«前の日記(2009-06-22 (Mon)) 最新 次の日記(2009-06-30 (Tue))»

ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

2002|10|11|12|
2003|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|
IT | book | cynicism | football | goods | life | media | movie | opinion | photo | politics | sanpo | sports | trip
「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2009-06-29 (Mon)

[politics] 植民地主義──克服されない課題

■台湾周遊の旅から

 4年ほど前に、台湾を鉄道で周遊したことがある。沖縄から東シナ海航路のフェリーに乗り、一泊かけて基隆に到着。そこから鉄道で台北へ、さらに南下し、台南、高雄と巡り、太平洋岸の台東を経て、台北に戻る全島一周だ。車中では日本のそれに似た駅弁などをほおばりながら、湿潤な島の空気に慣れていく旅路だった。町の開発状況が、やはり台湾海峡側と太平洋側では違うな、などと考えながら、南下するにつれてしだいに南国風になる車窓の風景を楽しんだ。

台東周辺の車窓

 脳天気な観光旅行ではあったが、頭の片隅には、かつての日本が台湾を植民地化していく際の道程を追体験したいという思いもあった。もちろん帝国主義者の気分を味わうのではなく、領有された台湾の歴史に思いを馳せながらだ。

 台湾の鉄道は、日本統治時代の産物である。最初に基隆─新竹間に鉄道を敷いたのは清国政府だが、その改築も含めて、基幹線はすべて日本がつくった。「教育制度と鉄道と産業はすべて日本統治下に日本がつくったもので、そうしたインフラがその後の台湾近代化を支えた」とはよく言われることである。これは、一面では、つまり結果としてそうなったという意味では正しいが、台湾を近代化することの意味にこだわれば、その言い方はあくまでも一面にすぎないことが見えてくる。

駅弁のパッケージ

 何のための台湾近代化か。私はかつての日本帝国主義が台湾を植民地化することで、資本蓄積を図ると同時に、南方への軍事的進出の足がかりを得ようとした、そのために必要だったのが台湾のインフラ整備であり、近代化だったと理解している。台湾はあくまでも物的・人的資源の収奪の場だったのであり、インフラ整備は、そうした収奪=経営をより効率的に進めるための方便にすぎなかった。

 しかしながら、世の中にはそうは考えない人がけっこういるものである。

 「日本の植民地政策は台湾人のためにやったのであって、なんら恥じる必要はない」という“開き直り”論や、「植民地は当時の列強との争いではやむを得ないこと。それでも、欧州列強の植民地や、日本の朝鮮経営に比べれば、けっして苛烈ではなかった」という“言い訳論”まであるが、たいていは日本人からみた御託にすぎない。

 「いや、日本人がそう言うのではなく、台湾の人もそう言っている」と強弁する人もいて、その例証としてたびたび引き合いに出されるのが、統治時代に徹底的な日本語教育を受けた(一部は統治システムの階梯に手をかけることもできた)、いわゆる日本語世代、今は70〜80代の老人となった人々である。

■台湾の日本語世代

 台湾を旅していると、実はこうした老人にはよく出会う。台南では名物の饅頭屋さんの店頭で、店の手伝いに来ているというお婆さんに話しかけられたことがあった。こちらが聞いてもいないのに、戦後の国民党政権の非道さをあげつらい、挙げ句の果てに彼らを「チャンコロめ!」と罵倒するのだ。

「チャンコロ」は日本では中国系全般への蔑称である。ところがこの老人にとっては、日本の統治終了後に大陸から台湾に渡り、戦後の台湾を支配した「外省人」のことを限定して示す言葉のようだった。外省人と本省人(統治終了以前から台湾に住む人々)との軋轢は、映画『非情城市』にも描かれた「二・二八事件」の記録などで、私も多少は知ってはいたが、そうした軋轢がけっして過去のものではなく、今なお感情のくすぶりとして表れることに、正直驚いたものだ。

 むろん、表立って「二・二八事件」のことが語られ、公然と国民党批判ができるようになったのは、1988年の「民主化」以降だから、老人にとっては、長年の鬱憤を晴らすにはまだ時間が足りない、というところだったのだろう。

 ただ、憎悪の言葉が、日本人が、台湾人を含む中華系全般を指して使った「チャンコロ」であるという、屈折した構造は、私を考え込ませた。いわば支配の言語が、被支配者に移譲され、それが別の憎むべき対象に向かっていく。言葉の意味の転用が、それ自体、複雑な台湾の歴史を物語っているようなのだ。

 台東という町では、一宿を求めたホテルのオーナーが日本語世代で、お薦めの料理屋まで紹介してくれた。私たちが店に入るまで暗い通りに立って見守ってくれた。食事中にふと気づくと私たちの背後に立っていて、「美味しいですか」と日本語で聞いてくる。その無骨なまでの親切さもまた、感謝を超えて、驚きの一つだった。

■NHKの「台湾植民地」検証番組

 さて、そうした日本語世代の証言を軸に、台湾植民地経験を捉え直したドキュメンタリーが、NHKによってつくられた。4月に放映された「シリーズJAPANデビュー アジアの“一等国”」という番組だ。

 この番組は私も見たが、日本の近代と植民地の形成過程に一歩踏み込んだ良質の歴史考証番組だったと思う。背景説明が不十分であることなど、いくつかの不満もあるが、それは通常の番組批評の範囲だ。

 たしかにこれまでの右翼・保守・ナショナリストの議論によく登場し、一般の日本人もなんとなくそうかなと思っている、「日本の台湾植民地政策はインフラ整備などよい面が多かった」という話は、ほとんど描かれていない。ただ、そんな日本人にとって心地よい情報ばかりをコピペして垂れ流すメディアが、いわば「主流」となった昨今、そうした「光」の面だけではないことを示す番組が一つぐらいあって当然だ。

 ところが、思想的に許容量の小さな人たちがいて、その番組をみて苦痛を感じたから慰謝料を寄こせと、NHKを訴えようとしているという。政治的に真正右翼な人々+保守系学者+ネトウヨ8000人(笑)による集団訴訟だ。8000人もの人が、訴状を読まないままに、白紙委任するなど前代未聞だし、訴因構成にもかなり無理があって、客観的にみても勝訴どころか訴訟そのものの成立さえ危ぶまれるのだが、一種の「右翼的な市民運動」として展開されるだけに、その経過はウォッチする必要があると思っている。

 訴えの内容は、例によって「取材過程の恣意性」「用語の不適切な使い方」など枝葉末節をとらえ、それが放送法に違反するという形式主義的な衣装をまといながらも、その内実は、きわめてイデオロギー的である。ひと言でいえば「NHKとアサヒは中共の手先だから、それを解体する必要がある」という、かなり過激なものである。その過激さというか、お下劣さは渋谷のNHK前での抗議行動にもよく表れていて、門衛に向かって「自殺しろ!」とまで叫ぶ輩も出る始末である(その滑稽ぶりはYoutubeで見ることができる)。

 NHKは「偏ってはならない」のはその通りだとしても、テレビもまたジャーナリズムの一機能であるとすれば、世の中全体の意見の分布を見通しながら、埋もれつつある少数意見を掘り起こし、世論の公平を期すことは、なんら不偏不党原則に抵触しない。長いインタビューの全体の趣旨を勘案しながら、その本質的部分をコメントとして切り出すことは、ドキュメンタリーの通常の手法であり、その点でも特に問題があったとは思えない。そのことは、オモイッキリ右に偏った偏向テレビ「チャンネル桜」による証言者・柯徳三氏への番組検証インタビューをみて、なおさらそう思うのだ。

台東駅頭に立つ台湾先住民の像

 「人間動物園」や「日台戦争」といったタームに対して、「耳慣れない用語」だからとして批判する向きもあるが、それについては参考文献まで例示しながら、NHKは用語を採用した経緯を説明している。小林よしのりのマンガ『台湾論』などに比べれば、はるかに実証的な手続きを経て、番組作りを行っていることがわかる。(このあたりの詳細な論証は、複数のブログ、たとえばココ などで行われている)

■植民地主義のウソと罠

 ところで、台湾領有がけっして平和的・友好的に行われたわけではなく、清国軍隊や台湾住民との激しい戦闘を経て達成されたことは、ふつうの日本近代史の知識があれば誰にもわかることだ。こうした抵抗の芽があったからこそ、その後の同化政策は徹底を極めた。その同化政策を積極的に受け入れた台湾人も多かったが、それはそうでなければ植民地の中では生きていけなかったからにすぎない。

 日本の台湾植民地政策が、欧州列強のそれや、日本の朝鮮半島支配に比べて「苛烈ではなかった」という評価は、同化政策が一定進んだ後の段階についてならある程度言えるが、しかし、その段階でも、台湾人が日本人(植民者)とすべての点において平等に扱われたわけではなく、公然・隠然たる差別があったことは、この番組に登場する証言者の言をまつまでもなく、歴史的事実である。

 鉄道の話から始めたので、それに関連して一点だけ例示しておく。

 先にも触れたように、台湾の鉄道インフラ整備を行ったのは総督府だが、これらの鉄道用地確保は原則、無償没収によって進められた。日本人や外国人には異議申し立てが認められたが、台湾人には認められなかった。そのため「不法なる占有地」として新聞に採り上げられ、また補償要求の裁判になるなど、鉄道への住民の反感はけっして小さくなかった。

 鉄道収益は一時、総督府歳入の10─20%を占めるまでに至った。貨物の多くは、砂糖、米、石炭、木材、肥料であり、その多くが日本および海外に輸出され、日系資本は大儲けをした。その利益の一部はもちろん、植民地に再投資されたろうが、植民地経営は本質的に収奪を目的とするものであったことを忘れるわけにはいかない。少なくとも、日本の植民地経営の目的が、台湾人の民生向上のためだったなどという理解は、経済と歴史についての本質的無知から来ている。

 それはともあれ、重要なのはこの台湾総督府鉄道の従業員の構成だ。

 1938年度時点で従業員数は1万人を数えるが、そのうち5841人(53.1%)が日本人だった。高等官、判任官といった管理職と中枢部門については、556名のうち実に 553名(99.4%)までが日本人によって占められていた。そればかりか、現場の単純労働者から踏切警手に至る、現業を担当する傭員も、7079名中、2576名(36.4%)は日本人だった。

 また、日本人と台湾人の給与格差は職務階層の別を超えて、日本人は台湾人の3〜5倍はあったという。[参考文献:高橋泰隆「植民地の鉄道と海運」 岩波講座 『近代日本と植民地5 植民地化と産業化』所収)

 これは何を意味するのか。

 まず言えることは、たしかに鉄道インフラを構築したのは日本だが、実際の管理・運用は現地台湾人の手には委ねられていない、ということだ。初期には現地に鉄道経営や運用のノウハウがなかったために日本人の手で運用せざるをえなかったのは確かだが、陸軍による台北─基隆線の運行開始(1895年)からゆうに43年も経つ1938年に至っても、管理職はもとより、傭員に占める台湾人比率もけっして高率とはいえない。これでは線路は敷いたが、鉄道の運用ノウハウは植民地に移植しなかった、といわれても仕方がない。

 「一視同仁」政策の下で、台湾人に対しても十分な教育と職業選択上の機会平等を提供していれば、当時の台湾の人口比率からしても、このような職場構成になるはずがないのである。そこには公然・隠然たる職業選択あるいは昇進における差別があったことがうかがわれる。

台北の寺院にて

 台湾は軍事的には日本の南方進出の拠点であり、鉄道は軍需物資の輸送にも使われた。そうした軍事的観点からも、現地人をあえて高官として育成しなかったということも考えられる。単純な資本の論理からすれば、日本人と台湾人の間の給与格差が3〜5倍はあるのだから、きちんと教育を施した上で現地化を推し進めたほうが、利益率は高まるはずである。それをしないのは、まさに台湾鉄道が軍事の生命線であるからだ。いつ寝返るかわからない台湾人などに、その運営を任すことはできないものとして認識されていたのだろう。

 こうした植民者からの被植民者に対する差別のまなざし(その背景には植民者の怖れがある)は、教育機関はもとより、社会の至るところに存在した。台湾鉄道はほんの一例にすぎない。

「差別」を当然視しながらも、かたや「同化」を強制し、同化の階梯を上りつめる過程で、心身ともに帝国への絶対服従を心から願わせるようにさせる……。植民地主義のメカニズムは、それなりにうまく機能した。しかし、植民者も、被植民者も、そこに心からの平安を抱いていたわけではなかった。

 自らの存在意義を民族に求めるのであれ、国家に求めるのであれ、はたまた個に依拠しようとするのであれ、近代社会に住まう人々が自らのアイデンティティを構築する上では、植民地主義は不適切であり、不合理であり、不道徳なシステムなのである。そうした観点を獲得しない限り、私たちは永遠に植民地主義を相対化することができず、自らもその罠にはまり続けるだけである。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ kunio@muon (2009-06-29 (Mon) 22:42)

ちょうどその番組を見終わったところです。訴訟のニュースがあったので興味を持ったんですが、じつにまっとうな内容の番組だと思い、NHK受信料を払い続けていることが少し報われたような気持ちにもなりましたよ(見たのはYouTube経由ですが)。
この番組をどうやって訴えることが可能なのかなあ。

_ ひろぽん (2009-06-30 (Tue) 02:04)

kunioさん:
>この番組をどうやって訴えることが可能なのかなあ。
 いやあ、そこに私も興味があるところ。彼らの訴えは、そもそも裁判に馴染まないとは思うのですが、さてどうなることやら。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。