久しぶりにセリエAをスカパー!の中継で観戦。インテル×ローマ戦。むろん、長友出場期待なのだが、チェゼーナでの実績はあるというものの、そう簡単に先発出場とはいかない。名だたるでDFが揃うチームだから競争は激しい。日本のメディアはちょっと贔屓目が強すぎる。
それでも4-1とリードした後半30分、なんと絶好調のスネイデルが下がって、交替で4バックの左に入る。試合展開に余裕が生まれ、お披露目的な意味があったとは思うが、そのあと立て続けに2点入れられて、インテルあわや。結果は5-3という出入りの多いスコアで勝利したものの、DFの真ん中があたふたするときがある。
倉敷 with 後藤健生の解説が楽しかった。他局のように「長友」視点で見るのではなく、冷静・客観的に試合を展望。むろんジャポネーゼへの期待感は滲ませているのだが、それよりも両チームへのリスペクト、そしてセリエAというリーグを愛する気持ちが表れていて、好感がもてた。
ゲームが終わった瞬間に、まざまざと蘇ってきたのは、2002年、雨の宮城のトルコ戦。そのとき私はスタジアムの観衆の一人だった。トルコの堅い守備を突破できない焦燥感。決定力の不足。そして終了のホイッスルと共に訪れた深い脱力感。それが再びこみ上げてきた。
あのときも世間は「ベスト16、よくやった、ありがとう」と納得した。戦いに負けたのに「ありがとう」で終わる、いかにも日本的な美風。しかし、勝因をではなく敗因を厳しく分析しない限り、また同じことを繰り返すのではないか。
たしかに今回のチームの成長はめざましい。戦術は徹底し、個人がよく動いた。とりわけデンマーク戦の戦いぶりはパーフェクトに近い。本田は抜きんでたFWであり、中盤との連携も緊密だった。
しかし、パラグアイ戦ではまた8年前に戻ってしまったかのようだった。組織的な守備をする相手には、相変わらず勝てない。FWは前線で孤立し、中盤は効果的なパスを前に送れず、DFはけっして俊敏とはいえなかった。2つの試合のこのギャップはなんなのだろう。
90分+30分では負けなかったという人がいる。たしかにそこでは負けていないが、同時に勝ててもいない。PK戦にもつれこむ前に試合を終わらせなければならなかった。世界レベルの戦いでは、日本代表のシステムはいまだ安定感を欠く。とうてい安心して見ていることができるレベルには達していない。
こうしたもろもろの壁を越えない限り、けっして一歩前進などと言ってはいけないのだ。
リーガ放映のWoWoWでは、ずいぶん前から「至高の挑戦!バルセロナvsエスパニョール」と題して、日曜日のバルセロナ・ダービーの番宣を繰り返していた。当然、番組には俊輔を登場させて、前景気を煽っていたのだが、残念ながら当日の試合で俊輔はスタメン落ち、結局最後まで出番はなかった。WoWoWの番組担当者もガックリというところだろう。
エスパニョールというチーム。攻撃が単調で面白みがない。俊輔がからむ以前の基本的な部分に問題を感じる。もし次節勝てなければ監督馘首の可能性が大。司令官が替われば俊輔の使い道も変わるかもしれないが、あまり期待はできない。
続く、バレンシア×レアル戦も見てしまったのだが、途中から登場のホワキンが今季初ゴールを決めて快哉を叫んだものの、あと一歩のところで惜敗。ここでレアルを叩いておけば、勝ち点で2位に並べたのに。
土曜日の天皇杯では、ベガルタ×フロンターレ戦が面白かった。実は今季のベガルタを見るのは初めて。元鹿島の平瀬、おお、まだやるではないか。来期はJ1だから、仙台でのホーム観戦も含めて、もうちょっとマジに応援してやろう。
Euro2008セミファイナル、西班牙×露西亜。ひごろ親しくしている(?)スペイン選手たちに勝って欲しいのはヤマヤマだが、ヒディング中隊の突撃力の魅力も捨てがたく。
でも、ロシア、ここまで。アルシャフィン(発音は、アルシャビンじゃないのか)動けず。というか、スペインのチームバランスや一致団結力は、歴史的にみてもすごいものがあるんじゃないかな。今回こそ無敵艦隊の形容も可能かと。
VIP席にはフェリペ皇太子夫妻も。けっこうサッカー好きだよね、ここの皇族。2003年11月にスペインを旅行してたときは、ちょうど2人の婚約が発表されたころで、レティシアさんの顔が当地のテレビに多数露出していた。CNNのキャスターだかレポーターだかをやっていた人。往年のジャクリーン・ビセット似。スペインにはすごい美人ジャーナリストがいるもんだと感心したものだが、なんかあのころから比べると、美貌もウムム---などと思いつつ、アイキャッチに使ってみました。
巷には、あれからひろぽんはちゃんとW杯ファイナルを観ることができたのだろうかという心配のむきもあるようなので、いちおう7月9日ベルリン・オリンピアシュタディオンにおける証拠写真をば。
ただ、あらかじめ断っておきますが、「ジダンの頭突き」なるものはこの目で現認しておりません。座席がそのときのフランスゴール際、つまりジダンとマテラッティがやりあったのとは反対側で、しかもこちらサイドへ運ばれるボールの動きを注視していたため、試合がストップし、遠くの方でジダンにレッドカードが出されるまでは、何が起きたのか全くわからなかったのです。
それにしても堅くて地味な試合でした。守備の巧拙だけを言うならば、何度か同じようなサイドから破られつつあったフランスの守備。それに対してイタリアは堅牢で、なかでもカンナバーロはやっぱりスゴイというのはよくわかりましたが……。
ジダンを退場させてからのイタリアの消極的な攻めには、いまも納得がいきません。PK戦などに幻想をもたず、リスクを取ってでも攻めて欲しかったと思います。というわけで、試合終了後は歓喜の渦の中にいるイタリア選手団やサポーターを、半ば白け気味で見ておりました。
W杯決勝戦だからといって、必ずしもその大会のベストゲームになるとは限らず、そうでないケースの方がむしろ多いのです。
それでも、6万人余の大観衆とともに、サッカーの歴史の一こまの中に自分自身がいたことは事実です。3時間前には会場前に到着し、酷暑の中のファンフェスタから、優勝杯授与、盛大な花火のフィナーレまでたっぷり6時間ぐらいのイベントにつきあい、心身ともに疲れ果てておりましたが、その時間を忘れるだけの静かな興奮がずっと身を包んでおりました。
_ 小石川T [ご無事の帰国何よりです。]
サッカー本はそれなりに読むが、ロナウジーニョのパスの秘訣、中田がロッカールームで怒った理由、トッティの彼女はスーパーモデルなんてのは、あんまり関心がない。ましてや「ジーコの戦術は企業経営にも活かせるか」(無理だろうけど)なんていう手合いのサッカー便乗本は願い下げだ。
それよりも、なんというか、サッカーをもうちょっと違う視点から、たとえば政治・経済・文化の観点から位置づけて語るというのが好き。もちろん、ピッチでの90分のボールと足の動きは、それ自体は政治ではないし、戦争でもないし、ましてや経済でもないけれど、サッカーというスポーツを人類の営みの一つとしてメタにとらえれば、そこに色濃くあらわれる政治・経済・文化の影を意識しないわけにはいかない。
そういう意味でこれまで読んだサッカー本のなかで最大の賛辞を贈りたいのは、サイモン・クーパーの『サッカーの敵』(白水社)だ。
2002年W杯に合わせて翻訳が出た本だけれど、サッカーをナショナリズムや宗教やマフィアビジネスに利用しようとしている世界の腹黒い輩の実態を、ひょうひょうとしたタッチの取材で暴露し、サッカーというスポーツの「純粋性」をそこから救おうとしている。
実際、救えるかどうかはわからないけれども、現代サッカーがそのような「サッカーの敵」に取り囲まれながら息も絶え絶えになっているという事実を知るのは、けっして無駄なことではない。
2006年W杯を当て込んだサッカー本ラッシュのなかでも、サイモン・クーパーの問題意識を踏まえたような本がいくつか出ているのは喜ばしい。たとえば、『W杯ビジネス30年戦争』(田崎健太/新潮社)、『サッカーが世界を解明する』(フランクリン・フォア/白水社)は面白そう。未読だが購入済みだ。
いま読みかけの、『サッカーという名の神様』(近藤篤/NHK出版)は、サッカー本のなかで私が好きなもう一つのタイプに属する本だ。これまで挙げた、サッカーの光と闇のどろどろみたいなお話じゃなくて、もうちょっとのんびりとしている。
トリニダード・トバゴのスタジアムでスティールドラムが打ち鳴らされる様子とか、南海の楽園、モルディブにサッカーを見に行った話とか、ちょっと気の利いたサイドストーリーを集めたエッセイ集。著者は写真家であり、本文にはさまれるモノクロ写真がいいアクセントになっているが、なかでもひいきチームのゴールに歓喜するアルゼンチンのスタジアムを取った一枚はすごい。
小高い山ほどもあるスタンドに鈴なりに群がる観衆のエンスージアズム(熱狂)は、全体としてみれば、巨大な津波のようでもあるが、細部をみれば、まるで人類が喜ぶときに見せるありとあらゆる表情をコレクションした細密画のようだ。どんな宗教やセックスやお金も、これほど多様な喜び方を人類に提供することはできなかったかもしれない、と思うぐらい。
「ブラジルはなぜ強いのか、その秘密を探ってきてくれ」と雑誌編集者に依頼されて、著者がブラジルの人々に聞き回る話が面白い。
「ブラジルでは、サッカー選手が地面からどんどん生えてくる。ロビーニョみたいな選手を1本刈り終えるころには、もうその周りでロビーニョが3本ぐらい芽を出し始めている」
という、現地のサッカー指導者の答えには腹を抱えて笑った。
そんな特殊な腐葉土が堆積する国とは、これから先三百年経っても勝てっこない。
サッカーという窓から見渡すと、世界はまた違った様相に見える。常識でこね固めた世界観が、あっさりフェイントをかけられて覆ってしまう。いわばサッカーによって世界が「異化」される瞬間というか。私が野球をではなく、サッカーを好きなのも、それがあるからかもしれない。
_ aja [『バルサとレアル』もオススメしてくださいませ。W杯ものではないけど。]
今日はさすが疲れているので、第1試合トーゴ×スイスを流し見したあと寝たのだが、4時になったら、ゾンビのようにガバっと起きてしまった。スペイン戦だものなあ。
で、寝ぼけまなこで見ていたら、プジョルがおっとっと、エムナリに抜かれて、早々と1点献上。ただ、スペインはそんなに焦る気配はない。後半開始からセスク、ラウール投入、さらに56分にはホアキン登場。ホアキン、今回は代表落ちも心配されてたけど、まだまだできるもん。
で、71分、ホアキン、クロス→F.トーレス、スルー→セスク、シュート→こぼれに、ラウール、ちゃんと詰めていましたね。その5分後には、トーレスのダイアゴナルな動きを見ていたセスクからのパスを、トーレス、アウトサイドで華麗にシュート。最後はPKももらって、今大会3点目。
チュニジアも前半は大変よい動き。でも、今のスペインとの差からすると、1点は安全圏じゃないということ。結果は、日本×豪州戦のような逆転劇だったけれど、こっちのゲームの方がはるかに見応えありました。
今年はチャンピオンズリーグはバルサで、UEFAカップはセビージャ。もともと代表のことはあまり信じていないスペインの人たちだけれど、もしかしたら世界盃で3冠なんてことを夢見だしたりして。
それにしても1日3試合は見る方には辛い。2002年のときよりもなんだか疲れるなあと思ったら、あのときは1日2試合だったんだな。
_ 大笑 [人は4年も経てば体力が落ちるもの! 言い訳をせず素直に歳をとった事を認めましょう\(◎o◎)/!]
ジーコはクロアチア戦引き分けの後「こんな時間にサッカーをやること自体が犯罪だ」と吐き捨てたそうだ(6/19朝日朝刊)。いまさら何よ。
熱暑のスタジアムで闘わせるのが犯罪だとすれば、犯人はどこにいる? 日本戦が2戦とも15時KOにセットされたのは、日本のテレビ生中継の都合だというのがもっぱらの噂。テレ朝だけじゃなくて、NHKも同罪? 黒幕は電通?
ついでに言えば「朝の4時じゃ見られないけど、22時だったら見れるぞ、ラッキー!」と呟いた日本の視聴者も同罪? みんなわれわれが悪いのよ?
自分の采配ミスは棚に挙げ、「負けたのはぼくらサポーターの声が弱かったからっス」ちゅう「一億総ザンゲ」路線に持ち込もうとしてるな、ジーコ。ま、それぐらい策略家でないと、代表監督やれませんけどネ。
暑かろうが苦しかろうが、どうせ勝てないんだから、もうちょっと面白いサッカーをしようよ、日本代表。豪州戦、クロアチア戦、これまでの全試合見たなかでは、いずれも今大会ワーストの部類だものなあ。
見違えちゃったよ、ポーランド。スピーディーな攻守展開は、バラックが戻ったドイツとうまく相乗して、これまでで一番見応えのある試合になりました。でも、最後はポーランド、バテバテ。あのドイツ相手だとものすごい消耗するんだろうなあ。後半投入の元気なオドンコールとノイビルにロスタイムにトドメ刺されちゃった。
これでドイツ、乗っちゃったかな。
#それにしても、「NEUVILLE」はドイツ語だと「ヌビル」じゃなくて「ノイビル」じゃないんかな>NHK。父親がベルギー系ドイツ人、母親がイタリア人なんで「ヌビル」だという説もあるが、実際、ドイツではどう呼ばれているんだろう。
負けたことは仕方がないが、最後の10分の3ゴールというのは、最悪のスタートだな。ワシは日本の勝ちはない、せいぜい引き分けという予想だったが、こういう悲惨な負け方は予想してなかった。心理的ダメージ、大きいわ。
クロアチアには同じ轍を践みたくない。もし豪州戦のように早いうちにラッキーに点が取れたら、後はトリニダード・トバゴのように完全に退いて守ったらどうだろう(笑)。ま、同じラッキーが二度あるとは思えんが……。
川口を個人的に責めるつもりはないが、今日は当たっていたんで、つい前に出る癖が出ちゃったんだろうねえ。前に出るのはいいが、高い相手との競り合いではボールに触れずぶつかったとき、転がされてしまうリスクが高い、と思う。
それにしても、ヒディンク。強気の采配がズバリ的中。この人、やっぱり試合を観る目があるよなあ。「向こうはフレッシュな選手を3人入れてきたが、こちらは守備陣が疲れていた」(宮本)というタイミングをちゃんと見抜いている。長身のケネディの投入も、それを警戒する川口に、結果的にミスを犯させたんだし。
それに比べてジーコ采配。「1−1になったときに、引き分けでもいいのか、それとも勝ち越しのチャンスを狙うのか、若干ゲームのリズムも変わってしまった。前の選手は点を取りに行っていたし、後ろとしてはカウンターを食らいたくないというのはあった」(宮本)と、チームの意志がブレ始めたとき、ジーコは的確な手が打てなかった。投入した小野に何を託したのかが、不可解だ。混乱するチームは、そしてそのまま瓦解した。
日豪戦。俊輔のFKからの得点について、豪のメディアは<「オーストラリアGKが日本の選手2人に妨害された」とし「汚点となる幻覚ゴール」「未熟なエジプト人主審の理解しがたい愚行」などと批判した>そうです。
私も審判が3人いたら2人はキーパーチャージを取るところだろうと思いますが、残り1人がそうでないのは、録画をコマ送りで分析(笑)すると、むしろチャージを受けているのはヤナギと高原のほうだから。
ヤナギは前に出るGKに押さえつけられてジャンプできず、高原も2番のルーカス・ニールに手で肩を押さえられ、そのまま突き飛ばされて、GKにぶつかっている(のようにビデオでは見える)。
ま、この程度で日本にPKを与える審判はいないでしょうが、少なくとも日本のキーパーチャージとは言えないと判断する審判はいるだろうな、と思うようになりました。
問題は、やっぱりゴール前で競り合えないヤナギと高原のヘタレぶり。体格差は仕方ないけれども、ほんとにうまい選手というのは、位置ドリとかジャンプのタイミングで相手の高さをしのぎますからねえ。
それにしても、この1点で「勝ったつもり」になってしまったのは、豪メディアが言うように日本の「幻覚」でした。
勝ち点・順位自動計算式(笑)をいちおう組み込んだグループ組み分け表(といっても、2002年のやつのコピペだけど)をExcelで作成して、そろそろお祭りモードを盛り上げる。テレビ、新聞、雑誌の下馬評は全然読んでない(だいたい外れるし)んで、2抜けチームの予想が難しいけれど、ま、だいたいこんなところだろう、なんて◎つけたり△つけたりしながら……。
竹芝のマンションで事故を起こしたシンドラー・エレベータって、世界第2位のシェアなんだってな。日本だと日立、三菱、東芝なんかが優勢だからあまり目立たないけれど。
エレベーターの世界トップシェアはオーティス(Otis)。1853年の創業だ。この Otis に因んで、この前面白い映画を観た。
メグ・ライアン主演の『ニューヨークの恋人』(2002年)。一種のタイムトラベル・ラブロマンスものなんだけれど、タイムホールを抜けて19世紀からやってきた男(ヒュー・ジャックマン)が再び19世紀に戻るとその後、エレベーターを発明したことになっている。つまりは、オーティス・エレベーターの創業者ってことだろう。
Otis の命名には少々伏線があって、ヒューが20世紀のニューヨークで過ごすときに、マンションのドアマンの名前が、Otis 。忠実にドアを開け閉めしてくれるドアマンの名前に因んで、昇降装置をそう名づけたというストーリーだ。本来、エレベーターってのはそうあるべきしろものだからね。
実際のオーティス・エレベーターの歴史は、世界で初めてガバナマシンを取り付けた蒸気エレベーターを発表した米国人エリシャー・オーティスが創業とある。だから映画とは違うんだけれども、イノベーター好きのアメリカ人をニヤリとさせる仕掛けなのかもしれない。
マンションの階下に住むメグの前のボーイフレンドは、PCおたくで、タイムスリップした19世紀男を部屋に匿っているのだが、その言い訳に「NYで開かれるPCの見本市にやってきた友達」ということにしている。字幕では「PC」となっているが、台詞をよく聞くと、「New York Mac Expo 」と言っている。このあたりは、Macオタクがニヤっとするところ。もちろんハリウッド・ムービーの常で、彼らが使っているパソコンは、やっぱり PowerBook だったりする。メグ・ライアンは『ユー・ガット・メール』(1998年)でも PB 使ってたし、個人的にも愛用者なのかもしれない。
Ayumi Books 内をふらりと散歩。雑誌バックナンバー、ムックなどをいくつか購入。
_ ぜっぴ [追加発売だそうで。 http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlas..]
2006W杯のチケット申込み。FIFAサイトの3次販売が本日締切なのであわててエントリー。最初7種類のチケットを応募すると、「すでに同じゲームを同一人名でエントリーしているものがある」との not accepted (不受理)の通知メール。どのゲームが該当しているのかは示されない。もしかして、ドイツのMが同伴者に指定してくれたはずの試合と偶然かち合ったためかもしれない。あれれと思って、試しに別の1試合を申し込むと、こちらは問題なく受理される。
ところが続けて、残り6試合申し込もうとすると、すべて不受理のメールが返ってくる。そうか、メール、パスポート、カードなどを同一とする1人からは、1回しか申し込めないのか。あちゃ、ミスった。
まあ、ここに来ての当選確率は低く、気休め程度のエントリーなので、これでもいいか。それにしても、コンピュータ処理のFIFAのメールのレスポンスの速いこと。
JFA割り当ての参加国協会分チケット、日本戦3試合も今日から受け付け。こちらもダメモトで各試合を申し込む。当たんねぇだろうなあ。なにせ、今年の年賀状のお年玉は、印刷が余った分の、つまり出し損ねた分のうち、ようやく1枚が4等(切手シート)に当たっただけだもの。
現在読書中。ネオリベ=新自由主義を思想と生活から撃つ、久しぶりのラディカル本。きょうびの大学改革=独法化もロクなもんじゃねぇと教えてくれる。むろん書名は、アンリ・ルフェーブル『日常生活批判序説』由来。
14日の、強烈な寒さの国立競技場で懲りたので、18日の横浜国際=日産スタジアムでの3決、決勝戦には、先日を上回る寒波から身を守るための、かなりな重装備で出立。ズボン下というほどではないけれど、長めのパンツをジーンズの下に仕込み、毛糸の帽子をかぶり、腹と背にはカイロまで仕込んだのに、でも、足下が寒いよ。これって、もしかして新陳代謝の衰え=老化だろうか。ブルッ。
決勝戦。試合は最小得点差のまま推移し、勝利のための駆け引きが面白かった。シュートがバーに当たったり、再三にわたってオフサイドを取られたりと、リバプールにアンラッキーが続いたけれど、むろん場所を欧州に移してもう1回やれば勝てる相手だったとは思う。しかしながら、地の利や運を活かせるかどうかは、競技スポーツでは大事なことだからなあ。
それにしても、14日の国立といい、今日といい、周囲に「解説屋」のファンがいて、興を削ぐ。いや、かなり的確で辛辣なコメントだったりするんだけれど、解説を聞きに来たんじゃないのでねえ。サッカーとか野球って、これだけポピュラーだからこそ、観戦者が容易に評論家になりうるスポーツだと思う。むろん、観戦者と評論家と、さらには実戦家とでは、求められる責任に雲泥の差があるのだけれども。
そこまで言うなら「それならキミが日本代表監督」やってみなって。
ちょっと前まで、安藤美姫を持ち上げていたはずのメディアがここ数日は浅田真央一色。天才なの、このコ? 年齢制限でトリノ五輪の出場は無理だとわかっているのに、その報じ方がなんとも未練たらしい。特例措置を求める電子メール400通がバックになっているのだろう。「何がなんでも真央をトリノで見たいー!」とわがまま放題のロリコン男もいるしなあ。
今日の夕刊フジは、「規則は規則だ」と特例を認めない方針を語った国際スケート連盟会長を「かたくなだ」と批判。実は浅田真央のライバル視されるイタリアのアイドル選手というのがいて、真央を出場させることで、そのイタリア選手に「プレッシャーをかけるわけにはいかない」からなどと、「かたくなさ」の背景まで詮索している。
でも、これって詮索しすぎ。たんに一人のためにルールをいま変えるわけにはいかない、ということなんじゃないの。出場資格という基本のところでルールを崩しちゃったら、競技がただの興行になっちゃうでしょうが。
それに、いかに技術的に天才でも15歳じゃなあ。やっぱその〜、フィギュアスケートって、ある程度成熟した女性の肉体の優美さってのも大事なポイントだと思うんだけど──というのはただの私見ですが。
いや、そもそも五輪なんて興行に過ぎないのだから、こういうのがあってもいいのか。そのときどきで話題づくりができて、テレビの視聴率が上がって、広告効果がアップすれば、15歳だろうが、ペチャ××だろうが、なんでも特例で通しちゃばいいのか、という考え方もあり。
ま、この件はどっちでもいいです。
今年から FIFA World Club Championship と装いもあらたに。14日のサンパウロFCとアルイテハドの試合を観戦。この冬一番の冷え込みとかでガクガクブルブル。ただ、試合は3-2のスコアが示す通り面白かった。アモローゾ健在だ。客の入りは七分。
そもそも日本のクラブは出てないし、カズのシドニーFCは負けちゃったし、他に日本人選手はいないし、サプリサとかアルイテハドとか聞いたこともないし、ってんで、日テレ系が宣伝するわりには盛り上がっていない。ただ、その条件でも国立に七分の入りというのは、サッカー文化が成熟した証左というべきか。
日曜は横浜で3決と決勝戦観戦予定。リバプールがどこまでガチンコ勝負をやるかだな。
もし、正解が一つだけならば、全ての人の反応が理想的には同じになる。ところが、不確実な状況の下では、答えが一つではないから、人によって採用する「戦略」が異なってくる。人類全体から見れば、どうなるかわからない局面で様々な人が多彩な戦略(=感情の反応)をとるから、全体として生き延びて来られたのである。──「感情と個人差」日経夕刊「あすへの話題」2005.12.15一見、なるほどね、と思わされる論。みんなが同じ反応をするときは、危険だと、教訓化できそうな話でもある。だが、感情なぞそもそも持たない(と思える)下等生物が人類よりさらに長く生き延びてきた事実を考えると、急に説得力を失うんだけれども…。 とはいえ、このコラムの目的は生命の進化の秘密を解くことではない。同一の現象に対して人が自分とは違う反応を見せるとき、いちいち頭に来るのではなくて、「ああ、この人は不確実性に対して私と異なる戦略をとっているんだ」といい気かせれば、腹も立たないはず、という処世の術を述べているのにすぎない。 いわゆる「大人」の論理ってやつですな。こういう「大人」に、早くなりたいものよ。
9月の第二連休。土曜日は古い女友達の書道展に銀座へ。会場にもう一人当時の女友達がいて、瞬間同窓会。ヨン様の映画を観に行くという彼女と別れて、「山野楽器」でCDを3枚購入。
iTunes や iPod の普及は、じつはリアルなCDの購入を促進するかもしれない。すべての音楽がダウンロードできるわけではないし、ひとたび刺激された音楽購入欲は多様な品揃えの専門店へと人を赴かせるのではないかと。ただ山野楽器のような充実したショップがあっての話ではあるが……。アイリッシュ気分で「CLANNAD」のベスト、ラテンなバンドネオンに誘惑されたくてヘンゼル&ピアソラの「TANGOMANIA」、なぜか見てもいない映画のサウンドトラック「CinquePerDue」。まったく行き当たりばったりだが、ワールド志向という点のみ共通。
俊輔のセルティック・デビュー戦は面白かった。たしかによく機能していた。しかも過剰なぐらいスタンドのファンからの温かい拍手。チームメイトのFWも、こいつラグビーからの転向者かと思うハートソンとか、小柄でイライジャ・ウッドちょっと似のマローニーなど、個性派が多そうだ。スカパー!が全試合生放送というので、今季はしばらくセルティックにつきあってみようか。
と思ったら、中田ヒデのボルトン移籍も本決まり。とにかく試合に出ることが先決だわ。
というわけで、早速、ボルトン、グラスゴーを含むイングランド&スコットランドのフットボール&ウィスキーの旅行企画を夢想する。なにせイングランドはサッカーの母国だから、ワシのライフワークはこれなしでは完成しないのだ。今年中または来年には絶対に行くぞ。ん? 来年はドイツじゃなかったのかよ……
というか、今年は沖縄→石垣→台湾にフェリーで行くのじゃなかったのか。そうでなくてもJALのマイレージのポイントの年末に切れる分だけで、韓国・台湾に行けるんだったな。9月に15年ぶりのソウル、正月に船で台湾、そんでもって来年2月に英国(寒そう)ってのはどうだと、しばし逃避するように脳内ヴァーチャル・トリップ。
グループリーグよりは全然動きがよかったし、ほとんど勝てた試合だと思うが、最後の最後でマークが外れた。前半にカレンが決めていてくれたならなあ。
期待が大きい分だけ、グチも大きくなるんだが、FW平山くん……。たしかに高くて、バックヘッドはよく当たるけど、たんにそれだけのポストプレイヤーにしか見えない。筑波に行ってあんまり成長してないなという感じ。まるで、アリクイのような猫背のノソノソ歩きも、マイナスイメージ。決勝点を入れられた直前のシーンも、中盤に戻った平山の守備には不満が残る。観ていて、いらつく選手ではある。
それでも短期間にチームを建て直してきた大熊監督と選手たちを誉めるべきか、4試合で勝点2しか取れなかったことを強調すべきか……。
前言撤回(^.^;。対ギリシャ戦面白かった。良くも悪くも、あれがジーコジャパンの完成形なんじゃないかと思った。中盤は厚く軽やかで、でも点がなかなか取れないところも含めてだけど(笑)。
で、後から再放送観たんだけれど、メキシコってば、ブラジルに勝っちゃったのね。3回チャンスのPKを外して、でも決勝点を決めたボルヘッティ。演歌のマイクを握らせると似合うようなお兄ちゃん、どっかで見たよなと思ったら、2002W杯にも出ているベテランだった。新潟で見たな、たしか。それにしてもメヒコ、いいチームだわ。
ともあれ、これでブラジルとガチで勝負するしかなくなった、日本。もう決勝Tは無理だから、せめて4─2ぐらいの派手な試合で、散ってほしい。
産経新聞の記事「吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き」が面白い。
記事は歴史的事実の検証というスタイルを取っているが、吉田満が採用した証言Aと産経が取材した証言Bのどちらが真実に近いかは後生の読者には判断することが難しい。ただこうした反証を提出することで、日本軍人の戦闘中の行動の残虐性を薄める効果は発揮する。少なくとも「朝日はいつもいい加減な記事を書くなあ」という心証形成には効果的だ。
しかし、片道の燃料しかもたせずに海上特攻隊として出撃を命じた戦略自体の残虐性は、どうなるのか。そこは不問にしちゃうのか。
同じ記事が「残虐性を強調するような信憑性のない話が史実として独り歩きするケース」として引く、「沖縄集団自決は軍命ではなかった」という最近の調査なるものも、では沖縄守備隊は住民の保護を第一義としたのかと反論されれば、どう答えるのだろうか。そもそも軍命もなく住民が自決を選ばざるを得なかったとすれば、そのほうがより悲劇的ではないのか。
ちなみにこの「軍命なき集団自決」論は、産経-扶桑社-自由主義史観系の一部の研究者の指摘であって、沖縄戦研究者のけっして多数意見ではない(この記事参照)。
より大なるAという仮説を、部分的・矮小的に反証することで、Aそのものをなかったことにする、少なくともAによって与えられた心証を反転させようとするのは、ディベート技術の一種で裁判などでもよく用いられる論法だが、ときにはそこにイデオロギー的搾術が紛れ込むことがある。産経は(朝日もときおり)これが上手だ。
まあ、「逐一朝日の記事に批判を加えて、売上を伸ばせ」というのは産経の社としての方針でもあるようなので、この記事については、社益が随所に見え隠れしているなあと読めれば、それだけのことにすぎないのだが……。
今日はほんとにヒマなのか>自問。
それはともあれ、ワールドユースで日本とあたったベナン共和国。アフリカにこんな国あったっけと、無知を承知の失礼な感想をもったが、よく聞けば旧ダオメーという「奴隷海岸」の国。ワシラの小学生の頃の世界地図では「ダホメー」と記載されていたような気がする。
17世紀このあたりにあった黒人王国は奴隷貿易によって栄えていた。つまり、域内の異部族を奴隷狩りして、西洋人の奴隷商に売りさばいて利益をあげていたのだ。奴隷貿易そのものは西洋人によってもたらされたものだろうが、それを補完するシステムが奴隷供給地の側にもあったという事実は、歴史の複雑な相を理解するうえで重要なポイントかもしれない。
ナチスのユダヤ人強制収容所送りを下請けとして支えたユダヤ人組織、日帝の朝鮮統治を物理的・精神的に手助けした「親日」知識人など、歴史は同じことを何度も繰り返す。弱いものがさらに弱いものを収奪する構造は、いまの日本にもたくさんあるじゃないか。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ Y氏 [色々意見はあるようだけど、インテルのユニホームを着て、公式戦に出場する日本人が出てくるなんて一年前には想像すらできな..]
_ ひろぽん [アジア人初のセリエAプレイヤー、カズのジェノア移籍から17年。長かったとも短かったとも。]
_ yu [みーはーな一般人としては、「明治の太鼓」の件などえぇ話やと感動しております。(笑)]
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