このままだと7月中は何も書かなかったことになるので、なんか書いておこう。っていってもぼんやりとした日々の思いは、Twitterしちゃってるからなあ。ブログに書くほどのことは、な〜んにも考えてないってことかよ。それはいけない。頭が腐るぞ。
そそ、小石川植物園のショクダイオオコンニャク、行列がすごいというニュースにメゲて、見にいかないまま公開期間が終わっちゃった。しかし、あそこでそんな珍しい花を栽培していたってことを、ワイドショーで採り上げられる前から知っていた人って、どれぐらいいるんだろうか。授業で見学必須の近所の小中学生あたりは、意外と知ってたりして。
あそこは養生所の井戸跡、ニュートンのリンゴ、メンデルの葡萄が三大名物だったんだけれど、それに「あの大きなクサイ花があるところ」というポイントが加わったわけだ。
ところでコンニャクとはほとんど関係ないけど、いま読んでいる『土の文明史』(D.モントゴメリー)という本に、ダーウィンが晩年おこなったミミズの研究のことが触れられている。ダーウィンはミミズが土壌を再生するという事実にいちはやく気づき、「国中のすべての腐植土は何度もミミズの腸管を通ってきており、またこれからも通るだろう」と述べたとか。庭でミミズを見つけては殺してた殺生な我が少年時代を反省します。
もはや、日々の備忘録やら感想を書くだけなら Twilog で十分かもね。だからblogにはTwitterとは違うことを書いたほうがいいのだ。
・innenさんの動物や昆虫写真に惚れ惚れした件。これはプロ級。 http://bit.ly/bMQB4U
posted at 07:51:57
・「とても幸せだわ」「うれしいわ」──外人女性タレント来日のインタビューの記事。こういうときの、女性性を強調するため「のわよ」表記。いかにも紋きり。日本人でも実際は、こういう喋り方はしないぞ。http://bit.ly/djDXME
posted at 07:32:27
@andyhiroshi ・今度、連れってって下さいよお。
posted at 00:23:37
@bura_roman ・5/22のブラ浪漫の写真を写真共有サービス Ficia にアップしました。個人の肖像権確保の観点から閲覧は認可制です。参加者で写真を閲覧したい方は、当方にメールアドレス(Twitterのではない)を添えてダイレクトメッセージをお送り下さい。よろしくどうぞ。
posted at 00:16:24
午前中、惰眠を貪っておったが、五月晴れにせかされるように午後3時過ぎから散歩に出る。本郷あたりでふらりと錦糸町行きの都バスに乗り、しばしうつらうつらしていると、ふと窓外に偉容・異様な風景。墨田区太平2丁目あたり。バス停の北方800mほどのところに東京スカイツリーが建築中なのだった。
バスを降りてそちらへ歩いてみる。人には見慣れぬ巨大建造物が目に入ると、とりあえずはそこに向かって歩くという習性があるのかもしれない。他にも引き寄せられたように、途中でカメラをパシャパシャやりながら、向かう一群の人々がいた。
スカイツリー、まあ、デカイです。「タワーをつくるだけでなく、タワーのある街のにぎわいをつくる」というのが、スカイツリーを核とした多機能複合型開発プロジェクト「Rising East Project」 の狙いだ。その趣旨がホンモノだとすればよろしいのではあるが、しかしこの太平、横川あたりの街並みへの影響というといかほどのものだろうか。
街路は整然とした碁盤の目で区切られ、おそらくは戦後か、高度成長期に大規模な再開発が行われたことを物語る。なんとなく平べったくて、下町の風情はもはやない。古い木造民家は少なく、中途半端にせこせこしたビルばかり。日曜の午後ということもあるのか、あるいは住民はみな三社祭に出かけてしまったのか、妙に閑散とし、目立つのは空中を覆う電線のみ。タワーを起爆剤にしてこの街をどうにかしたいのだろうが、はたしてその余力が地元にあるのかどうか。
業平橋からは上野公園までのバスを拾い、途中、三社祭で賑わう言問通りを抜け、上野桜木町で降り、谷根千あたりを経て戻ってきた。晩飯は「燐」にて。燐の板橋チャンに「Twitter始めました」の掲示はいいけれど、肝腎のアカウントを明示しないと意味ないんじゃないってな話をする。
今晩は南風。部屋の中が妙に暑い。
_ ひろぽん [私もいま調べていて、行き当たりました。園芸用としては知られた花なんですね。http://www.hana300.co..]
_ kusa [上は君子蘭、下は浮釣木 と奥さんが言っています。]
_ ひろぽん [正解です。園芸する人にとっては常識問題だったかも。しかしまあ、この歳で、知っている花の名が一つ増えるのは素直に嬉しい..]
_ NOZOMI [今日の日経新聞に、NTTの新サービスとして 「携帯で植物の写真を撮ると解析して その名前を提供する」 というも..]
_ ひろぽん [「みんなの花図鑑」の記事、私も読みました。いま人物を特定できるデジカメや写真整理ソフト(iPhotoなど)の顔認識技..]
_ kusa [これはヤマボウシですよね?仙台の家には大きな樹は二本。ピンクのハナミズキと白いヤマボウシです。山形市では街路樹になっ..]
_ ひろぽん [花弁の感じから、写真はハナミズキだと思うんだけれど。ヤマボウシはこんな感じじゃない?→http://had0.big..]
_ kusa [そうですね家のはピンクなので花弁の色にだまされました。GW帰省時には枯れ木のようだったハナミズキが、日々花芽が膨らん..]
_ circus [はい。詩人としての一青窈には3票くらい投票したいです。というと、違うよ、トラバトーレだよと突っ込まれるかもしれません..]
_ うは [我が家のハナミズキは、上半分が桃色、下半分が白色です。 家を買ったときにはすでに植わっていたのですが… 接木され..]
タモリのTV番組「ブラタモリ」に触発を受けた人が言い出しっぺで、1月から始まった都内の坂や建築や街並みを楽しむ散歩会「ブラ浪漫」。これまで文京区の本郷台地、小石川台地を歩いた。小石川編では不肖私が案内役というか先導役を務めたりした。
間にいくつか「ちい散歩」的なミニ散歩のイベントがはさまっていて、先週土曜日は駒込・霜降商店街から北区西ヶ原の旧古河庭園へ、さらに本郷通りを飛鳥山まで歩き、そこで夕刻の花見をするというプランに乗った。飛鳥山はたしか来たことがあるのだが、他は初めて。天気にも恵まれ、目と足にいい運動になった。
二次会は王子駅裏、昭和な雰囲気を残す飲み屋街。たまたま入ったのが家族経営の温かい雰囲気の居酒屋で、一気にファンになってしまった。南北線を使えば、ウチから王子まで11分足らず。飲みの候補地がまた一つ増えた。
_ kunio [さくら新町の飲み屋街の写真に衝撃を受けました。都内にこんな場所が残っているんですねえ。]
深夜、伝通院前〜春日二丁目あたりを徘徊。
永井荷風関連書籍によく出てくる「金剛寺坂」を認識。春日通りを富坂下から茗荷谷方面向けて上り、第二コーハンビル角を左折すると、急な傾斜になる。トントンと下り来たると、メトロ丸の内線を見下ろす橋があり、それを渡ると水道通り(巻石通り)に至る。安藤坂より、東に数えて一つ目の急坂。
(坂の名の由来である金剛寺という禅寺は今はない。ただ、私は金剛寺という苗字の美人編集者を知っている)
小石川(小日向)台地と神田川沿いの低地を結び、水道通りに接する坂はいくつかあり、金剛寺坂の東に新坂、荒木坂、服部坂、大日坂と並ぶ。私は15年ほど前、小日向に住んでいるときには、荒木坂を上り下りして仕事に出かけたものだが、当時はあんまり地元の地形や歴史には関心がなかった。いまそれらが愛おしく思えるようになったのは、なんらかの心境の変化であろう。
_ jajamaru [心からお悔やみ申し上げます。そしてお疲れ様でした。自分の老親を思い、切実な気持で日記を拝読してました。(でもまだあま..]
亡父の葬儀も無事に終わり、本日東京に戻ってきました。
母の心労が心配でしたが、ひとつ屋根の下で元気に生活していて、突然に逝ってしまったというわけではなく、この1年半ほど父は特養施設に入居していて、いわば「別居」状態だったわけで、さらにボケも進行していて、具合の悪いときには妻や子を認識できないこともあったりして、まあ、そういう距離感が生まれていたのがかえってよかったのか、落ち着いて事に対処することができたようです。
結局、亡くなる瞬間を見守っていたのは母と病院関係者だけでした。モニターの心拍波形が途絶えるのを見ながら、ああ、自分もいずれはこういうふうに死んでいくのかと、母は客観的に思ったそうです。気丈というのか、なんというのか(笑)。
お悔やみのお言葉をいただたみなさまへ、あらためて感謝申し上げます。
父親が亡くなった。
この2年ほど特別養護老人ホームに入居していたが、先々週老人性肺炎で入院。しばらく小康状態を保っていたものの、本日未明に病状が急変した。
大正10年(1921)、佐賀出身で農業労働者として米国に在住していた両親のもと、シアトル近郊タコマに生まれる。幼少時に帰国。旧制久留米工業専門学校(現・九大工学部)卒。兵役では「北支」戦線に従軍。戦後は化学メーカー工場勤務のサラリーマン。ボイラーなどプラント関連の機械技師だった。享年88歳。
子どもにとっては、あえていうが、「凡庸な」父親だった。厳しくしつけられたり、𠮟咤されたりしたことが一度も記憶にない。かといって、尊敬の念をつねに抱いていた存在でもない。
私は文系の人間だが、その資質や素養の多くは母親譲りで、父親からはその方面での影響は全くといっていいほどない。ただそれでも、いま仕事上で接する技術者という職業への親しみは、父の油にまみれた作業着の記憶から来ているのかもしれない。
凡庸ではあったが、サラリーマンとしてのグチ一つ言うことなく、黙々と一家を支えてくれた、私にとってはかけがえのない父親ではあった。
寿命ではある。いずれこの日の来ることは覚悟していた。とはいうものの、肉親の死を経験するのは実は初めてで、正直うろたえている。
本日早朝からの山梨出張は代役がいないのでやるしかないが、火曜日以降の仕事はすべてキャンセルせざるをえない。少なくとも今週いっぱいは実家にいることになると思う。
というわけで、このブログをご覧になっているお仕事関係の方へ。しばらく忌引きを取らせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
少し前のことだが、10日の旭川出張の後、1泊して「旭山動物園」に行ったのだ。行動展示が世評高い動物園は雪の中だったが、お客さんがたくさん。韓国語、中国語も頻繁に聞かれ、アジアからの北海道ツアーの重要なスポットになっていることがわかる。
ペンギンのお散歩がこのシーズンの目玉。円筒型の水槽をくぐり抜けるアザラシのおなかは、たしかにびっくりする。キリンなど熱帯の生き物も、零下の雪上でモクモクと元気そうだった。
展示方法を工夫した動物舎のデザインや、手作りのガイドプレートなど、いろいろと感心することが多い動物園だが、なによりいいなあと思ったのは、飼育担当者のワンポイントガイド。飼育している人こそが、一番動物のことがわかると、旭山がこれほど有名になる前から続けられていた教育学習活動だ。
ちょうど総合動物舎でカバのワンポイントガイドがあったので、聞き入った。45歳の古参のカバ「ゴンちゃん」。老齢と寒さのせいか、動きが鈍い。飼育係の大越さんが雪の上に好物の果物をおいても、ちらっと顔を向けるだけ。早く、室内に入りたそうだ。結局、ガイドの間、ずっとお客さんのほうに大きなお尻を向けたままだった。
しかし、この間も客の関心を一瞬もそらさない大越飼育員の解説は聞きごたえがある。カバが表皮から分泌する「赤い汗」の意味を初めて知った。種の一般的説明にとどまらず、個体のおいたちにも触れ、飼育係と動物の交流の様子までよく伝わる。30分の間、立ち去る客が一人もいなかったことにも驚いた。たんに動物園や動物が好きというだけでなく、飼育員にもきっとファンがついているのだろう。
年間パスポートを買ってまで通いたくなる人がいるのが、よくわかる。
ぷらぷらと千川通り、植物園あたりをお散歩していたら、迷い込んだ白山の住宅地で、「金井直詩料館」という小さな表札を掲げた民家をみつけた。
金井直(かない・ちょく)は1957年にH氏賞をとり、50〜70年代に活動した詩人のようだが、私の記憶にはほとんどなかった。おそらくこの街に何らかの縁があって、ここはその業績を残している施設なのだろう。あいにくその日は詩料館は休みで中に入ることはできなかったが、窓越しに詩篇の一部が読める。
「夏の焦げる匂い」のなかで、詩人は言いようのない「かなしみ」を抱えている。何が悲しいというのだろうか。
おいらは、よく晴れた冬の日の、午後の光線が去りゆくなかを歩いていく。
私の周辺でクチコミで評判が広がっていたので、年末にSとの映画会のお題にした。オフィシャルサイトはこちら 。
韓国・慶尚北道ののどかな農村。老いた農夫は、いまでも牛を使って田んぼを耕している。もう40歳になる老いぼれ牛だ。いまどき、韓国でも耕作牛は珍しいかもしれない。実際、隣家の水田ではトラクターやコンバインが威勢よくエンジン音を鳴らしている。当地でも失われゆく農作業のスタイルなのだ。
老夫婦の表情と会話がいい。老婆は「こんなところに嫁に来るんじゃなかった。厳しい農作業で、もう体はボロボロだよ」とグチを言う。それはまるで老牛の呟きを代弁するかのようでもある。しかし、その奥底には連れ合いへの深い愛情も隠されている。
長年使役した牛がいよいよ余命1年となる。老婆は市場で売ってしまえといい、老爺も一度は売りに往くのだけれど、買い手がつかずというか、処分する決断がつかず、またトボトボとその牛車に乗って村まで帰ってくる。韓国版「ドナドナ」。
その牛がなければ、畑を耕すことができず、一家が暮らしていくこともできなかった。それだけに愛着と信頼がある。そのことは今は都会に出て、年に一度帰省するだけの子供たちにもわかっている。しかし、農夫の牛への思いは格別だ。そうしたたぐいの家畜への感情は、彼らの世代が亡くなれば、おそらく同じ形で蘇ることはないだろう。だからこそ、ドキュメンタリーとして残す価値があった。
農夫は老いぼれ牛の代わりに、子どもをはらんだ若い雌牛を一頭飼い始める。食欲旺盛な若い牛に牛舎を占領されて、恨めしそうにそれを見やる老牛の表情がいい。むろん人間の側の感情移入があるからそう見えるのだが、その瞳はまさに“老愁”を帯びている。こぼれ落ちる涙まで、カメラはしっかりと捉えている。
やがて老牛は農夫に看取られながら寿命を全うする。春めいた季節に老夫婦が丘に登り、牛の墓参をする冒頭のシーンがあらためて思い出される。奇跡のように美しい、人と家畜の関係だ。
銀座のシネパトスで見終わった後、思わず拍手してしまった。人であれ牛であれ、ともにやってくる老い。老いるという過程のなかに、どんな幸せの形を見いだすべきなのか。それを私は映像のなかに求めていたのかもしれない。
2009年に見たドキュメンタリー(そんなには観ていないけど)の中では、ベストワン。50歳以上の夫婦割引でぜひどうぞ。
_ Y氏 [そば屋出前?(笑)]
未明の眠りも、短い昼寝もいずれも浅かった。浅い眠りでは夢をよくみる。夢をみるから浅いのかもしれないが。
未明には、小学校時代の同級生の女の子「ヒロコちゃん」を追いかけていた。彼女はよく私の夢に登場する。同じ社宅住まいで、幼稚園も一緒で、小一のときは二人とも「鍵当番」というのに任命されて、朝いちばんで手をつないで登校した。ま、幼友達だったのだけれど、中学に入るときに東京に転校して行ってしまった。いまごろどうしているんだろう。
昼の夢の画題は、ゴルフ場での醜態。コースに出るつもりがないのにゴルフ場までついてきて、でもコンペかなんかに参加せざるを得なくて、ウェアとかクラブとかボールを慌てて探すはめになる話。そこには、私のゴルフに対するコンプレックスが凝縮されている。うん、意外とわかりやすいな。
天気がよかったので、散歩がてら上野の国立西洋美術館へ「古代ローマ帝国の遺産」展を観に行く。
帝国創建期の偉人たちの肖像彫刻やポンペイ、エルコラーノなどの出土品を中心に、帝国の芸術・文化を探ろうとするもの。ナポリ国立考古学博物館の所蔵品が多いが、実は4月にナポリに行ったときはちょうど博物館が休館日で、見逃してしまっていたのだ。結局、ポンペイ遺跡にも立ち寄らなかったので、その一部とはいえ、東京で観ることができるのは嬉しい。
ローマの美術品やポンペイ壁画もよかったのだが、それ以上に感銘を受けたのは特別出品された「アレッツォのミネルウァ」。紀元前3世紀のギリシアの青銅像で、展示会の趣旨からは外れるのだが、「日本におけるイタリア2009・秋」事業の関連で特別展示となったらしい。
身にまとうケープや胸当て、ゆったりとしたウエストまわり、そして兜の細部を浮き上がらせる彫刻の襞は、息を飲むほど優美だ。青銅は二千年のときを経て、質感豊かに、にぶく、ふかく輝く。憂いをひめた瞳と意志的な小さな唇、知と闘いの女神らしい気高く引き締まった表情は、西欧小顔美人の一つの典型ではあるまいか。
わたしゃ惚れましたね。「ミロのビーナス」なんぞより、こっちのほうが好きだな。
美術館の後は、木々の色に秋の深まりを感じつつ、上野桜木町から谷中あたりを散歩しながら帰宅。あんまり空が青いので、PEN E-P1 でパシャパシャしちゃいました。
土曜日、表参道を散歩していたら、紀伊國屋のところがこんな風なビルに。ずっと工事しているなとは思っていたけれど、オープンしたのいつだっけ。色調を細かく変えた壁面ガラスと、タワー棟の全面に輝くイルミネーションが軽快で美しい。ファッション関係のショップが多いが、時節柄テナントが埋まらないようで、募集中の掲示がしてあった。
表参道に出かけたのは、イメージフォーラムでSと『アンナと過ごした4日間』 を観るため。
感動的という感じの映画じゃないけど、見応えは十分。東欧の重たい雲の色が、映画全体の色調になっている。とはいえ、映画のテーマは「愛」。限りなく偏執狂的な「犯罪」であるけれども、ときにはそれを「愛」と呼ぶしかない衝動だ。
回想のなかでたまたま主人公が、レイプされる女性を目撃するシーンがある。主人公の「愛」の形とは似ていて非なる、正反対の暴力。そのあたりの描写は、サム・ペキンパーも戦慄するほどのバイオレンスの美学だ。
主演男優の身振りが、Mr. ビーンを思わせるところがあって、少し笑える。ストーカーされる女優が全然美人じゃなくて、ふつうのおばちゃんみたいなのも、また一興。
映画館を出ると雨がぱらついている。銀座のもつ焼きの名店「ささもと」へ。ここのもつは絶品だ。店の雰囲気も場末と違って、女性でも臆せず入れる上品さ。やはり銀座だ。焼酎を8:2ぐらいの割合で赤ワインで割った「葡萄割」もなかなかいける。
ここで結構飲んだんだが、腹にたまるという感じではなかったので、小石川の焼肉屋へ。へべれけになって深夜に帰還。
ところで昨日来、Booxter 作者の Matt からテスト依頼があり。小さなテストプログラムを3度にわたって走らせる。最後はなかなかいい感じだった。これで直るかなあ。
_ ET [この春のオープンですね。見た目はユニークだけどまさに空っぽの世界です。表参道は金曜日に行きました。こっちのほうが面白..]
散歩、飲み、映画、読書に明け暮れた。
小熊英二『1968』上巻を終え、下巻を200ページほど進む。面白い。
膨大な資料を見事なまでに整理した(けっして内容がないというわけではない)本で、あの時代を生き生きと再現する。1968年を知らない、生まれてもいなかったような人が、もし何らかの関心であの時代の若者の運動の実態を知ろうとするなら、入門書としても使えるだろう。入門書にしてはあまりにも高価で、分厚いけれども。
引用された資料のなかにはいくつか知人のものも含まれる。なかでも、AM氏の引用が下巻になると増えてくる。
私は70年の高校入学で、そこでのドンパチ以降、まあそういう圏域で呼吸していた時代が10年近くあったから、かつての自分(の一部)と向き合わされる思いがする。それは必ずしも甘美な感覚とはいえない。その頃と比べて知的好奇心では衰えたとは思わないが、知的誠実さ、関心と行動の一致という意味ではどうだろう。
若気の至りに赤面する前に、老醜をさらけだしつつある自分に恥じ入りたくなる。
全部読み終えてから、あらためて感想を述べたい。
映画は渋谷のユーロスペースで『台湾人生』をSと。DVDは原田眞人監督の『クライマーズ・ハイ』がよかった。それにつられて、後れ馳せながら横山秀夫の原作小説も読む。映画は原作との異同が少々あるものの、基本は原作に忠実で、小説の臨場感を巧みに写し取っている。
小説については、かつて友人の一人が「ドキュメンタリータッチの新聞記者小説と見るか、家族愛をからめたビジネス小説と見るか」と言っていたが、その両方を満たす傑作。ただ、今のところこれが作者の最高作というのが世評だろうか。
ふと、あの日航機に乗務して亡くなったスチュワーデス(当時はフライト・アテンダントなどという言い方はしなかった)の一人と、生前、一緒に飲んだことがあることを思い出した。
ジミン自壊、ミンス圧勝。いかにもブーム的ではある。
私はどちらにも入れていない。ただ、政治は空気のようなものでもあるから、空気の流れが淀みから少しずつ流れ出していく感覚はある。当座の流れの方向は歓迎したいが、中長期的には不安もある。これからタロー・アソーの顔を頻繁に見なくても済むようになるという意味では、気分は軽い。
それはともあれ、日曜の朝7時すぎ、投票に出かけようと思ったら、入場券が見あたらなかった。というか、ここんとこ忙しくて、郵便として受け取った記憶が抜けている。たぶん他の郵便物に紛れ込んでいるのだろうが……。
入場券がなくても投票できるということなので、健康保険証をもって投票所へ。手続きは簡単に終わった。
もし後から入場券が出てきても、住所・氏名でチェックされているから、再投票はできないはず。しかし、本人が投票しないうちなら、身分証明書を所持(または偽造?)した人物が、名前と住所を騙って一回だけは投票できることになる。
この手を使って本人が知らない間に投票されていた、なんていう犯罪、あるんだろうな。今回も小学生を間違って通した、という話は聞いたけれど……。
投票所の出口には、共同通信の腕章を巻いた人がいた。出口調査って、無作為ではあるものの、その会社独自のルール(10人ごととか)があって、誰でもいいというわけではないみたい。自分から「オレ、ここに入れたよ」などと申告しても、たぶん相手にされないのだ。
_ Circus [「30日の夜、あるイタリアのテレビ・プロデューサーが「民主主義の歴史的勝利をあちこちで祝っている日本人の画像をとって..]
あっ、こちらひろぽんの cron です。1週間以上ブログ更新がないと、のりピー状態になって、みなさまにご心配をおかけしますので、自動更新するよう設定されております。って、自動更新じゃ、安否確認にならんだろうがって。
しかし、あれだね、昨日まで、ロクでもないヤク中男の可哀想な元アイドル妻だったのが、一夜明けたら、夫婦でつるんでラリってた意外と極悪かもしれない容疑者扱いだものね。逮捕状出れば出頭すると、家族が懇請したのかなあ。それでも、出てこないとなると……指名手配?
いずれにせよ私は、覚醒剤の出所の証拠隠滅にからんだ、北朝鮮諜報機関による新たな「拉致」説を採っております。クリントンが行かないと、もう出てこれないよお。
一昨日、昨日と鳥取市出張。
たしかこの街は初めてではないはずだが、前はいつごろ、何をしに来たのかは忘れてしまった。たぶん25年ぶりぐらい。
夜は、この時期うまい岩牡蠣、白エビに地元の銘酒で接待される。意外だったが、讃岐風にコシの強く、甘めのタレがよく合ううどんが美味。
鳥取砂丘でラクダも見たし、賀露海岸では魚市場で岩牡蠣を頰ばり、白兎海岸では因幡の白ウサギ由来の神社も訪ねる。観光モード全開。
もちろん、仕事もちゃんとしてきたけどね。
昨日(14日)は早起き。朝9時前に1本仕事終える。今日はそのままガンガン行く予定だったが、途中でダウン。
Art Textをレジスト。簡単にロゴタイプやマークを作れるグラフィックユーテリティ。日本語版は Nisus のマーキュリーが扱っているんだ。ソフトの品質に文句はないが、ちょっとお高いかも。かつてはたくさんあった、「なんでこれがフリーなの」と驚くようなフリーウェアが最近少なくなった。
夜、神保町の「ハイナンチーファン」で業界関係オジ・オバさん5人で飲む。
話題は、関係者に乳がん多発。某かつらメーカーの昨今。広告・出版業界大不況の実態。五十路男ヤメモヤモメの生活と意見……などなど。後楽園のショットバーでS氏と軽くシメ。中年男同士の堅い約束を交わす。実現性は微妙なれど。その内容はここには書けないけれど。
さあ、今夜は風呂入って、また5時起きしようっと。
_ Y氏 [それって単に歳取っただけでは?(笑) ってこんな時間に書いている僕が言う事じゃないけど(笑)]
朝の5時頃は涼しかったが、昼前からスカンと晴れ渡り、目の眩むような強い陽射しで温度も急上昇。きょうの東京は32℃ぐらい? 風があるのに、やたら蒸し暑い。
午前中は打合わせ。今月から、某A社経由で某業界大手B社の広報媒体の記事の一部を担当することになって、その打合わせ。前任のライターの名前が珍しい苗字で見覚えがあった。A社の担当に確認すると、年齢とか出身大学とかが合致する。どうやら私は、大学時代の知人の仕事を引き継ぐ、というか「奪う」ことになってしまったらしい。
その人は、当時、新左翼某党派の学生組織のバリバリの幹部で、1年坊主の私を熱心にオルグしにきた人。それっきりコンタクトないままだったが、その後、その党派は壊滅し、同盟員たちは再建派のグループも含めて四散したことは知っている。
例によって、元新左翼、流れ崩れてフリーライターかと思ったが、話によれば、その人「ライターは仮の姿で、いまなお市民運動に勤しんでいる」と語っているらしい。三つ子の魂五十代まで、頭禿げても浮気はやまぬ、ってことかなあ。いや、いい意味で言っているんですけどね。
7月10日(金)は午後イチから大阪で取材があって、同行の編集者に「ドームでコンサート見に行く予定だから、早めに切り上げよう」と言いつつ、取材対象の女性の話が面白くて、ついつい長居。
新大阪発16時37分ののぞみに乗って、東京駅に着いたときには19時13分。ああ、始まっちゃってるぞ。ドームのゲートをくぐり、地下通路を走っているときには、もう「スカボロフェア」が聞こえていた。まずぅ。
スタジアムのフィールド上に設置されたアリーナ席(パイプ椅子だけど)に案内されるとき、ちらっと会場を見渡すと、もう内野も外野も満杯で、照明の下で、たくさんの豆つぶ状の顔々が波打っている。それはそれで美しい光景だった。こんなに人が集まっているのを見るのは久しぶりだなあ。
もちろん、アリーナ席とはいえステージは遠く、二人のアップは会場の大型スクリーンで拝むしかない。かなり後退しているとはいえ、アート・ガーファンクルの金髪のカーリーヘアが若かりし頃のイメージを彷彿とさせるのに対して、ポール・サイモンはちょっと身振り手振りがオカマ風の変なオジサンになってた(笑)。
私の隣の、私と同年代のオバサンは、オペラグラスをしきりに覗きながら、最後までグスグス涙ぐんでいた。観客は40〜60代がほとんどとはいえ、なかには20代のカップルやグループもいたりして、ファン層の幅広さを感じる。
二人がソロになってからの歌はほとんど知らないが、結構いい。アフリカ出身のミュージシャンを登用したバンド構成は、新しささえ感じる。このあたりはポールの音楽性が強く出ているのだろう。それにしても、すべての楽曲が「高度に完成されている」という印象。20代のデビューの頃からすでに完成されていた彼らの音楽が、半世紀近くを経て円熟味を増しつつある。このこと自体が驚きだ。
もちろん、アートのハイトーンも、二人のハーモニーも往時と比べたら、衰えは隠せない。いや、70歳を目前にしてこれだけの声が出れば、もう立派なものではあるのだが……。
それと、何でも手拍子という観客のレスポンスはいかがなものか。Sound of Silence に手拍子は似合わない。そうでなくても、ドームの構造上、手拍子が反響し、左翼と右翼ではテンポがズレちまって、違和感極まりない。それでも、『明日に架ける橋』でのアートの絶唱には会場総立ち。私も身体中がゾクッとする感覚を覚えた。
いやあ、人間、元気に老いていきたいものです。
#それにしても、ドームに徒歩10分のところに何年も住んでいながら、プロ野球観戦は1回、コンサートは初めてという生活も、いかがなものかと思ったりするのである。
昨日の深夜、久しぶりに小石川のバーに顔を出したら、客は誰もいず、手持ちぶさたのママが iPhone で YouTube を見ながら、ひとりほくそ笑んでいた。これまでインターネットなんて...とバカにしていたというか、尻込みしていた人なんだけれど、 iPhone を買ったらYouTubeが手元で見られるから、がぜん楽しくなった、と。
でも、それだけお店がヒマってことかなあ。
谷山浩子とか、あとなんだっけ、昔のアニメとか、無理矢理見せられた。YouTube のコレクション一つで、その人の生まれた時代や環境がわかる。
それにしても、DVDもビデオもなかった時代のテレビの映像が、なぜ YouTubeに投稿されているのかという話。その後にビデオ・パッケージで発売されたもののパクリというのもあるが、放送局からの内部流出ではないか、という説も有力。
先々週までフィリピンのボラカイ島でダイビングしていた人と、昨日一緒に仕事。霞が関ビルの喫煙室で二人でぼーっと外を眺めながら、「東京の景色がなんか霞んでみえるんだよなあ」と呟いたら、いたく同感された。
南欧のリゾート地のもつニコチン効果みたいなのが、まだ身体から抜けていない。いや、抜けかかっているからこそ、乾きつつある身体が再びそれを求めている。
新型の豚インフルエンザの感染者が世界各地で確認されている影響で、日本人研究者が海外の学会を欠席したり、日本国内で予定されていた国際的な学会が急きょ中止されたりするケースが出ている。仲間に冷静に対応するよう求めている研究者もいる。
[From asahi.com:学会にも影 渡航自粛で軒並み欠席「なぜ日本だけ…」]
ローマからの帰国便が成田に着いたとたん、他の日本人乗客が一斉にマスクをつけだしたのに、驚いた。団体旅行の観光客で、添乗員から支給されたマスクなのかもしれない。たしかに後日になって、同時間に成田に着いたNW便から国内初の感染者が出たという報告があったが、その時点ではイタリアも日本も感染地ではなかったわけで、「なんなの、この異様な光景は……」と思ったものだ。 翌日、小石川の行きつけのお寿司屋さんで飲みながら海外の話をしていると、私が帰った後に、カウンターにいたイチゲン客が「寿司屋でインフルエンザの話をするなど、常識外れだ」と急に怒りだしたらしい。 別に法を侵してまで公衆の面前に現れたわけでもないし、常識外れを言われる筋合いもない。過剰な反応だと思う。 これだけグローバルに人の行き来が盛んになった時代に、空港の検疫程度で感染症の侵入が防げるとはとうてい思えない。だから検疫体制は必要ないとは言わないが、まるで外敵から身を守るため鎖国をするかのようなメンタリティは、いかがなものか。これもまた日本人のDNAというやつなのだろうか。
オンライン上の消息が不明になっていた、鹿児島在住のMac関係の友人M氏。いろいろツテをたどって消息を尋ねていたのだが……1月に亡くなっていたことが昨日わかった。
40代独身男性。家族と暮らしてはいたが、ある意味では孤独死だ。
2002年、同じカテゴリーの別の知人E氏が、やはり一人暮らしのアパートで亡くなっている。そのときM氏はE氏の訃報を聞きつけ、まっさきに旅行中の私に教えてくれた人だ。私と一緒に福岡での葬儀にも駆けつけた。
まるで7年越しに、何かのチェーンが張られていたかのように。これを因果というのだろうか。
いや、因果などない。一人ひとりの死は何かに括られるものなのではなく、それぞれが独立しているのであって、生き方が個性的であるのと同様、死に方もその人なりの個性なのだと思いたい。そう思わなければ、やっていけない。
今週は仕事がちょっと多忙。しばらくヒマしていたので、仕事のやり方を忘れかけていた(笑)。
ナポリ・シチリア旅行準備、ホテルの手配はネットで全部済ませたが、細かい情報収集はまだ残る。歳のせいだろうか、心配性な部分が増えているようで、あれもこれもと準備しておきたくなる。
ナポリの路上ひったくりも、交通機関のストも、安ホテルでお湯が出ないかもしれないのも心配だ。昨日など急に、先のイタリア中部地震の余波で、ヴェスヴィオ火山やエトナ山が噴火するんじゃないかと不安になった(笑)。しかし火山爆発ばかりは対処のしようがない。何より心配なのは2週間以上の不在の間に、実家に何事か生じないかということ。旅行の途中で帰国した場合も一定額保証してくれる付帯条項のついた海外旅行保険を契約してしまった。こんなの初めてだ。
写真は、ヴェスヴィオ火山が最後に爆発した1944年の模様。噴煙をあげる火山の上空を、米軍の爆撃機がドイツ軍攻撃に向けて飛んでいる。(ナショナル・ジオグラフィック誌より)
_ Y氏 [リアル「ヴェニスに死す」もいいんじゃない(笑)]
_ kusa [僕も書かなきゃと思ったら既に8月。5月29日に書いたきりなので2ヶ月書いていません。でも結構充実した2ヶ月だったけど..]