どこかのBS局の再放送番組で筑紫哲也が「フォークソングの中の日本人」をテーマになぎら健壱と泉谷しげると鼎談していた日の明け方、「古井戸」のアルバムをフルで聴いてしまう。
「紅茶にしま〜すか、ミルクはどうしますか〜」(「ポスターカラー」)をこの前、カラオケで絶叫しようとしたら、このサビのところしか覚えていなかったのだ。加奈崎芳太郎のパセティックなボーカル、仲井戸麗市の流麗なギターは、いま新しい曲として聴いてもイケるんじゃないかと思うのだが、いまどきの高校生あたりは、どんなふうに受け止めるのだろうか。リズムは受け付けないかもしれないが、叙情は伝わるのではないか。
このアルバムに収められている「花言葉」には、「アルゼンチン大使館前 午前6時30分待ち合わせ」に始まる長台詞が入っていない。70年代初期にエレックレコードの主催で全国を巡回した「唄の市」コンサート。あれは1972年だったか、私は東北南部の小都市で鬱屈する高校生だった。上京したら、きっとそのアルゼンチン大使館前に行ってみたいとそのとき思ったが、あれから30年余、それを果たしていない。
少々記憶が混濁しているのだが、その「唄の市」コンサートの裏方で、会場アナウンスを担当していたのが、若かりしころの女優・秋吉久美子(だったはず)。別のコンサートのことであったか、吉田拓郎の前座で井上陽水を初めて見た。そのインパクトは甚大で、翌日の学校での話題は、拓郎ではなく陽水の「傘がない」に集中したのだった。そんな田舎生活ではあったのだ。
音楽の古い井戸から蘇る記憶は、精神の退行のあらわれなのだろうか、あるいは私の叙情の理由を探る旅なのだろうか。「アルゼンチン大使館前〜」の呟きをもう一度聴きたくて、ライブレコーディング「唄の市第一集(紙ジャケット仕様)」をポチっとな。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
確かに記憶が混濁しているね。秋吉久美子が担当したのは
地域の高校生たちが市民会館で行ったコンサートだし、陽水は
遠藤賢司の前座だったような気がするよ。
いづれ元高校生たちの飲み会で記憶を辿りましょう。
おお、そうだった、そうだった。記憶を辿る飲み会、やろうぜ。
スイトピーをあげるよ、ライラックも一緒に でしたっけ?平の市民会館のPA室(って言うのか?)に知り合いが居て、PA室から長谷川きよしの前座の荒井由美を見た記憶があります。