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ひろぽん
の
小石川日乗
心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば
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「ひろぽんの南イタリア旅行記」
はこちら。
2010-05-28 (Fri)
■
[
sanpo
] 神楽坂・昭和の残景
先の土曜日は例の
「ブラ浪漫」
の会、本編第3回にあたる「小日向〜水道〜神楽坂」編があった。小日向はかつて住んでいたところなので私には新しい発見はあまりなかったが、そこから先が面白かった。 小日向の坂を降り、文京区水道、新宿区水道町(似た地名が区界の神田川を隔てて向かい合っている)から神楽坂へ向かうあたりに来ると、都市再開発の陰に隠れた古いビルが残っている。このあたりはさほど意識して歩いたことがなかった。 もともとはオフィスビルなのだろうが、築数十年が経ち、建て替えも難儀、かといって廃墟にすることはできないというので、旅行者向けの長期滞在ホテル、いわゆるゲストハウスに模様替えしているところがあった。名前がなんと「九龍城」。かつて香港島にあり、「魔窟」とも呼ばれた破壊的イメージの建物のことだ。香港返還前に
現物
を見たことのある私には、「九龍城」の名を踏襲するには、あまりもちんまりとしたビルなので笑ってしまったが、まあ、ビルオーナーの思いはわからないでもない。
「九龍城」へようこそ
「九龍城」屋上に怪しい人影
さらに探検を続ける。住所でいうと、築地町、赤城下町、赤城元町あたり。この一帯では、昔風の地名がきちんと保存されているのが誠に喜ばしい。徐々にこじゃれたカフェやレストランがポツポツと見えてくる。最近、妙に人気の神楽坂スポットだ。坂道を振り返ると、すでに廃業した銭湯の煙突が唐突にそびえていたりして、オシャレな街との対比が楽しい。
坂の途中の「見晴湯」
神楽坂の北側は矢来町。新潮社のある街で、知人の何人かが住んでいたり事務所を構えていたりするのだが、ゆっくりと歩くのは初めてかもしれない。軒下に錆びた大八車(リヤカーと呼んでもいいが、いずれも古語)を置いたような、昭和を感じさせる住宅街が残されていて、その風情がなんとも懐かしい。神楽坂の賑わいを支えていた人々の温もりを感じさせる。街歩きが好きな人々にとっては、この裏・神楽坂あたりも十分に観賞価値のあるゾーンなのだ。なんとしても永久保存してほしいものだ。
とうの昔に現役を引退した大八車
このレンガの壁はいつぐらいのものだろう
カフェの入口。ブリキの洋燈がよく似合う街ではある。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。