物欲と必要性に負けて、土曜日のアキバヨドバシでパナのLUMIX LX2をget。次期コンデジ購入候補として、PowerShot A640、GR Degital と共に挙げていた機種の一つではある。
帰宅後、いろいろコンフィグをしていると、まあ、いろんなことができるんでびつくり。一例として、子供の写真を撮るときに生まれてからの月齢をセットできたり、海外旅行に出かけたときも、旅行の「1日目」とか「2日目」とかを自動でタイムスタンプできたり。ちょっとやりすぎだろうと思うが、「ニーズ」とやらがあるのだろう。日本の家電製品はどこかがやるとすぐまねするから、これもきっとどこかで真似されている、いや、こっちのほうがマネシタのかも。
日曜日、予定外の取材で東宮御所から皇居周辺をカメラマンと散歩。16:9の画角で3072×1728ピクセル(約2.5MB)に設定し、53枚撮ったところでバッテリーが切れた。液晶モニターを日中にも見やすいパワーLCDというのにしていたこともあるのだろうが、こりゃ旅にでも出たらとても1個じゃ持たないね。
いろいろマニュアル的に撮れる機能はついているが、ワイド系で「P」モードでパシャパシャやったほうが画質は安定しているような気がする。
7月15日にはたまたま何年かぶりでラブパレードが開催されるというので、物見遊山で6月17日通りに出かけた。
世界最大規模のテクノ・レイヴの祭典というのだけれど、テクノもレイヴもようわからんおじさんには、ただひたすらズンドコズンドコのウーハー音だけが耳に残る。まあ、うるさくはないけれど、音楽には聴こえない。もちろんトランス状態になんかはならないけれど、奇抜なファッションの若者たちを見るのは、けっこう面白い。
というわけで、カメラマン気取りで人並みをかきわけ、けっこう撮りましたな。写真の練習にはなりました。
ベルリンから帰ってきてはやひと月半。日本はそろそろ秋風が吹く頃です。ベルリンで撮影した写真は、わが iPhoto が数えてくれのだけで、700カットにも達します。他にもお見せしたいものはありますが、キリがないので、そろそろこのあたりでベルリン点描は終わりにすることにします。
終わりを告げた舌の根も乾かぬうちに、ベルリン点描、ちょっとだけ再開。なかなか捨てがたい写真があったもので。
「Badeschiff」(バーデシフ)。直訳すると「風呂船」。「水浴船」と訳している日本語サイトもある。最近話題の、夏のベルリンのイベント・スポット。
ベルリンを横断するシュプレー川に、古い石炭コンテナ船を浮かべ、船倉に水をためてプールにした。プールの底には照明を設置。日が暮れるとこんなふうに川の中のプールがブルーに浮かび上がる。もちろん、ちゃんと泳げるプールだ。
桟橋風のステージでは、夕暮れ時からアマチュアバンドが、音楽ともトークともつかぬパフォーマンスを始める。100人ほどの人出だったが、おそらく夜がさらに更ければもっと人出が増えそうな気配。そばには倉庫を改造したディスコも店開きしていた。
スザンナ・ローレンツというアーティストと建築家集団が手がけた展示の一部なのだとか。日本風にいえば、リバーサイドの活性化ということだろうが、仰々しくなく、さりげなく、のんびり人々がくつろいで夏の夜を楽しむという風情。ま、日本だと浴衣姿のカップルがぞろぞろお出ましで、一発ドカ〜んと花火大会なんだろうけれどね。
ベルリンが16年前までイデオロギーの異なる2つの国に、壁によって分断されていたことはこれまで述べてきた。壁崩壊後の16年は、それ以前からベルリンに住む人にどのような意識の変化をもたらしたのか。とりわけ、東側の人にとって、この16年の意味はけっして小さくはないはずだ。
16年の間に、異なる体制への順化は十分に行われたのだろうか。たとえ悪魔のごとき体制であれ、その下にはぼんやりと平和な日常の時間が流れていたわけで、その日常に浸っていた時間が長ければ長いほど、人は新しいものにどこかで拒否感をもつのではないだろうか。
映画『グッバイ、レーニン』はまさにそうした時代の変化に立ち会った庶民を、アイロニーとユーモアを込めて描いた作品だ。「グッバイ、レーニン」では東側の集合住宅に住む一家が主人公だったが、まさにその家族が住んでいたかのような、住宅の内部を見る機会があった。
駅の名前は忘れちゃったけれど、ベルリンの郊外まで電車で行って、そこから歩いて5分ほど。4〜5階建ての低層マンション群があって、その一室。日本風にいえば住宅公団のような組織が、1970年代のまま、つまりは東独社会主義がそれなりに経済成長で賑わっていた時代のままに、リニューアルしてミュージアムとして公開しているのである。
リニューアルというのは言葉としてはおかしいが、室内を当時のまま再現するために、オールドファッションな壁紙や古い家具を探してくるのが大変だったよと、案内してくれた60歳ぐらいのガイドのおじさんが話していた。
広さは2DK。壁のつくりはややチープだが、けっして貧相とはいえない。狭いキッチンでの夕食後は、リビングに窮屈に並べたソファでテレビを見てくつろぐ、そんな情景が立ちのぼる。子ども部屋に貼ってあった世界地図には、ドイツ民主主義共和国はもちろん、ソ連も当時のままの版図で載っていた。
70年代という時代水準で比べれば、日本でも東京郊外の公団住宅によく見られたようなたたずまい。全体の規格化された間取りなどは、もしかしたら日本の戦後の住宅政策は東ドイツに学んだのではないかと思わされるぐらい、瓜二つである。なにせ東ドイツは当時の社会主義のなかでは優等生と言われたんだから。
リビングのテレビの上にあった小さなメーター付きの装置が気になった。聞くと、当時は電力事情が安定しておらず、電圧が下がるとテレビの画像が乱れるので、これで調整したのだという。日本だってまだその頃はよく停電があったから、似たようなものだ。
ガイドのおじさんは説明しながらときおり懐かしげな表情をする。それはイデオロギーを越えた懐旧というやつだろう。そもそもこのミュージアムを公開したのは、歴史を記録するという目的だが、少しは観光客や、あるいは新たにそのマンションに引っ越しして来ようという客を目当てにもしているようだ。日本からも若い観光客が見に来るよと、言っていた。
社会主義レトロは、70年代という時代や東西分断の歴史を知らない時代の若者たちには、キッチュで新しい意匠のように映るのだろう。
原稿締切を守らないのと、原稿料を払わないのと、世の中的にはどっちのツミが大きいのだろう。もともと原稿を書き出すのが遅い。締切破りの言い訳はさんざんしてきた。遅れながらもなんとか放り込んでそれが誌面になる。でもギャラの話が全然でないので、数ヶ月後経ってから「で、原稿料は?」とおそるおそる尋ねると、「あっ、うっかりしてました」と答える御仁がいる。……、う、うっかりミスはよくあることネ。俺だって、ときどきうっかりミスして、締切を忘れるもの。
そもそも原稿の納品書・請求書という概念がない会社があること自体も問題なのだが……。
原稿締切を守らないのと、借金を返さないのとでは、世の中的にはどっちが恥ずかしいのだろう。苦しいときは相身互い。俺だって若いときはいっぱい人に借金をした。だから貸した。返せないのならいつまでも待つ。いっぺんに全部返せなんて言っていないし。
「来週のいついつ返します。今度こそはほんと」と毎週のように電話してくる御仁がいる。業界の大先輩だし、事務所の社長だし、仕事を紹介してもらったこともある。でもそういう人が、たかだか20万円を半年にわたって返金できない。その事情がよくわからない。
わからないままに、その人の言い訳を分析してみる。どこかにウソがある。ウソを隠蔽するのが言い訳だ。そもそも借金を申し込んだ理由がウソっぽい。ウソの上塗りで、いまや当人自身がウソをつくことを楽しんでいるのかもしれない、などと思う。
「明日朝には絶対」「いや、土日があるから月曜日アサイチは大丈夫よ」「もう仕掛かっているから」「半分まで来たから後はラクショー」……。こっちは俺の原稿遅延の言い訳。「仕掛かっている」と言ってそうだったためしはない。「半分やっている」というのは、「今から始める」というぐらいの意味だ。ここにもウソがある。借金返さない言い訳とどこか似ている。性悪さという点でも、似たり寄ったりかもしれない。
だからといって、許せるものではない。借金を返さないのは泥棒と同じだ。俺は締切は遅れるけれど、泥棒はしないよ。
この前「秋篠宮」をATOKで出そうとして、一生懸命打つんだが、変換してくんないの。そのうちキーをミスして「悪しき飲み屋」になったりして。ふと気づいた。「秋篠宮」は「あきしのみや」ではなく「あきしの・の・みや」と、「あきしの」と「みや」の間に「の」が入るのね。当たり前だろ、そんなことも知らんのは、日本人で俺だけだ。
あのお宅は子どもの命名も変わっていて、「眞子」はなんと読むのかと思ったら「まこ」だってよ。「佳子」はさすが「けいこ」だろうと思ったら、「かこ」なんだって。直球じゃないね。曲げてくるね。これがあの家系の伝統だとすると「雅子」は「がこ」かね。
でなにかと話題の長男坊は「悠仁」。「ユージン」か、ユージン・スミスって写真家がいたな、外国にも通用するいい名前だな。もしかすると両親は「ゆず」のファンかもね、と思ったら、「ひさひと」なんだと。ふつう読めないよ。3球ともカーブで来たね。屈折した伝統ってやつかもね。
仕事仲間の編集者、デザイナー、カメラマンとその家族らと連休は沖縄本島グループ旅行。昨年夏の取材旅行の一部を再現する旅。台風13号を迎えにいくような感じの日程で、当初は出発が危ぶまれたが、なんとか那覇に到着。宿はもう3度目になる浮島通りの不思議なホテル「浮島タウンズ旅館」。マンションの2LDKを改造した一室に男女6人で雑魚寝。
台風は東シナ海を北上中。風は強いが雨はそこそこ。「うりずん」で飲んで、翌朝、牧志公設市場をからかったあと、7人乗りワゴンでルート58を東シナ海沿いに北上。いわゆるビーチ・リゾートやリゾート・ホテルの旅ではないのだが、嘉手納の米軍ビーチには寄り道して、しばし水遊び。恩納村では断崖絶壁の万座毛の景観に感動。その晩は、今帰仁村のゲストハウスのコテージに一泊。
今帰仁村の晩がハイライト。懐中電灯を照らしながら行く、地元の飲み屋さん。昨年は近所の浜で獲れたウニを死ぬほど食べた。今回は台風や盗獲の影響もあって不漁とか。その替わり、山羊刺、山羊汁、その他たくさん。
3日目は世界遺産・今帰仁城址をみてから、ほぼ来た道を戻る感じで、途中、ランチにアグー豚を食べたり、瀬底島に渡ったり、ふらふら寄り道しながら、那覇へ。
沖縄までの2週間ほどめちゃくちゃ忙しくて、寝ているのだが起きているのだかわらかん状態が続いたが、でも、この日のために頑張ったかいがあったなあ。なんということはないのんびりドライブ旅行なんだけれど、天気は少々悪くとも、これが沖縄本島の空気。そのじとっとした感じやら、道ゆく車中や飲み会の馬鹿話に、神経がゆっくりマッサージされた。それにしても、よく寝れたゾ。
安倍首相の「自律の精神を大事にする、世界に開かれた『美しい国、日本』」というスローガン。なんか中学生がひねり出した交通標語みたいだなあ。市井で汗かいているふつうの人には、「けっ」てなものであろう。
「美しい国」とは約めていえば「美国」。中国語、韓国語では「アメリカ」のこと。そか、「美しい国」を目指すとは「アメリカ=日本」一体化政策のことなのか。あるいは、「アメリカンな」コーヒーのごとく薄っぺらい国づくりのこと? 少なくとも「美しい国」はお菓子屋さんの商品名ではあっても、国づくりのスローガンたりえる言葉ではないだろう。
立花隆は安倍に対する印象を「なんかつまらん男だ」と語っているが、私はそれ以上に、そのつまらなさが「やばい」と感じている。
企業戦略だとかビジネスモデルだとかの能書きだけ長けて、末端で働く人の苦しみが理解できないエリート・ビジネスマンに最近よく出会うが、彼らの人間としての「つまらなさ」と安倍の「つまらなさ」はどこかで通底しているような気がする。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ kusa [この間yuさんのを見て、僕も後継機種を狙っていたんですよ。レンズの部分も黒くなりましたね。もちろん黒ですよね?]
_ ひろぽん [むろん、黒です。MacBook だって黒だしぃ。]