GW中は映画も観た。劇場では『バベル』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)。これにはきわめて高い評価をあげたい。こんな緊張感のある絵づくりをする監督には久しぶりに出会った。人の心の問題と同様に、グローバリズムの不気味さにもきちんとメスを入れている。いわば、世界ー内ー存在としての視野というべきか。昨今の日本の映画にはなかなか真似できないスタイル。この監督の前作『アモーレス・ペロス』『21グラム』も急いで観なければ。
DVDも当たり週間。『白バラの祈り──ゾフィー・ショル、最期の日々』は、独裁政権下における人間の倫理を問う秀作。ナチス末期にはすでに共産主義者・社会主義者の抵抗はほぼ消滅していたが、軍部の反ヒトラー派と、プロテスタント左派はかろうじて生き延びて、そのほんの一部が抵抗を行っていた。
ショル兄妹の白バラ運動には、西欧風の近代民主主義の理想と同時に、プロテスタントの信仰心が背景にある。彼らは神との対話を経て、そこで得た確信をもとにナチズムの蛮行を裁き、倫理的に優位に立つ。だから強い。
ナチスの検察官や裁判官による取り調べは、まさに異端審問官との議論のような様相を呈する。あたかも、ジャンヌ・ダルク裁判のような。結局、ナチスはゾフィー・ショルの神学的な問いにさえ答えることができない。それに答える代わりに、逮捕後わずか4日目の即決裁判で彼らをギロチン刑(!)に処す。ナチスは政治的・軍事的以前に、倫理的に敗れていたのだ。
このような思想対立(宗教的倫理とファシズムとのイデオロギー闘争といってもよい)は、欧州社会に特有のものではない。日本でも一部のキリスト者や新興宗派の抵抗はあった。だが、すべての宗教者が戦争に反対したわけではないのは欧州も同じだ。ファシズム自身がときには宗教的衣裳を身にまとって登場したし、国家との緊張感を失った宗教は、ほとんどが体制に迎合した。そうした負の歴史を、あらためて思い出す。
この政治と倫理というテーマに関連していえば、70年代イタリアにおける新左翼テロリズムの倫理問題を扱った『夜よ、こんにちは』(マルコ・ベロッキオ監督)がそこそこ面白かった。ここでは、ファシズムに勝ったパルチザンの末裔としての新左翼が、キリスト教民主主義者に倫理的に敗北しているのである。
それらの作品とはほとんど関係ないけれど、今春からスペイン語を勉強し始めた関係で、スペイン語圏の映画は積極的に観ようと思っていて、そこで引っかかった『僕と未来とブエノスアイレス 』(ダニエル・ブルマン監督)という作品もなかなかの佳作。
アルゼンチン・ブエノスアイレスのユダヤ人社会が舞台。ガレリアと呼ばれる商店街の、個性ある面々が、ヒューマニスティック=ユーモラスに描かれる。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
「今春からスペイン語を勉強し始めた」・・・あれッ!? 英語の勉強は完結したの?
「燃える海」さんって、もしかして海の炎の方ですな。語学の勉強に「完結」はありませぬ。英語のほうは、テレフォン英会話を最近、始めました。毎日10分。どこまで続くか自信ないけどね。