台湾で食った食い物や、出会った人びとや、街の印象などを書きおいておこうと思いつつ、忙しさにまぎれる。
13日(金)は香川出張。香川大学の院生が始めたロボット・ベンチャー企業の取材。取材を終え、若い編集嬢と讃岐うどんを食って、夕方いざ帰ろうという段になって、高松空港周辺が濃霧で、飛行機が降りられない、飛ばない。結局、その日は高松泊。日帰りのつもりだったので、何も持ってきていない。編集嬢と市内兵庫町あたりで一杯やりながら、ダグラス・ラミスの話などをする。
翌朝はもう大丈夫だろうと思い、空港まで行くが、結局、霧は晴れず。チェックインまでしていったん機内に搭乗するも、30分待って、ロビーに戻され待機という、昨晩と同じ状態。実質、空港閉鎖である。
あきらめて岡山まで出て新幹線で帰京。その後、時間を延ばしてもらった、新橋での打合わせ。そのあとなぜか新宿でカラオケ。地下鉄終電の一つ前で小石川に戻り、今年初のタイニーで一杯。新幹線でたっぷり3時間熟睡したからだろうか、体調すこぶる元気で、全然酔わない。
2006W杯のチケット申込み。FIFAサイトの3次販売が本日締切なのであわててエントリー。最初7種類のチケットを応募すると、「すでに同じゲームを同一人名でエントリーしているものがある」との not accepted (不受理)の通知メール。どのゲームが該当しているのかは示されない。もしかして、ドイツのMが同伴者に指定してくれたはずの試合と偶然かち合ったためかもしれない。あれれと思って、試しに別の1試合を申し込むと、こちらは問題なく受理される。
ところが続けて、残り6試合申し込もうとすると、すべて不受理のメールが返ってくる。そうか、メール、パスポート、カードなどを同一とする1人からは、1回しか申し込めないのか。あちゃ、ミスった。
まあ、ここに来ての当選確率は低く、気休め程度のエントリーなので、これでもいいか。それにしても、コンピュータ処理のFIFAのメールのレスポンスの速いこと。
JFA割り当ての参加国協会分チケット、日本戦3試合も今日から受け付け。こちらもダメモトで各試合を申し込む。当たんねぇだろうなあ。なにせ、今年の年賀状のお年玉は、印刷が余った分の、つまり出し損ねた分のうち、ようやく1枚が4等(切手シート)に当たっただけだもの。
現在読書中。ネオリベ=新自由主義を思想と生活から撃つ、久しぶりのラディカル本。きょうびの大学改革=独法化もロクなもんじゃねぇと教えてくれる。むろん書名は、アンリ・ルフェーブル『日常生活批判序説』由来。
もうかれこれ20年以上も前の編集プロダクション勤務時代、私を面接で採用してくれた先輩社員がいて、いまは北海道に在住しながら英書の翻訳をしていると伝え聞いていた。翻訳した本のいくつかは10年ほど前、全国紙の書評で採り上げられたこともあって、陰ながらその活躍を喜んでいたものだ。
ひょんなことから彼の近況を調べようとネットでその名前を打ち込んだら、旭川市で発行されている地方新聞「あさひかわ新聞」のサイトがヒットした。編集長の1年前のコラム。読んで驚いた。
その文章は、その新聞に長年にわたってコラムを書いていた、旭川在住の翻訳家の病死を悼むものだった。翻訳家の本名や簡単な略歴も記されていたから、当の本人であることは間違いない。久しぶりのネットで得た知人の近況が訃報、しかも1年も前のものであったとは。
年齢はまだ50代半ばのはず。しかし、進行を急ぐ危機的な病に心身を襲われやすい年代でもある。
かつて彼の紹介で知り合った女性のライターに電話をしてみた。客観的な事実はそのことを示しているにもかかわらず、その事実がにわかには信じられなかったからだ。彼女もここ数年、彼には会ってはおらず、特にこの1,2年はメールを出しても返事がないので不審には思っていたという。ただ、その死については何も知らなかった。
少し状況は異なるが、これに似たことが以前にも会った。3年前、Mac関係のフリーライターをしていた友人Eが不慮の事故で亡くなってしばらくしてから、その訃報を小さく伝えるWebサイトにたまたまアクセスした、彼の会社勤め時代の上司からメールをもらったことがあった。研究者の卵だったEをかつて何かと面倒見た人だというのだ。その上司もとうに会社を退職し、その後Eとの間の音信は年賀状程度だったという。
それでもネットを使って消息を訪ねるというのは、なにがしかの心のひっかかりがあってのことだろう。かつての部下がいまごろどんな活躍をしているのか、ふと気になってというわけだ。そのときの私は、彼に、ネット検索の果ての悲しい結末を伝える役目だった。
昔の思い出がかげろうのように揺らぎ、忘れかけていたその存在に気づかされることが、日常のふとした瞬間にあるものだ。私がきょう先輩の名前を打ち込んでみたのも、そういうかすかな心の揺らぎがあったからに違いない。
むかしの知人が懐かしいという感情がいや増すのは、必ずしも年齢のせいばかりとは思いたくない。ただ、そうした感情と行為がもたらす事実が、必ずしも幸せなことばかりではないということは、そろそろ覚悟しなければならない。歳をとるということは、そういうことでもあるのだ。
「ヒューザーの耐震偽装問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」なる趣旨の不遜な発言で指弾された武部勤氏は、今一度、「ライブドアの偽計取引問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」と絶叫してこそ、朕・純一郎の家臣たり得ましょう。むろん、武部の息子とホリエモンが「刎頸の友」で、その縁で堀江の総選挙出馬が実現したことを踏まえての発言。今回こそ武部はそうは言わないが、実際のところそう感じて戦々恐々となっている御仁は多いはず。
ただ、田中がいうようにこうした事態が、
法律という名のルールに抵触さえしなければ何を行っても許される、とのアメリカ的強弁を振り翳し、跳梁跋扈してきた小泉構造内閣なる弱肉強食な新自由主義に、時代の潮目が訪れていることの証明とまでは、私は考えない。新自由主義が猛威をふるうのは、まさにこれから。今回のLDパージは、新自由主義の過激分子を叩く、つまりは跳ね上がりの部分を露払いしてさらに邁進するための、調整局面にすぎないのではなかろうか。
Ayumi Books 内をふらりと散歩。雑誌バックナンバー、ムックなどをいくつか購入。
_ ぜっぴ [追加発売だそうで。 http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlas..]
可愛がってやればそれなりに愛着を持つのであろう。しかし、わたしんところの Windows Note マシン(Let's note CF-R1)は5分おきにメールをチェックし、一定条件のメールを携帯電話に転送するという下働きしかしていない。
というか、それ以上の創造的な仕事に Windows を使う気がしないのだ。したがって、Windowsマシンに対する私の愛着は、近所の野良猫に対する憐憫以下のレベルである。
こうした主人の愛想つかしを感じてか、メールチェックなんてそんなに負荷のかかる仕事ではないのに、最近は「メモリが足りない」などと抜かして仕事を途中でさぼることがある。Norton のウィルス除去ツールや不正アタック感知ソフトが勝手に動いて、メールをさばくという簡単な処理さえ拒否することがある。
まことにもって不遜極まりない。実際、こういうストライキに打ってでられると、たいそう困るのだ。わざとやっているな、とマシンの主観的行動に疑いをもつことさえある。おまえなんか、おまえなんか、Macのクリエイティビティの百倍も以下の奴隷だと悪態をつきつつ、最近はそんなことを言ったら天罰が当たる、せちがらいご時世になったものよ。
頼むから、言われたとおりに仕事をしてくれよ、Windowsクン。お願いだ。
25日、R社S誌の取材で大田区六郷土手へ。アルミ加工会社の、元気のいい若手社長と奥さん。かつては金属部品加工の町工場が蝟集し、鉄の焼ける匂いがしたはずだが、いまはそうした工場の跡地はほとんどマンションに変わってしまった。その会社の工場の隣も、例のヒューザーが建てたという高層マンションだ。
多摩川が蛇行するあたりに広がる緑地を見下ろして長い土手が続く。河岸敷に犬を放つ人びとがいる。休日ともなれば野球やサッカーの子供たちで溢れるのだろう。晴れた春の日なんて、このあたりを散歩するのは気持ちいいだろうなあ。
六郷はおろか大田区にも住んだことがなく、めったに出かけることもない。そういう場所があるのは知っていて、東海道線の車窓からときおり見かける風景ではあるのだが、実際にそのあたりを歩いてみると、不思議な感じがする。
その土地と縁もゆかりもない自分。しかし、もしもそこに住んでいれば、まったく違った人生を歩めたかもしれない。パラレルワールドに住んでいるもう一人の自分。それを夢想するのは、楽しいことのようで、少し寂しい。
どこかのBS局の再放送番組で筑紫哲也が「フォークソングの中の日本人」をテーマになぎら健壱と泉谷しげると鼎談していた日の明け方、「古井戸」のアルバムをフルで聴いてしまう。
「紅茶にしま〜すか、ミルクはどうしますか〜」(「ポスターカラー」)をこの前、カラオケで絶叫しようとしたら、このサビのところしか覚えていなかったのだ。加奈崎芳太郎のパセティックなボーカル、仲井戸麗市の流麗なギターは、いま新しい曲として聴いてもイケるんじゃないかと思うのだが、いまどきの高校生あたりは、どんなふうに受け止めるのだろうか。リズムは受け付けないかもしれないが、叙情は伝わるのではないか。
このアルバムに収められている「花言葉」には、「アルゼンチン大使館前 午前6時30分待ち合わせ」に始まる長台詞が入っていない。70年代初期にエレックレコードの主催で全国を巡回した「唄の市」コンサート。あれは1972年だったか、私は東北南部の小都市で鬱屈する高校生だった。上京したら、きっとそのアルゼンチン大使館前に行ってみたいとそのとき思ったが、あれから30年余、それを果たしていない。
少々記憶が混濁しているのだが、その「唄の市」コンサートの裏方で、会場アナウンスを担当していたのが、若かりしころの女優・秋吉久美子(だったはず)。別のコンサートのことであったか、吉田拓郎の前座で井上陽水を初めて見た。そのインパクトは甚大で、翌日の学校での話題は、拓郎ではなく陽水の「傘がない」に集中したのだった。そんな田舎生活ではあったのだ。
音楽の古い井戸から蘇る記憶は、精神の退行のあらわれなのだろうか、あるいは私の叙情の理由を探る旅なのだろうか。「アルゼンチン大使館前〜」の呟きをもう一度聴きたくて、ライブレコーディング「唄の市第一集(紙ジャケット仕様)」をポチっとな。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ MASA [ちゃんと読んでみると、意外と(?)面白いね。このブログ。で、いつ帰ってくんの?]