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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2005-08-17 (Wed)

[life] 伊豆大島

13〜15日は、一文の大将一家と常連さん総勢12人で、伊豆大島へ2泊3日の旅。竹芝桟橋からジェットホイルで2時間弱。
海水浴、浜辺でのバーベキュー、リス園・三原山観光、花火大会、温泉、そしてイサキ釣りと存分に夏を楽しむ。ワシは海には入らなかったが、浜辺で寝そべっている間に手足と顔が真っ赤に日焼け。日焼け後用のジェルで処置してしてもらったおかげで、いまは痛いというほどではないが……。

大島はあまり景気よくなさそうな、オールドファッションな観光地。岡田港の大きな土産物屋は、立地的には最高と思えるのに、崩れそうな看板をつけたままに閉店している。三原山登山口にある休憩所は、500人はゆうに入れそうなほどムダに広い。土産物も、いまどき大島紬や椿油もないものだ。三原山登山口
ただ、赤茶けた火山島とばかり思っていたのに、案外、島内に緑が多いのは驚いた。幹線道路から奥まったところに防風林に囲まれて民家が点在している。車で島をぐるぐる巡るのではなく、そういう民家をふらりと訪ねて、もしかしたら、くさやを干したりしている軒下で、島暮らしの一端を聞くというのも、たぶん面白いのだろう。
そのいっぽうで、まだそこそこきれいな海があり、活動を止めない火山あり、ダイビングスポットあり、というのは、もう少し考えてリゾート開発したら、もしかしたら東京に最も近い擬似ハワイになれるかもしれないなどとも思う。しかし、噴火と地震のイメージで長期的な観光投資は難しいのかもしれない。いや、いまどきは擬似ハワイに行くよりは、本物のハワイにみんな行っちゃうのであろうな。

それでもスキューバ・ダイビング客でこの時期はそれなりに賑わってはいた。われわれが泊まった民宿ホテルも、もとは専修大の合宿所だったのを業者が譲り受けたもの。われわれ以外はダイビング客だったみたい。眠れないほどでかい音を立てるクーラー、お湯のでないシャワー、ロビーに寝ている犬、声のでかい酔っぱらいの主人、高い宿泊料金……なんか全体にコストパフォーマンスの悪い大ざっぱな宿だったが、まあ、これもまた夏の思い出。イサキ大漁、岡田港にて
ちなみに、三原山は割れ目噴火口跡を覗いた後は、登山口までで、実際には登らなかった。いまなお戦後史上の謎の一つとされる1952年の「もくせい号」墜落事件のこと話しても、誰も知らなかった。
釣り船を借りてのイサキ釣りは、入れ食い状態。昨年の西伊豆ではみんな“人間こませ”状態になってグロッキーだったが、今年はそんなことはなかった。帰京後、そのイサキをさばいてもらって、一文の座敷で大宴会の夕べなり。

[media] きょうの新聞から

──構造改革が必要なことは皆知っている。だが、効率性・合理性だけが絶対的な価値ではない。社会的弱者への配慮、低迷する地方の再活性化などへの目配りは果たして十分だろうか。「切り捨てられる」側にも社会の大切な価値はある。(天児慧・早稲田大教授「総選挙、アジア外交も語れ」朝日新聞2005.8.17 11面)

──敗戦を境に、民主主義と反戦に日本人は燃えた。だが、「60年安保」の直後に政府が出した所得倍増政策は、国民から政治的関心を取り去ることにほぼ成功した。「当事者ではない市民が広範に立ち上がる」状況を見る機会は、ほとんどなくなってしまった。近年は市場主義的な自由化で、個人はさらに帰属性や関係性を断たれた。いまや「個人が個人として最も輝くのは消費の場」という状態だ。(ノーマ・フィールド・シカゴ大教授「キーワードで考える戦後60年「アイデンティティー」同11面)

──少なくとも国というものは感情論で動いてはいけない。本当は腰が据わっていないのに、感情に流されている途中で何かに火がついて事態が動き出したら最悪だ。(福井晴敏・作家 同上)

──辞世の歌の「国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」も、「散るぞ口惜し」と変更されていた。「悲しい、などというのは、当時はタブーだったからでしょう。あの戦争は軍人のそんな美学に殉じた戦争だった気がする。現実を見ずに、一兵たりとも上陸させずとか言葉だけが優先していた。栗林さんの最期は、そんな大本営への抗議にみえた」(梯久美子・ノンフィクションライター『散るぞ悲しき 硫黄島総司令官・栗林忠道』に触れて 同22面)

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_ 小石川ぢ (2005-08-18 (Thu) 21:18)

紫外線火傷の具合はいかがでしょうか?お見舞い申し上げます。あまりにもショボイ宿でしたが、きれいな海と高速ジェット船美味しい魚にて相殺でご勘弁ください。
もくせい号墜落事件はしりませんでしたが(米軍と日本政府で示談済みなのですか?)ミハラヤマにそういう歴史があったのですね。こういう隠匿や情報操作の善し悪しは別として
真実を知らされないのは日本人には幸せかもしれません。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。