父親が亡くなった。
この2年ほど特別養護老人ホームに入居していたが、先々週老人性肺炎で入院。しばらく小康状態を保っていたものの、本日未明に病状が急変した。
大正10年(1921)、佐賀出身で農業労働者として米国に在住していた両親のもと、シアトル近郊タコマに生まれる。幼少時に帰国。旧制久留米工業専門学校(現・九大工学部)卒。兵役では「北支」戦線に従軍。戦後は化学メーカー工場勤務のサラリーマン。ボイラーなどプラント関連の機械技師だった。享年88歳。
子どもにとっては、あえていうが、「凡庸な」父親だった。厳しくしつけられたり、𠮟咤されたりしたことが一度も記憶にない。かといって、尊敬の念をつねに抱いていた存在でもない。
私は文系の人間だが、その資質や素養の多くは母親譲りで、父親からはその方面での影響は全くといっていいほどない。ただそれでも、いま仕事上で接する技術者という職業への親しみは、父の油にまみれた作業着の記憶から来ているのかもしれない。
凡庸ではあったが、サラリーマンとしてのグチ一つ言うことなく、黙々と一家を支えてくれた、私にとってはかけがえのない父親ではあった。
寿命ではある。いずれこの日の来ることは覚悟していた。とはいうものの、肉親の死を経験するのは実は初めてで、正直うろたえている。
本日早朝からの山梨出張は代役がいないのでやるしかないが、火曜日以降の仕事はすべてキャンセルせざるをえない。少なくとも今週いっぱいは実家にいることになると思う。
というわけで、このブログをご覧になっているお仕事関係の方へ。しばらく忌引きを取らせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
ご冥福をお祈り申し上げます。
お悔やみ申し上げます。
両親をみとった身としては、
長命なご両親をお持ちでうらやましくもあります。
男の人にとって父親が亡くなることは
大きな意識の変化をもたらすものと聞いています。
存分に「うろたえること」も大事かと思います・・・。
お悔やみ申し上げます。
おくやみ申し上げます。
親をみとるのは子の役目とはいえ、肉親を失った空虚感は徐々に効いてきます。
こういうときに融通の利くような利かないようなお仕事ですが(あたくしもそう)、
ご無理なさいませんよう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
おくやみ申し上げます。
お悔やみ申し上げます。
お父様長生きされましたね。
自分も父親を亡くして 8年近くなりますが、その時のことを思い出すと何か夢を見ている様な不思議な感覚になります。
色々な思いは、東京に帰って来てから湧いてくると思いますが、くれぐれも無理はされませんように。
心からお悔やみを申し上げます。
私は同居していた祖父、母、義父、義母と4回葬儀を出しましたが、
身近な肉親の死は何回経験してもつらいものです。
お父上のご冥福をお祈りします。
合掌
ご尊父様のご逝去を悼み、心からお悔やみを申し上げます。
みなさまにはお言葉をいただき、ありがとうございます。父は、きれいに化粧をしてもらって、安らかな表情でした。
お悔やみ申しあげます。
心からお悔やみ申し上げます。
心労とは思いますが体だけは気を付けて下さい。