昼過ぎ、取材でJR「国立」に行くつもりが電車内で寝過ごし、目覚めたら八王子。カメラとの待ち合わせまで時間があったので、安心して4駅戻ったのだが、「国立」とばかり思いこんでいたのが、実は「国分寺」での待ちあわせだった。私の電子手帳には「国立」とメモしてある。だが、こちらからカメラマンに送ったメールにはしっかり「国分寺南口」とも。再び電車に乗って、2駅戻る。
奇しくも取材テーマは睡眠の科学。偉い先生曰く「あなたは睡眠破壊状態」。帰りもJRだったが、四谷で降りるべきところが今度は御茶ノ水まで寝過ごした。夏の日の午後はレム睡眠。
例えば、伯父がいた三井砂川の家の裏の川沿いには、強制連行されてきた朝鮮人が寝泊まりする飯場があり、そこでは毎夜、朝鮮人がむちで打たれていると聞いていた。伯父には、絶対に行ってはいけない、と言われていたが、ある夕方、友達二人と崖を下りて近づくと、異様なうめき声がし、草むらに隠れて見ると、ほとんど全裸の朝鮮人が「アイゴー、アイゴー」と謝っているのに、さらに殴られていた。という自分が見たエピソードを語り、日本のアジア侵略に対する謝罪の必要性を語る論拠の一つとしている。
そやけど、ほんまに強制連行(即ち、徴用令と言う法律に従わなかった故に官憲に逮捕)されて連れてこられてたんですか、その朝鮮人たちは?その証拠は?もとより歴史への想像力は人の自由であるが、その想像があまりも、日本国中心史観で歪曲されている。日本人現場監督の心の内を覗く余裕はあっても、ムチ打たれる朝鮮人工の絶望と痛みには、この投稿者はほとんどなんの想像力も働かすことができない。そのことの異常性に気づくことができない。
何で殴られてたんやろ?殴ってた日本人は単純にサディストやったんやろか?
戦争中のことや、作業場にはきついノルマがあったんやろ、ノルマ達成が戦争の勝敗にかかわっているんやと現場監督は上司に怒鳴られてたんちゃうやろか?
戦争の後方支援の末端でも、それなりに頑張っていたんとちゃうやろか?
作業成績がはかばかしくないから責任感の強い日本人監督は頭にきて、或は見せしめで殴ってたんちゃうやろか?
朝鮮人は仕事サボってたんとちゃうやろか?盗みを働いたんとちゃうやろか?脱走を企てたんちゃうやろか?或は過酷な使役に反抗して不当にも殴られていたんやろか?
いろいろと考えが及びまへんか。渡辺さん。当時は無理としても、長じてからは。
未明に寝る前に新書を読んでいたら眠れなくなって、本日の予定が半日分崩れる。昼頃起きて今日の締切原稿をまずは1本仕上げようと思ったところに、昨日の仕事の追加分というか、先方が「送り忘れた分」がメールで横入り。外資系オフィス設計会社のWebマガジンの翻訳原稿を、通じる日本語にリライトするという仕事なんだが、これがなかなか難しい。
office というと日本では事務所全体のスペースを指すが、欧米では個人の居室スペースのことを意味する場合があり。private office というと、たいていは偉い人用のドア付き個室のことだ。work place, work process などこの原稿に頻出する言葉にも実は定訳がない。work surface とか touch down space にいたっては、概念自体が日本のオフィスに存在していないので、翻訳そのものが不可能だったりする。
むろん下訳はあるのだが、機械翻訳に毛が生えたようなもので、読んでいるだけで頭がチリチリとなる。思い切って削除・意訳してくれてOKと言われているが、会社の製品コンセプトにもかかわるだけに、いつもおっかなびっくり。ま、あれで通っているんだからよしとするしかないか。
なんとか追加分を仕上げ、本来の締切原稿も仕上げ、でも、まだまだ本日中の原稿が残っていて、夕方には打合わせもある。ふー。
靖国問題について、私には、戦前の仏教やキリスト教は靖国とどう対峙したのか。戦後直後に靖国神社廃止論というものはあったのか。──という2つの疑問があり、本書を手に取った。
本書第三章「宗教の問題」で、著者は前者の設問に答えている。
ここで主に紹介されるのは、浄土真宗大谷派の行動だが、靖国神社に反対するどころか、積極的に迎合してこれを支えていることがわかる。「阿弥陀法の信仰は皇法の中に包摂される」つまり真宗の教義は、天皇に帰一する大政翼賛の体制の中に含まれ、そこから逸脱するものではないという「戦時教学」がその論理になっている。
こうした包摂を可能にする教学の論理は、戦時中のキリスト教団も同じだった。戦中の日本基督教団のリーダーは、植民地朝鮮で神社参拝の強要に抵抗して弾圧を受けている朝鮮のキリスト者を説得し、「転向」を促す役目も担っていたという。
そのような論理を立てなければ、信仰の自由を保てなかったという、戦時中の抑圧体制があったのだろう。ただ、それだけではなく、戦前の靖国神社は「非宗教というカモフラージュ」を擬装しながら、国家的祭祀を執り行う「神社非宗教」というカラクリをもっており、その前に、他の宗教は抵抗することができなかったという事情が大きいと、著者は指摘している。他宗教と靖国のかかわりについては、公明党=創価学会の今後の態度を占ううえでも興味深い。
後者の靖国廃止論の戦後的系譜についてだが、石橋湛山の話が「おわりに」で紹介されている。その後、自民党の総裁にして総理大臣になった湛山が1945年10月に書いた文章である。「大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や」と問うて、「否」と答え、靖国廃止論を述べている。
最近本書を批判した長谷川三千子は「敗戦意識にこりかたまった湛山など、放っておけばよろしい」(雑誌「正論」2005.9)とこのくだりを無視するが、戦後の保守本流の政治家のなかには、戦後の外交政策の見通しのなかで、明確に靖国廃止を語った人がいたことは、記憶にとどめておきたい。
靖国は鎮魂や追悼の神社ではなく、国家のために喜んで死に行く人々を「顕彰」し、そうした人々を再生産するための戦争神社であり、その性格は戦後も一貫して変わらなかった。太平洋戦争はもとより、日清・日露戦争など明治維新以降の、富国強兵と植民地侵略の歴史をそのまま肯定する思想に裏打ちされている。その性格のままに、首相が首相の立場で参拝することは、これは中国、韓国に言われるまでもなく、戦後憲法下の日本人としては、「論理的に」許されない。たとえA級戦犯を分祀したり、無宗教の国家墓地を建設したところで、戦死者を顕彰するという思想の本質が変わらない限り、問題は繰り返されるだろうというのが、本書の基本的立場だ。
むろん、大東亜戦争は正義の闘いであり、日本の植民地主義は間違っていなかったという信念の持ち主には、そのこと自体は痛くも痒くもない指摘だろう。実際、靖国首相参拝支持派のなかにも、首相が靖国神社で「不戦の誓い」など述べること自体が、ごまかしだという人もいるくらいである。「私たちは、英霊のみなさんと同様、これからも国家のための戦争します。だから安心してください」と呼びかけるのが筋というものだ、と。
しかし、世の中はこのような靖国の本質を「正しく」理解し、それを確信する人ばかりではない。なんとなく「国のために戦った人を慰霊するのは当然だ」と考えているような人、「A級戦犯を分祀すれば問題ないんじゃないか」と思っているような人も多い。そういう人々にとってこそ、本書は一読に値する。高橋が展開する精緻で誠実な議論の前に、一度は靖国問題を自分の問題としてあらためて考えてみる必要にかられるはずだ。その議論のための素材とフレームワークを提供してくれる本だと思う。
10日ほど前に書いた原稿のゲラがPDFであがってきた。あれれ、オレが書いた通りになってないな。小見出しはたしかにオレが仮につけておいたのよりよくなっているが、本文は、はっきりいって下手になっている。タイトルもこれじゃまずいでしょ。
担当の編集者に話してもラチがあかない。聞けば編集長殿が手を入れたらしい。別にオレの文章のほうが絶対にいいというわけではないが、オレの文体と彼女の文体がごっちゃになっていて、はなはだリズムが悪い。文体というのはその人の一種の生理のようなものだから、それを文体ごと直すというのは、かなりリスクのあることなのだ。直すんだったら、ライターを唸らせるぐらいもっと上手に直してよ。しかも、編集部の誰ひとり取材の現場に来もせずに、よくやるよな。
と、むかついたところで昼飯を食いに外に出た。白山通りに「つくばね」という小さな小料理屋があって、そこそこ旨いつまみを出すのだが、平日のランチも始めたみたいだ。ま、ランチの味はお値段なみ。
帰りがけ、AYUMI BOOKS でユリイカ増刊『オタクvsサブカル!』を買う。オタクとサブカルって対決するものだったの? ついでに、「NONFIX KNUCKLES(ノンフィクスナックルズ)」(ミリオン出版)という新しい評論誌というよりスキャンダル誌。記事のライター陣は野田峯雄以外は聞いたことがないが、大塚英志がコラムを連載してたりしたので……。廃刊した「噂の真相」そっくりのテイストなのが笑える。
うーん、編集長殿に直された文章を全部まっかっかに直し返してやって、気分せいせいしてから、懸案の原稿を書き出すかな……。
俊輔のセルティック・デビュー戦は面白かった。たしかによく機能していた。しかも過剰なぐらいスタンドのファンからの温かい拍手。チームメイトのFWも、こいつラグビーからの転向者かと思うハートソンとか、小柄でイライジャ・ウッドちょっと似のマローニーなど、個性派が多そうだ。スカパー!が全試合生放送というので、今季はしばらくセルティックにつきあってみようか。
と思ったら、中田ヒデのボルトン移籍も本決まり。とにかく試合に出ることが先決だわ。
というわけで、早速、ボルトン、グラスゴーを含むイングランド&スコットランドのフットボール&ウィスキーの旅行企画を夢想する。なにせイングランドはサッカーの母国だから、ワシのライフワークはこれなしでは完成しないのだ。今年中または来年には絶対に行くぞ。ん? 来年はドイツじゃなかったのかよ……
というか、今年は沖縄→石垣→台湾にフェリーで行くのじゃなかったのか。そうでなくてもJALのマイレージのポイントの年末に切れる分だけで、韓国・台湾に行けるんだったな。9月に15年ぶりのソウル、正月に船で台湾、そんでもって来年2月に英国(寒そう)ってのはどうだと、しばし逃避するように脳内ヴァーチャル・トリップ。
──構造改革が必要なことは皆知っている。だが、効率性・合理性だけが絶対的な価値ではない。社会的弱者への配慮、低迷する地方の再活性化などへの目配りは果たして十分だろうか。「切り捨てられる」側にも社会の大切な価値はある。(天児慧・早稲田大教授「総選挙、アジア外交も語れ」朝日新聞2005.8.17 11面)
──敗戦を境に、民主主義と反戦に日本人は燃えた。だが、「60年安保」の直後に政府が出した所得倍増政策は、国民から政治的関心を取り去ることにほぼ成功した。「当事者ではない市民が広範に立ち上がる」状況を見る機会は、ほとんどなくなってしまった。近年は市場主義的な自由化で、個人はさらに帰属性や関係性を断たれた。いまや「個人が個人として最も輝くのは消費の場」という状態だ。(ノーマ・フィールド・シカゴ大教授「キーワードで考える戦後60年「アイデンティティー」同11面)
──少なくとも国というものは感情論で動いてはいけない。本当は腰が据わっていないのに、感情に流されている途中で何かに火がついて事態が動き出したら最悪だ。(福井晴敏・作家 同上)
──辞世の歌の「国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」も、「散るぞ口惜し」と変更されていた。「悲しい、などというのは、当時はタブーだったからでしょう。あの戦争は軍人のそんな美学に殉じた戦争だった気がする。現実を見ずに、一兵たりとも上陸させずとか言葉だけが優先していた。栗林さんの最期は、そんな大本営への抗議にみえた」(梯久美子・ノンフィクションライター『散るぞ悲しき 硫黄島総司令官・栗林忠道』に触れて 同22面)
_ 小石川ぢ [紫外線火傷の具合はいかがでしょうか?お見舞い申し上げます。あまりにもショボイ宿でしたが、きれいな海と高速ジェット船美..]
メモ帳みたいなソフトが好き。最近気に入って使っているのが、MacJournal。一口で言えば階層管理型メモデータベース。個々のメモは「エントリー」と呼ばれ、それらを上位の「ジャーナル」という単位で分類・管理できる。エントリーの手入力のほか、txt, pdf, doc, html ファイルなどが Drag&Drop で保存できる。webloc ファイルもそのままエントリー画面に Drag&Drop すればリンクが貼れる。各エントリーの書式はリッチテキストのように随意にフォーマット可能。
さらに優れているところは、blog 作成用のデスクトップ・クライアントとしても使えること。標準では、Blogger および LiveJournal に置いた自分の blog へのエントリー・アップロードができる。これが当日記システムの tDiary に対応できるか試してみたが不可だったのが残念。そのことがきっかけで、ecto2 など Mac で使える blog クライアントをいろいろ紹介してもらった。 それなりに一長一短あり。
_ kusa [WindowsのOffice One Note みたいなソフトですね]
テレビが、というか正しくは、外付のBSデジタル・ハイビジョン・チューナーが、というべきだが、壊れた。2000年製のマスプロ電工のやつ。どうやら熱暴走でどこかの半導体がやられるらしく、電源を抜いて6時間ぐらい冷ましてやるとまた復旧する。しかし1時間ぐらい見ていると、またプツーンと切れる。
前から調子が悪かったのだが、リセットボタンを押してなんとかなっていたのに、今日はリセットも効かない。この種のチューナーはあまり値が下がらなくて、新品を買うと5万円前後する。だったら、地上波デジタルの時代でもあるし、BS・地上波デジタルチューナー内蔵の32インチクラスの液晶薄型テレビに買い換えたほうがいいという案も。現行の28インチの東芝製テレビも、いろいろと気に入らないところがあるので。
今週末からWoWoWでリーガが始まるので、それまでにはなんとかしないと……。
_ 長官 [65インチにしなきゃぁ。]
3カ月ほど前から、TSUTAYA の DISCASというDVDレンタルサービスを利用している。ネットで予約するとDVDが郵送されてきて、見終わってポストに投函すると、次の予約作品がまた郵送されてくるという仕組み。近所のレンタル屋ではしょっちゅう貸出中の話題作も比較的楽に借りられるし、マイナー作品もそこそこラインナップされているし、なによりレンタル屋に足を運ぶのも面倒な最近の足腰の弱ったオレには便利かと思って……。
月額固定会費制を選んだので、その月に1本も見なくても会費は徴収されるし、枚数割りにすると割高ではあるのだが、それがかえって映画を観る習慣づけになるのではないか、という思いもあった。
このシステムを利用して最近見た映画から。
■ 「太陽の雫 」(1999年/オーストリア/カナダ/ドイツ/ハンガリー/☆)
■ 「僕の彼女を紹介します」(2004年/韓国/☆☆☆)
■ 「茶の味 」(2003年/日本/☆☆☆)
■ 「ヴェロニカ・ゲリン 特別版」(2003年/アメリカ/☆☆☆)
■ 「グッバイ、レーニン!」(2003年/ドイツ/☆☆☆☆)
■ 「八月のクリスマス」(1998年/韓国/☆☆☆)
■ 「アフガン零年」(2003年/アフガニスタン/日本/アイルランド/☆☆☆)
■ 「ツバル」(1999年/ドイツ/☆☆☆☆)
■ 「ブラディ・サンデー 」(2002年/英・アイルランド/☆☆☆)
■ 「ヴァンダの部屋」(2000年/ポルトガル/ドイツ/フランス/☆)
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ kojikoji [お暑うございます。相変わらずのご様子で祝着に存じます。 また、ご説、ごもっとも。業務委託ですから、事前に請け負う業務..]
_ ひろぽん [「ご存じのEさん」って、誰のことだろう。]