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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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2009-11-30 (Mon)

[book] 植草甚一の時代性あるいは反時代性

昨日、近所をぐるぐる散歩しながら津野 海太郎著 『したくないことはしない──植草甚一の青春』(新潮社)を読了。

J・J氏こと植草甚一について私は決して熱心な読者ではなかったが、70年代サブカルチャーのカリスマの一人だったことはよく覚えている。

ただ、個人的にいろんな意味で切羽詰まっていた学生時代のこと、「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」などという心とおカネの余裕はなく、彼の散文をちらちらと読むことはあったものの、植草ワールドに深く浸ったという経験がない。一昨年、世田谷文学館で回顧展が開かれていたことも知っていたが、見逃してしまった。それでも、あの爺さん、どういう人だったんだろう。なんであんな変な人があの時代に脚光を集めたのだろう、という関心は持続していた。

本書は70年代の若者からカリスマ的な人気を集めた植草甚一を世に送り出した一人である、晶文社の名編集者・津野海太郎による評伝だ。

津野は植草と時代を伴走した人なのだが、評伝を書くにあたっては個人的な回想は極力控え、絶妙の距離感を維持しながら、ときには自問自答を繰り返しつつ、ゆっくりとその人物像に迫っていく。津野の軽やかな文体には、もしかすると植草の影響があるのだろうか。その味わいも本書の特色の一つとなっている。惜しむらくは、この本が経営危機の最中にある晶文社から出ずに、新潮社から出ざるをえなかったことだ。

描かれるのは、日本橋の没落した木綿問屋の道楽息子だった植草が、大正期モダニズムや、左傾化と同義でもあったアバンギャルド芸術の風を浴びながら、大震災と戦争をくぐりぬけ、戦後の鬱屈した中年期を経て、そして70年代、突然のように脚光を浴びるまでの時代だ。

江戸川乱歩をも驚愕させた海外ミステリーに関する博覧強記、ミステリーにとどまらない膨大な海外小説や映画あるいはモダンジャズについての知識、しかもそれらを決して体系的にまとめることはなく、雑学のコラージュのように展開する手法はなぜ生まれたのか。

津野は、たんに植草個人や植草家に関する調査にとどまらず、彼がその周辺にいて、建築、演劇、映画、文学などの分野でさまざまな影響を受けた人物──たとえば村山知義、今和次郎、飯島正、徳永康元、淀川長治らとの知的交流の様子を、都市モダニズム文化の青春群像として描き出す。キーワードは、植草が抱えもっていたのではないかと推測される、山の手文化や帝大アカデミズムに対する、ある種のコンプレックスだ。

植草の本業ともいえる、映画、ジャズ、海外小説批評とて、けっしてその専門集団のなかでは主流とはいえなかった。それは植草の独自性でもあるが、同時に彼の鬱屈の原因でもあったと、津野は分析する。

しかし、永遠の非主流派であった植草の教養が、時代と交差する一瞬が70年代に訪れる。最後の大爆発をする老星の光芒が、都市化と大衆消費文化の70年代に火の粉のように降りかかる。高度成長期の日本で、遊歩する都市の楽しみを見失いつつあった当時の若者によって、植草は「見いだされた」。たまたまその時代は、これまでメインカルチャーの影に隠れていた、映画、ジャズ、ミステリー、街歩き、ショッピングなどのサブカルチャーが、あらためて発見された時期でもあった。いわば、植草は変わらないけれど、時代が変わったのだ。津野によれば突然に当てられたスポットライトのなかで、植草は永年のコンプレックスから解き放たれ、悠々と一人「老年の祭り」を演じていたのではないかというのだ。

都市の「散歩者」としての永井荷風や、同じ日本橋の没落商家の息子としての谷崎潤一郎との文化史的な比較も面白い。そうすることで、本書は植草の時代性ないしは反時代性を浮き彫りにすることに成功している。画像の説明

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ Circus (2009-12-01 (Tue) 11:56)

徳永康元は意外です。そうだったんですか…。私は彼のエッセイが大好きです。

_ ひろぽん (2009-12-01 (Tue) 12:31)

戦前、神田にあったシネマパレスという映画館で共に「うら若い活動狂」として顔合わせしていたらしいです。私は田村隆一がハヤカワの若い編集者だったころ、植草のことを親身に世話していたというエピソードが面白かった。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。