってしまった。南北線を使えば、ウチから王子まで11分足らず。飲みの候補地がまた一つ増えた。
_ kunio [さくら新町の飲み屋街の写真に衝撃を受けました。都内にこんな場所が残っているんですねえ。]
深夜、伝通院前〜春日二丁目あたりを徘徊。
永井荷風関連書籍によく出てくる「金剛寺坂」を認識。春日通りを富坂下から茗荷谷方面向けて上り、第二コーハンビル角を左折すると、急な傾斜になる。トントンと下り来たると、メトロ丸の内線を見下ろす橋があり、それを渡ると水道通り(巻石通り)に至る。安藤坂より、東に数えて一つ目の急坂。
(坂の名の由来である金剛寺という禅寺は今はない。ただ、私は金剛寺という苗字の美人編集者を知っている)
小石川(小日向)台地と神田川沿いの低地を結び、水道通りに接する坂はいくつかあり、金剛寺坂の東に新坂、荒木坂、服部坂、大日坂と並ぶ。私は15年ほど前、小日向に住んでいるときには、荒木坂を上り下りして仕事に出かけたものだが、当時はあんまり地元の地形や歴史には関心がなかった。いまそれらが愛おしく思えるようになったのは、なんらかの心境の変化であろう。
_ jajamaru [心からお悔やみ申し上げます。そしてお疲れ様でした。自分の老親を思い、切実な気持で日記を拝読してました。(でもまだあま..]
亡父の葬儀も無事に終わり、本日東京に戻ってきました。
母の心労が心配でしたが、ひとつ屋根の下で元気に生活していて、突然に逝ってしまったというわけではなく、この1年半ほど父は特養施設に入居していて、いわば「別居」状態だったわけで、さらにボケも進行していて、具合の悪いときには妻や子を認識できないこともあったりして、まあ、そういう距離感が生まれていたのがかえってよかったのか、落ち着いて事に対処することができたようです。
結局、亡くなる瞬間を見守っていたのは母と病院関係者だけでした。モニターの心拍波形が途絶えるのを見ながら、ああ、自分もいずれはこういうふうに死んでいくのかと、母は客観的に思ったそうです。気丈というのか、なんというのか(笑)。
お悔やみのお言葉をいただたみなさまへ、あらためて感謝申し上げます。
父親が亡くなった。
この2年ほど特別養護老人ホームに入居していたが、先々週老人性肺炎で入院。しばらく小康状態を保っていたものの、本日未明に病状が急変した。
大正10年(1921)、佐賀出身で農業労働者として米国に在住していた両親のもと、シアトル近郊タコマに生まれる。幼少時に帰国。旧制久留米工業専門学校(現・九大工学部)卒。兵役では「北支」戦線に従軍。戦後は化学メーカー工場勤務のサラリーマン。ボイラーなどプラント関連の機械技師だった。享年88歳。
子どもにとっては、あえていうが、「凡庸な」父親だった。厳しくしつけられたり、𠮟咤されたりしたことが一度も記憶にない。かといって、尊敬の念をつねに抱いていた存在でもない。
私は文系の人間だが、その資質や素養の多くは母親譲りで、父親からはその方面での影響は全くといっていいほどない。ただそれでも、いま仕事上で接する技術者という職業への親しみは、父の油にまみれた作業着の記憶から来ているのかもしれない。
凡庸ではあったが、サラリーマンとしてのグチ一つ言うことなく、黙々と一家を支えてくれた、私にとってはかけがえのない父親ではあった。
寿命ではある。いずれこの日の来ることは覚悟していた。とはいうものの、肉親の死を経験するのは実は初めてで、正直うろたえている。
本日早朝からの山梨出張は代役がいないのでやるしかないが、火曜日以降の仕事はすべてキャンセルせざるをえない。少なくとも今週いっぱいは実家にいることになると思う。
というわけで、このブログをご覧になっているお仕事関係の方へ。しばらく忌引きを取らせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
どこか北の国からそこに辿り着いて、街に一歩出れば、「陥落街」とも呼べそうな、まったくもって大衆的で怪しげで楽しげな一帯が広がっているわけで、つい彷徨いこんで記憶を失ってしまうのがいつもの悪い癖だ。心が湿っているときは適度な乾燥を、ざわついているときは少しばかりの湿り気を与えてくれる、そんな駅の情景である。我が心の日本百景。その一つに数えたい。
_ kazutana [「大衆的で怪しげで楽しげな一帯」がいいですねぇ。時々降りちゃいます。]
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
Before...
_ ひろぽん [私もいま調べていて、行き当たりました。園芸用としては知られた花なんですね。http://www.hana300.co..]
_ kusa [上は君子蘭、下は浮釣木 と奥さんが言っています。]
_ ひろぽん [正解です。園芸する人にとっては常識問題だったかも。しかしまあ、この歳で、知っている花の名が一つ増えるのは素直に嬉しい..]
_ NOZOMI [今日の日経新聞に、NTTの新サービスとして 「携帯で植物の写真を撮ると解析して その名前を提供する」 というものが載..]
_ ひろぽん [「みんなの花図鑑」の記事、私も読みました。いま人物を特定できるデジカメや写真整理ソフト(iPhotoなど)の顔認識技..]