ナチス末期の通貨偽造工作「ベルンハルト作戦」は実際の出来事で、ザクセンハウゼン強制収容所のユダヤ人に贋造させたポンド紙幣は当時の流通量の1割に達したというからすごい。贋造すればナチスを助けることになるが、それを拒否すれば再び強制労働や銃殺の目にあう。死を賭して正義を守るのか、義に背いても命を守るのか。そのジレンマに置かれた囚人たち。
彼らの生殺与奪の権利はナチスの将校の手に握られている。彼らの命は、面従腹背というぎりぎりの線上に、か細いマッチの灯のように揺らめくしかないのだ。限界状況におけるスリリングな駆け引きのドラマといえばその通りで、それはよく描かれ、娯楽作品としての一流の仕上がりになっている。だが、映画が向かうのは、たんに個人が直面する理不尽なジレンマというよりは、より普遍的な人間の連帯に関する問題であると思う。
贋札づくりのためにナチスに選ばれ、優遇される囚人たちがいる一方で、壁の向こうには、強制労働(軍靴のテストのために走らせられ続ける)と死を待つだけの「選ばれなかった」囚人たちが存在する。互いが交流することはけっして許されない。精巧な贋札を作り続ける限り、選ばれた囚人たちは生き延びることができるが、それはナチス体制の延命に繋がる。そして、自分たちの生の時間が長引けば長引くほど、選ばれなかった囚人たちの命は縮まるのだ。
収容所解放の瞬間に、その残酷な天秤の存在を、あからさまに知ることになった主人公たちの解放後の「生」とは何なのか。
自分は助かったという安心感と同時に、自分だけが仲間を犠牲にして生き延びてしまったという罪悪感。これもまた、収容所に囚われた人々の心理に典型的なものだとは思う。そして、それはシチュエーションを超えて、再びこれからも起こりうる限界心理ではあるのだ。
そのあたりをきちんとえぐりだすことで、映画はより深みを帯び、見応えのあるものになった。もともと贋札づくりのプロであったがゆえに、作戦に抜擢された主人公サリー役の、カール・マルコヴィスクという役者。見るからにノワールで悪党風な風貌がいい。私にとっては、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』などと並んで、記憶に残るホロコースト映画の一つに数えられることになるだろう(☆☆☆★/5点満点)。
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