ポーランド(現在の西ベラルーシ)に侵攻したナチスから迫害されるユダヤ人たち。その救出と集団自治や抵抗を組織したビエルスキ兄弟の実話。
Wikipedia によれば、「基本的には実話に基づいているが、一部に映画的結末を描くための脚色があり、特にエンディングの戦車との戦闘シーンについては原作者も当初は戸惑いを覚えたことを告白している。また、ビエルスキ兄弟が率いたユダヤ人組織に対する歴史的評価もポーランド内では分かれており、同じポーランド人から略奪することで生き延びた山賊集団ととらえる向きもある」とされる。たしかに、森のなかでの戦車との戦闘シーンは、おあつらえむきのカタルシスで、そこがクサイ感じもしたのだ。ちょうど、カチン虐殺に関する『カチンの森』(みすず書房)という本を読んでいたこともあり、場所こそ違えどポーランドの森の風景(実際のロケ地は知らない)をイメージし、独ソの間で翻弄されるユダヤ系ポーランド人の立場に思いをはせることができた。
この時期、ポーランドはドイツとソ連の挟撃にあって領土をいいように分割されてきた歴史があった。カチンの森虐殺に見られるように、ポーランド人も多数殺されたが、そのポーランド人からも差別されていたのがユダヤ系ポーランド人だ。ゲシュタポに売り渡され、ゲットーで殺されるか、収容所で殺されるか、いずれにしても命運は尽きかけていた。森へ逃げるというのが唯一の生き延びる道ではあったが、それもまたけっして安全の保証があったわけではない。
出エジプト記にもなぞらえられる、迫害されるユダヤ人たちの救いの物語。神はとっさのところで我々を見捨てなかったという意味で、特定の民族集団にとっては、貴重な宗教的感興をもたらすのだろう。
ただ、性懲りもなく量産されるユダヤ系アメリカ資本による反ナチ・プロパカンダ映画と切り捨てるには忍びない、深みをもつ映画でもある。抵抗運動内部におけるモラルの確立と崩壊、明確な階層差を超えた自治原則によるコミュニティの誕生、集団におけるリーダーシップと分派の発生など、現代のあらゆる組織に通じる貴重な教訓も読み取ることができる。
また、ファシズム、スターリニズムだけでなく、シオニズムを相対化する視点もあって、そこにはアメリカのリベラルな知性が顔を出している。劇中の言語は、英語がメインだがこれはたぶん東欧ユダヤ人たちのイーディシュ語の代位だろう。他にも現地の非ユダヤ系農民と話す言語(ポーランド語?)、ソ連赤軍将校と話す言語(ロシア語)、ドイツ兵のドイツ語が登場し、それらとは明確に区別されているからだ。まさかイーディシュで全編を貫くわけにはいかなかったろうが、いちおう当時の現地の多言語環境を意識しているようで、その配慮には好感をもった。
むろん、サボタージュ活動や銃撃戦のスペクタクル、集団内の恋愛なども盛りこんで、エンタティンメント映画の王道も外していない。反ナチ抵抗ものとしては、けっして悪くない映画だ。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。