──構造改革が必要なことは皆知っている。だが、効率性・合理性だけが絶対的な価値ではない。社会的弱者への配慮、低迷する地方の再活性化などへの目配りは果たして十分だろうか。「切り捨てられる」側にも社会の大切な価値はある。(天児慧・早稲田大教授「総選挙、アジア外交も語れ」朝日新聞2005.8.17 11面)
──敗戦を境に、民主主義と反戦に日本人は燃えた。だが、「60年安保」の直後に政府が出した所得倍増政策は、国民から政治的関心を取り去ることにほぼ成功した。「当事者ではない市民が広範に立ち上がる」状況を見る機会は、ほとんどなくなってしまった。近年は市場主義的な自由化で、個人はさらに帰属性や関係性を断たれた。いまや「個人が個人として最も輝くのは消費の場」という状態だ。(ノーマ・フィールド・シカゴ大教授「キーワードで考える戦後60年「アイデンティティー」同11面)
──少なくとも国というものは感情論で動いてはいけない。本当は腰が据わっていないのに、感情に流されている途中で何かに火がついて事態が動き出したら最悪だ。(福井晴敏・作家 同上)
──辞世の歌の「国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」も、「散るぞ口惜し」と変更されていた。「悲しい、などというのは、当時はタブーだったからでしょう。あの戦争は軍人のそんな美学に殉じた戦争だった気がする。現実を見ずに、一兵たりとも上陸させずとか言葉だけが優先していた。栗林さんの最期は、そんな大本営への抗議にみえた」(梯久美子・ノンフィクションライター『散るぞ悲しき 硫黄島総司令官・栗林忠道』に触れて 同22面)
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
紫外線火傷の具合はいかがでしょうか?お見舞い申し上げます。あまりにもショボイ宿でしたが、きれいな海と高速ジェット船美味しい魚にて相殺でご勘弁ください。
もくせい号墜落事件はしりませんでしたが(米軍と日本政府で示談済みなのですか?)ミハラヤマにそういう歴史があったのですね。こういう隠匿や情報操作の善し悪しは別として
真実を知らされないのは日本人には幸せかもしれません。