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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2006-07-04 (Tue)

[life] NANONANO

忙中閑ナシ、なんだけれど、六本木ヒルズの有料展望台のショップで、NANONANO の携帯ストリップを買う。ドイツへのおみやげで指定されたものだが、自分も一つ欲しくなっちゃった。M-08

宮島浩一さんという作家が、小さなメカ部品を手作りでくっつけて、メタリックでユーモラスなミニロボットの表情をうまく出している。なんというかですね。これはもしかしたら、日本人にしか作れないかもしれない、現代の「根づけ」ですね。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ むくひろ [ねつけ、では?]

_ ひろぽん [あっ、そそ、「根つけ」です。ご商売、順調ですか?]

_ 小石川T [根津の言問いと不忍ず通りの交差点の近くにおもしろい「ねつけ」を置いているお店(日本茶が飲める)がありますよ。明日はい..]


2006-07-07 (Fri)

[trip] ドイツへ

というわけで機内の人になりました。いま、ウラル山脈上空あたりの SAS の機内でボーイングの Connexion by Boeing という機内無線LANを使っての接続テスト。1時間$9.95の従量時間課金制。ビジネスクラス向けのサービスかと思っていたが、ふつうのエコノミーでも自分のノートPCを持ってくれば、使えるね。画像の説明

しかし毎度の事ながら今回も徹夜明け。荷物パッキングをする時間もほとんどなくて、いろいろ必要なものを忘れ、ムダなものを持ってきたかもしれない。ふらふら状態でなんとか飛行機に乗り込み、4時間ぐらい寝ていま起きた。


2006-07-09 (Sun)

[trip] ベルリン点描1

7日、ベルリン入り。準決勝でドイツが敗れたとたん、天が号泣したような激しい雷とスコールのような驟雨がベルリンを冷やしたという。曇りのち晴れ間、ときどき小雨という感じの天気。

滞在先は旧東ベルリン地区の「ミッテ」と呼ばれるあたりで、ドイツ統合後、このあたりには西側商業資本による再開発が進んだが、日本のように建物を全取っ替えというわけではなく、古い社会主義レトロな雰囲気は色濃く残る。近くにはローザ・ルクセンブルク通りというのまであると聞いて驚く。若い芸術家が、むしろその街のたたずまいに新しい価値を見いだして移り住んだ。

キッチュな70年代風デザインの小物を売る店があったり、旧ソビエト軍の軍服を売る店(さすが、ナチスの制服はなかったが)があったり、東京でいえばさながら裏原宿のようなところか。旧社会主義体制の象徴だったテレビ塔が、いまは亀甲のサッカーボール風にペインティングされて、マンションの広いベランダからよく見える。

それでも蒸し暑さの残るなか、8日、ブランデンブルク門から伸びる通りに展開されるパブリックビューのイベントに出かける。ドイツの友人たち、後発の日本からの3人と一緒に、ドイツ×ポルトガルの3位決定戦の前半まで観て、その後は滞在先のマンションに近い駅まで帰り、バーのテレビで観戦。なにせ決勝戦ではないので、その盛り上がりも中ぐらいなりだが……。

街にはイタリア人サポーターが目立ち始めた。フランスのユニフォームはまだ少数だ。

さて、今晩はいよいよ決勝戦。どうなることやら。 画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明
本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 小石川T [イタリアが優勝しましたね。決勝戦はいかがでした。]


2006-07-19 (Wed)

[football] 2006年W杯決勝戦

巷には、あれからひろぽんはちゃんとW杯ファイナルを観ることができたのだろうかという心配のむきもあるようなので、いちおう7月9日ベルリン・オリンピアシュタディオンにおける証拠写真をば。

ただ、あらかじめ断っておきますが、「ジダンの頭突き」なるものはこの目で現認しておりません。座席がそのときのフランスゴール際、つまりジダンとマテラッティがやりあったのとは反対側で、しかもこちらサイドへ運ばれるボールの動きを注視していたため、試合がストップし、遠くの方でジダンにレッドカードが出されるまでは、何が起きたのか全くわからなかったのです。画像の説明画像の説明

それにしても堅くて地味な試合でした。守備の巧拙だけを言うならば、何度か同じようなサイドから破られつつあったフランスの守備。それに対してイタリアは堅牢で、なかでもカンナバーロはやっぱりスゴイというのはよくわかりましたが……。

ジダンを退場させてからのイタリアの消極的な攻めには、いまも納得がいきません。PK戦などに幻想をもたず、リスクを取ってでも攻めて欲しかったと思います。というわけで、試合終了後は歓喜の渦の中にいるイタリア選手団やサポーターを、半ば白け気味で見ておりました。画像の説明画像の説明

W杯決勝戦だからといって、必ずしもその大会のベストゲームになるとは限らず、そうでないケースの方がむしろ多いのです。

それでも、6万人余の大観衆とともに、サッカーの歴史の一こまの中に自分自身がいたことは事実です。3時間前には会場前に到着し、酷暑の中のファンフェスタから、優勝杯授与、盛大な花火のフィナーレまでたっぷり6時間ぐらいのイベントにつきあい、心身ともに疲れ果てておりましたが、その時間を忘れるだけの静かな興奮がずっと身を包んでおりました。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 小石川T [ご無事の帰国何よりです。]


2006-07-25 (Tue)

[trip] ベルリン点描2──テレビ塔

かつて東ベルリンを象徴したテレビ塔(Berliner Fernsehturm)は壁の崩壊後も、統合された首都ベルリンのシンボルとして生き延びている。W杯期間中は展望台のところが、サッカーボールのようにペインティングされていた。

1969年10月の完成。塔の高さは365mでモスクワのテレビ塔(537m)に次いで、欧州で2番目という。塔のデザインはまるで串刺し団子で、遠くからみるとどことなく可愛らしい。塔の内部のデザインも、私には野暮と粋がないまぜになった70年代的モダンを感じさせた。そもそもテレビ塔という言葉の響きがどこか懐かしいのだ。

滞在したマンションの窓からもよく見える。見上げるだけではつまらなく思えてきて、とある夕刻、アレクサンダー広場まで出かけ、地上200mのところにある展望台まで昇ってみた。

ベルリンは地理的には「ワルシャワ・ベルリン源流谷」と呼ばれる幅広い低地に、13世紀ごろ拓かれた都市だ。全体に平べったく、いま市中心部は近代的なビルと社会主義時代の規格化された住宅アパートが混在している。その中心部からは広い道路が放射状に展開し、郊外化している様子が、テレビ塔からもよくわかる。

壁のあった時代も当然この展望台は東ベルリン市民に開放されていたのだろう。彼らは壁の向こうの西ベルリンをどんな思いで見下ろしていたのだろうか。

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この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。