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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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2009-02-20 (Fri)

[movie] ソダーバーグのゲバラ映画

1月に前編『チェ28歳の革命』(原題:The Argentine)、2月14日に後編『チェ39歳別れの手紙』(原題:Guerrilla)を観た。画像の説明

前編では以下のようなことを感じた。

・デル・トロよりゲバラのほうが数倍カッコイイ。デル・トロは野獣的すぎて、知的ではなく、そもそも、配役としてもう少し痩せるべき。

・ノンフィクションではないとはいうものの、モンカダ兵舎襲撃や、グランマ号による上陸作戦(の失敗)など、重要なモメントが外されているのは疑問。モンカダ襲撃にはゲバラは参加していないけど、キューバ革命を表現する上では重要だと思うのだが……。

・ゲバラの1964年の国連での演説シーンが度々挿入されるが、時期的にはシエラ・マエストラでのゲリラ戦より後の話であって、背景を知らない観客は混乱するかもしれない。

総じて、ゲバラがなぜ・何のために戦うのかというところが説明不足。映画としては、ゲバラのキューバ革命前史を描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』(主演ガエル・ガルシア・ベルナル)のほうが圧倒的によい。ま、こっちでゲバラの「動機」を理解しておいてから、『チェ 28歳の革命』を観て下さいという話だろうか。

こうした難点はたしかにあるものの、最後まで飽きずに観ることはできた。監督に妙なイデオロギー的思い入れがなくて、革命運動という「戦略」よりは、革命運動下におけるゲリラ戦という「戦術」的な視点を貫いているからかもしれない。あとは見る側が、それぞれのゲバラへの思い入れで補ってくれ、とでもいうかのような、やや突き放した感がある。逆にいえば、ゲバラを知らず、ゲバラへの思い入れがない人が見ると、戸惑うだけの映画かもしれない。

後編もまた同様だ。こちらはほぼ全編、ボリビア山中の山岳戦を淡々と描いている。ボリビアに入国するにあたって、ゲバラは偽のパスポートをつくり、ビジネスマンの身なりを装うのだが、その変装が、いま残されている実際の写真とソックリだとか、ゲバラと共に闘った女性兵士タニアがけっこうドジで弱々しく描かれているとか、このタニア役のフランカ・ポテンテと、神父役で一瞬登場するのはマット・デイモンで、おおこれは『ボーン・スプレマシー』以来の共演ではないかとか、映画的に興味深いエピソードはあったものの、映画の展開は基本的には『ゲバラ日記』に依拠しているようだ。

その本は、山岳戦の日常を細かく記したものだが、村人を巻き込んだ有効な戦線をつくり出すことができず、疲労と病気と怪我と食糧不足に悩まされながら、全体に敗北へと向かう暗鬱なトーンが支配的で、かつて読んでいて息苦しかったことを記憶する。映画でも、部隊がいくつにも分断され、それぞれが違う稜線や谷間をたどりながら撤退したり、合流しながら、どんどん追い詰められていく様子がリアルに描かれる。

キューバ革命のように、山岳と地上の2つの戦線の有機的結合は、ボリビアでは実現できなかった。今からすれば時期尚早の冒険主義であって、ゲバラの敗北はいわば必然でもあった。ただ、そうであったとしても、なおゲバラがボリビアに向かわざるをえなかった、その身もだえするような革命への思いが、本来は映画の主題であるべきなのだが、残念ながらその描出に成功したとはいいがたい。一口でいえば、描き方が「淡々とすぎる」のである。

以前、NHKが放映した戸井十月によるドキュメンタリーでは、処刑直前のゲバラと、彼に水を運んだ村の女教師との会話というのがあったが、そこは映画には描かれず、代わりに見張りのボリビア軍兵士との短いやりとりが挿入される。「キューバには信教の自由はあるのか」と問う兵士に、ゲバラはこう答える。「もちろん、あるさ。ただ、私自身は無神論者だ。私が信じているのは、人間だ」。その言葉の力強さに、ボリビア兵は一瞬たじろぐ。そのように、ゲバラには言葉と行動を通して人を変える力があった。それがボリビアの社会的現実を変える力=ヘゲモニーに育つには、その後の40年という歳月が必要だった。

デル・トロもまあ一生懸命、演技をしたし、ソダーバーグもまあそこそこ撮ったとはいえるだろう。しかし、望むらくは、ゲバラによって触発されたかのような、より奥深い映画的エネルギーだった。そこがこの映画には欠けている。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。