オゾン監督作品を観るのは、『スイミング・プール』『ふたりの5つの分かれ路』『まぼろし』についで4本目。
しかしまあ、カトリーヌ・ドヌーブ、ファニー・アルダン、エマニュエル・ベアール…と、なんと妖艶な女優陣。ヴィルジニー・ルドワイヤンは『ザ・ビーチ』でディカプリオに乗り換える女の子役をやったコだな。そうそう、最年少のリュディヴィーヌ・サニエは、その翌年の『スイミング・プール』では、大胆な半裸でシャーロット・ランプリングを翻弄する奔放な娘に成長していた。
雪に閉ざされた館で一家の主であり、夫であり父であり愛人でもある男が殺される。アガサ・クリスティドラマのようなスタート。「犯人はこの中にいる!」てなわけだ。アリバイや動機を問いつめられて、それぞれが語り出す、ウソかマコトか、奇々怪々の内実。でも全然深刻じゃないんだけれど。
映画は一幕の舞台劇のようでいて、フィルムの色彩がまるでハリウッド全盛期のテクニカラーのようでいて、途中で女優達が突然、歌い踊り出すインドムービーのようでいて(ほど大げさではないが)。
典型的な“ハイミス”役のイザベル・ユベールがピアノ弾き語りで、なんとフランソワーズ・アルディの「Message personnel(告白)」を涙ながらに歌い出したときには、私たまげましたよ。歌詞の内容はもう忘れちゃったけど、ああ、なんとも懐かしい、フランソワーズ。
まあ、ストーリー的にはどうってことない映画だけれど、現代フランスの、世代をまがたる女優達の演技の駆け引きが、存分に楽しめる。それを引き出したこの監督、あらためて才能あるわ。(★★★☆/★5つが満点、☆は1/2)
勝ち点・順位自動計算式(笑)をいちおう組み込んだグループ組み分け表(といっても、2002年のやつのコピペだけど)をExcelで作成して、そろそろお祭りモードを盛り上げる。テレビ、新聞、雑誌の下馬評は全然読んでない(だいたい外れるし)んで、2抜けチームの予想が難しいけれど、ま、だいたいこんなところだろう、なんて◎つけたり△つけたりしながら……。
竹芝のマンションで事故を起こしたシンドラー・エレベータって、世界第2位のシェアなんだってな。日本だと日立、三菱、東芝なんかが優勢だからあまり目立たないけれど。
エレベーターの世界トップシェアはオーティス(Otis)。1853年の創業だ。この Otis に因んで、この前面白い映画を観た。
メグ・ライアン主演の『ニューヨークの恋人』(2002年)。一種のタイムトラベル・ラブロマンスものなんだけれど、タイムホールを抜けて19世紀からやってきた男(ヒュー・ジャックマン)が再び19世紀に戻るとその後、エレベーターを発明したことになっている。つまりは、オーティス・エレベーターの創業者ってことだろう。
Otis の命名には少々伏線があって、ヒューが20世紀のニューヨークで過ごすときに、マンションのドアマンの名前が、Otis 。忠実にドアを開け閉めしてくれるドアマンの名前に因んで、昇降装置をそう名づけたというストーリーだ。本来、エレベーターってのはそうあるべきしろものだからね。
実際のオーティス・エレベーターの歴史は、世界で初めてガバナマシンを取り付けた蒸気エレベーターを発表した米国人エリシャー・オーティスが創業とある。だから映画とは違うんだけれども、イノベーター好きのアメリカ人をニヤリとさせる仕掛けなのかもしれない。
マンションの階下に住むメグの前のボーイフレンドは、PCおたくで、タイムスリップした19世紀男を部屋に匿っているのだが、その言い訳に「NYで開かれるPCの見本市にやってきた友達」ということにしている。字幕では「PC」となっているが、台詞をよく聞くと、「New York Mac Expo 」と言っている。このあたりは、Macオタクがニヤっとするところ。もちろんハリウッド・ムービーの常で、彼らが使っているパソコンは、やっぱり PowerBook だったりする。メグ・ライアンは『ユー・ガット・メール』(1998年)でも PB 使ってたし、個人的にも愛用者なのかもしれない。
負けたことは仕方がないが、最後の10分の3ゴールというのは、最悪のスタートだな。ワシは日本の勝ちはない、せいぜい引き分けという予想だったが、こういう悲惨な負け方は予想してなかった。心理的ダメージ、大きいわ。
クロアチアには同じ轍を践みたくない。もし豪州戦のように早いうちにラッキーに点が取れたら、後はトリニダード・トバゴのように完全に退いて守ったらどうだろう(笑)。ま、同じラッキーが二度あるとは思えんが……。
川口を個人的に責めるつもりはないが、今日は当たっていたんで、つい前に出る癖が出ちゃったんだろうねえ。前に出るのはいいが、高い相手との競り合いではボールに触れずぶつかったとき、転がされてしまうリスクが高い、と思う。
それにしても、ヒディンク。強気の采配がズバリ的中。この人、やっぱり試合を観る目があるよなあ。「向こうはフレッシュな選手を3人入れてきたが、こちらは守備陣が疲れていた」(宮本)というタイミングをちゃんと見抜いている。長身のケネディの投入も、それを警戒する川口に、結果的にミスを犯させたんだし。
それに比べてジーコ采配。「1−1になったときに、引き分けでもいいのか、それとも勝ち越しのチャンスを狙うのか、若干ゲームのリズムも変わってしまった。前の選手は点を取りに行っていたし、後ろとしてはカウンターを食らいたくないというのはあった」(宮本)と、チームの意志がブレ始めたとき、ジーコは的確な手が打てなかった。投入した小野に何を託したのかが、不可解だ。混乱するチームは、そしてそのまま瓦解した。
日豪戦。俊輔のFKからの得点について、豪のメディアは<「オーストラリアGKが日本の選手2人に妨害された」とし「汚点となる幻覚ゴール」「未熟なエジプト人主審の理解しがたい愚行」などと批判した>そうです。
私も審判が3人いたら2人はキーパーチャージを取るところだろうと思いますが、残り1人がそうでないのは、録画をコマ送りで分析(笑)すると、むしろチャージを受けているのはヤナギと高原のほうだから。
ヤナギは前に出るGKに押さえつけられてジャンプできず、高原も2番のルーカス・ニールに手で肩を押さえられ、そのまま突き飛ばされて、GKにぶつかっている(のようにビデオでは見える)。
ま、この程度で日本にPKを与える審判はいないでしょうが、少なくとも日本のキーパーチャージとは言えないと判断する審判はいるだろうな、と思うようになりました。
問題は、やっぱりゴール前で競り合えないヤナギと高原のヘタレぶり。体格差は仕方ないけれども、ほんとにうまい選手というのは、位置ドリとかジャンプのタイミングで相手の高さをしのぎますからねえ。
それにしても、この1点で「勝ったつもり」になってしまったのは、豪メディアが言うように日本の「幻覚」でした。
見違えちゃったよ、ポーランド。スピーディーな攻守展開は、バラックが戻ったドイツとうまく相乗して、これまでで一番見応えのある試合になりました。でも、最後はポーランド、バテバテ。あのドイツ相手だとものすごい消耗するんだろうなあ。後半投入の元気なオドンコールとノイビルにロスタイムにトドメ刺されちゃった。
これでドイツ、乗っちゃったかな。
#それにしても、「NEUVILLE」はドイツ語だと「ヌビル」じゃなくて「ノイビル」じゃないんかな>NHK。父親がベルギー系ドイツ人、母親がイタリア人なんで「ヌビル」だという説もあるが、実際、ドイツではどう呼ばれているんだろう。
ジーコはクロアチア戦引き分けの後「こんな時間にサッカーをやること自体が犯罪だ」と吐き捨てたそうだ(6/19朝日朝刊)。いまさら何よ。
熱暑のスタジアムで闘わせるのが犯罪だとすれば、犯人はどこにいる? 日本戦が2戦とも15時KOにセットされたのは、日本のテレビ生中継の都合だというのがもっぱらの噂。テレ朝だけじゃなくて、NHKも同罪? 黒幕は電通?
ついでに言えば「朝の4時じゃ見られないけど、22時だったら見れるぞ、ラッキー!」と呟いた日本の視聴者も同罪? みんなわれわれが悪いのよ?
自分の采配ミスは棚に挙げ、「負けたのはぼくらサポーターの声が弱かったからっス」ちゅう「一億総ザンゲ」路線に持ち込もうとしてるな、ジーコ。ま、それぐらい策略家でないと、代表監督やれませんけどネ。
暑かろうが苦しかろうが、どうせ勝てないんだから、もうちょっと面白いサッカーをしようよ、日本代表。豪州戦、クロアチア戦、これまでの全試合見たなかでは、いずれも今大会ワーストの部類だものなあ。
今日はさすが疲れているので、第1試合トーゴ×スイスを流し見したあと寝たのだが、4時になったら、ゾンビのようにガバっと起きてしまった。スペイン戦だものなあ。
で、寝ぼけまなこで見ていたら、プジョルがおっとっと、エムナリに抜かれて、早々と1点献上。ただ、スペインはそんなに焦る気配はない。後半開始からセスク、ラウール投入、さらに56分にはホアキン登場。ホアキン、今回は代表落ちも心配されてたけど、まだまだできるもん。
で、71分、ホアキン、クロス→F.トーレス、スルー→セスク、シュート→こぼれに、ラウール、ちゃんと詰めていましたね。その5分後には、トーレスのダイアゴナルな動きを見ていたセスクからのパスを、トーレス、アウトサイドで華麗にシュート。最後はPKももらって、今大会3点目。
チュニジアも前半は大変よい動き。でも、今のスペインとの差からすると、1点は安全圏じゃないということ。結果は、日本×豪州戦のような逆転劇だったけれど、こっちのゲームの方がはるかに見応えありました。
今年はチャンピオンズリーグはバルサで、UEFAカップはセビージャ。もともと代表のことはあまり信じていないスペインの人たちだけれど、もしかしたら世界盃で3冠なんてことを夢見だしたりして。
それにしても1日3試合は見る方には辛い。2002年のときよりもなんだか疲れるなあと思ったら、あのときは1日2試合だったんだな。
_ 大笑 [人は4年も経てば体力が落ちるもの! 言い訳をせず素直に歳をとった事を認めましょう\(◎o◎)/!]
サッカー本はそれなりに読むが、ロナウジーニョのパスの秘訣、中田がロッカールームで怒った理由、トッティの彼女はスーパーモデルなんてのは、あんまり関心がない。ましてや「ジーコの戦術は企業経営にも活かせるか」(無理だろうけど)なんていう手合いのサッカー便乗本は願い下げだ。
それよりも、なんというか、サッカーをもうちょっと違う視点から、たとえば政治・経済・文化の観点から位置づけて語るというのが好き。もちろん、ピッチでの90分のボールと足の動きは、それ自体は政治ではないし、戦争でもないし、ましてや経済でもないけれど、サッカーというスポーツを人類の営みの一つとしてメタにとらえれば、そこに色濃くあらわれる政治・経済・文化の影を意識しないわけにはいかない。
そういう意味でこれまで読んだサッカー本のなかで最大の賛辞を贈りたいのは、サイモン・クーパーの『サッカーの敵』(白水社)だ。
2002年W杯に合わせて翻訳が出た本だけれど、サッカーをナショナリズムや宗教やマフィアビジネスに利用しようとしている世界の腹黒い輩の実態を、ひょうひょうとしたタッチの取材で暴露し、サッカーというスポーツの「純粋性」をそこから救おうとしている。
実際、救えるかどうかはわからないけれども、現代サッカーがそのような「サッカーの敵」に取り囲まれながら息も絶え絶えになっているという事実を知るのは、けっして無駄なことではない。
2006年W杯を当て込んだサッカー本ラッシュのなかでも、サイモン・クーパーの問題意識を踏まえたような本がいくつか出ているのは喜ばしい。たとえば、『W杯ビジネス30年戦争』(田崎健太/新潮社)、『サッカーが世界を解明する』(フランクリン・フォア/白水社)は面白そう。未読だが購入済みだ。
いま読みかけの、『サッカーという名の神様』(近藤篤/NHK出版)は、サッカー本のなかで私が好きなもう一つのタイプに属する本だ。これまで挙げた、サッカーの光と闇のどろどろみたいなお話じゃなくて、もうちょっとのんびりとしている。
トリニダード・トバゴのスタジアムでスティールドラムが打ち鳴らされる様子とか、南海の楽園、モルディブにサッカーを見に行った話とか、ちょっと気の利いたサイドストーリーを集めたエッセイ集。著者は写真家であり、本文にはさまれるモノクロ写真がいいアクセントになっているが、なかでもひいきチームのゴールに歓喜するアルゼンチンのスタジアムを取った一枚はすごい。
小高い山ほどもあるスタンドに鈴なりに群がる観衆のエンスージアズム(熱狂)は、全体としてみれば、巨大な津波のようでもあるが、細部をみれば、まるで人類が喜ぶときに見せるありとあらゆる表情をコレクションした細密画のようだ。どんな宗教やセックスやお金も、これほど多様な喜び方を人類に提供することはできなかったかもしれない、と思うぐらい。
「ブラジルはなぜ強いのか、その秘密を探ってきてくれ」と雑誌編集者に依頼されて、著者がブラジルの人々に聞き回る話が面白い。
「ブラジルでは、サッカー選手が地面からどんどん生えてくる。ロビーニョみたいな選手を1本刈り終えるころには、もうその周りでロビーニョが3本ぐらい芽を出し始めている」
という、現地のサッカー指導者の答えには腹を抱えて笑った。
そんな特殊な腐葉土が堆積する国とは、これから先三百年経っても勝てっこない。
サッカーという窓から見渡すと、世界はまた違った様相に見える。常識でこね固めた世界観が、あっさりフェイントをかけられて覆ってしまう。いわばサッカーによって世界が「異化」される瞬間というか。私が野球をではなく、サッカーを好きなのも、それがあるからかもしれない。
_ aja [『バルサとレアル』もオススメしてくださいませ。W杯ものではないけど。]
わあ、だんだん仕事がテンパってきた。せっかくこれからだっちゅーのに、W杯決勝トーナメントがちゃんと観られない。明日から、筑波、久里浜、野洲、大阪と転戦で、その間にいろんな処理をせねば。
そんな日々なのに、何やってんだか、MacBook の黒を購入。さっそくPeralles Desktop を導入して MacOS X の上で、Windows XP を動かして遊んでたり。
昨日も新宿電脳街周辺にいたもので、ついふらっとお買い物。お仕事の現役メインマシン PowerMac G4(QuickSilver2002) に 512MB メモリを増設。これで、QuickSilver2002 のメモリは最大容量の 1.5GB に。いずれ Intel PowerMac が登場して交替するまでの余生を、こうして心豊かに送らせてやるのだ。
その日午前中までに仕上げなければならない短い原稿があって、しかし物理的に不可能で、それでも昼までに滋賀県野洲にまで行かなければならず、選択したのは早朝初の新幹線グリーン車で京都入りという方法。
5000円グリーン車の分を自前で奮発した甲斐あって、車中、原稿を上げ、携帯電話を使ってメールを送り、気分よく野洲入り。
その後、大阪へ。
チェックイン後、翌日のヘビーな取材のための準備に追われていたが、一段落したので近所に一人で飲みに行く。ガード下っぽいところにヨサゲな店が何店か。
「このあたりではウチとこが一番古い」と、仲居さんが自慢する鯨料理の店。鯨もそうだけれど、ふつうの湯葉豆腐も旨かった。
大阪の福島というのは、東京で言うと新橋? 神田? いや、すべてを東京基準に当てはめて考えるのは愚の骨頂なり。
それにしても明らかなのは、ふつうの居酒屋のフロアの女性のサービス精神。完全マニュアル化された全国チェーンの居酒屋はさておき、ふつうの独立自営の店で客をもてなそうという精神は、明らかに““東”より“西”が上である。。
こうして、東京の文化の表層の貧弱さが、大阪出張ではあらわになる。東京は、実は貧しいのだ!
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ Y氏 [>それに比べてジーコ采配。 ですね。本当ならあそこではっきりとどちらにするか示すべきでした。ちょうど、予選の時のイ..]
_ 小石川T [なぜNHKがあんなに時間をさくの。とっとと日本が敗退した方が、ゆっくりサッカーを楽しめるんじゃないの。がんばれクロア..]
_ アジャ [よくて引き分け、簡単には勝てないはずと、巷の予想のように楽観視していなかったものの、やっぱ脱力ですわ。負け方がひどす..]