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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2005-06-01 (Wed)

[life] 支笏・札幌

ポルトガル紀行まだまだ続くんだけれど、このあたりで日常の話題も。

月曜日に札幌出張だったんだが、なぜか日曜日に支笏湖畔の温泉に前泊するハメに。風不死(ふっぷし)岳(だと思う)を眺めながら露天風呂に浸かる。支笏湖は、初めてだったけれど、天気もよくて湖が青々としていて、あたりが閑静で、とってもよかった。

それにしても、なんで温泉? なぜだか知らないんだけれど、こういうコースになっちゃったんだよね。原稿を抱えていて、ホテルで書こうとPBを持っていったんだけれど、蓋も開けずじまい。状況からしてできるわけなかったね。

月曜午後の取材が終わってからは、札幌ビール園でジンギスカン。空港でスープカレーのレトルトパックを買い込むが、「らっきょ」のレトルトはいまいち。Nさんに以前もらったハウスのレトルトのほうが美味かったと思う。支笏湖


2005-06-08 (Wed) ポルトガルあれこれ7

[trip] アルファマ

Alfama──アラビア語で泉の湧くところ、という意味らしい。明確に、ここがアルファマ地区だと指し示す看板などはない。「もう、このあたりはアルファマだろうね」などと話しながら坂道を下りていくと、建物の3階から身を乗り出した男が、「アルファーマ!」と叫んだ。頭上から降ってくるその声を、私たちは、東洋からの観光客への歓迎の挨拶と受け止めた。

リスボンの旧市街の中心点をコメルシオ広場だとすれば、そこから北東部に広がる下町地区。テージョ川から立ち上がる急峻な河岸段丘にへばりつくようにしてあるその街区は、18世紀中葉のリスボン大地震でも完全な破壊を免れた。そのため、街並みはキリスト教支配以前のイスラムの影響を色濃く残しているといわれる。イスラム風様式は、カテドラルの尖塔やサン・ジョルジェ城の城壁といった古建築にもうかがわれるが、なにより特徴的なのは街の迷路のような構造だろう。

丘の上から見下ろす赤茶けた瓦屋根と白い家壁、そして向こうに海のように広がるテージョの水のコントラストは、一見するとこじゃれた南欧風のたたずまいだが、一つひとつの屋根の方向はといえば、微妙に不規則だ。その足元には、下手をするといつのまにか迷い込み、同じところを何度も上り下りしかねない小径や階段が、細い運河のようにうねっている。

敷石は途中で剥がれ、古い建物の補修工事は随所で延々と続き、犬の糞や車の通行にも気をつけなければならない。その運河のような迷路のそばに、サッカーに興じる子供たち、風にはためく洗濯物や閉ざされた門扉、鳩や鴎や猫や犬や、諍う声や人を呼ぶ声、ときにはギターラの音やらが、生活の雑多な匂いとともに這いつくばっている。アルファマは、グラナダのように牧歌的ではなく、ヴェネツィアのようには幻想的ではない。しかし、その吸引力から逃れることは、そう容易なことではない。

ひとたびアルファマに抱かれてみれば、かつては都市防衛的な観点からあえて設計された高低差のある迷路が、現在は住人たちの生活の襞となり、旅人にとってはそこはかとない旅情を醸し出す、絶好の舞台装置であることがわかる。

その思索的エッセイ『白い街へ─リスボン、路の果てるところ』で杉田敦は、リスボンを西欧の道が果てる場所と解釈した。司馬遼太郎の『街道をゆく〈23〉南蛮のみち2』もまた、コメルシオ広場の船着き場跡が、階段状にテージョ川に沈む様子を、西洋近世の道の終わり、そして大航海への始まりの刻印と理解した。

いずれにしても、そこは川と丘の、大陸と大洋の、一つの文明ともう一つの文明の、一つの宗教と別のそれとの、汀(みぎわ)であったには違いない。むろん、それは一つが他者を排斥する境界ではない。渾然と一体となり、曖昧となり、ただ朽ち果てつつ、しかししぶとく呼吸し続ける街。その汽水のような境界域の感覚は、リスボンの街全体に濃いが、アルファマにいるとなおさら強く感じられるのである。その感覚は、一介の旅人には、一瞬の安らぎと感じられ、また私はそれを素直に楽しんだのだった。

Alfama1Alfama2Alfama3

2005-06-09 (Thu)

[trip] ポルトガルの写真集

MacのiPhotoからオーダーできるフォトブックでポルトガルの写真を精選しプリンテッドのアルバムを作ってみた。26ページのハードカバー。送料込みで5,250円也。オーダー受付が5/27で、到着が6/8だから約2週間かかったことになる。

受付・発送メールは日本語だったが、タイムスタンプはアメリカ太平洋夏時間、ブツはドイツから発送されてきた。実際はどこで作っているんだろうね。装丁はネイビーのリネン貼りで、ちょっとカッコイイが、表紙に写真をぺたっと貼った感じはいかにも。

中味は全部オレの写真なんで、品質・芸術性ともに素人の域を超えないけれども、世界に1冊しかないオリジナル写真集というのは、なんとも心地よいわ(もっとコストが安ければ増刷してバラまくんだけれど(笑))。画像の説明


2005-06-13 (Mon)

[football] バルサ

12日(日曜)は横浜で、Fマリノス×バルサのフレンドリーマッチを観戦。開始1分でいきなり坂田がゴール。あれれ。ロナウジーニョ、エトー、プジョルなどスター選手不在に加え、旅疲れ、湿気疲れ、まあいろいろありましょうが、体が重い、寄せが甘い、足が遅い。こんなんバルサじゃな〜い。でも、この時期に日本で興行しなくちゃならない選手たちには同情しますよ。試合は3-3のドロー。カテゴリー1の8000円は高いっす。

試合後、5人で中華街へ繰り出す。人に教えてもらった香港路の「保昌」という店。ホタテのオーロラーソースなんたらというのが絶品だった。


2005-06-14 (Tue) ポルトガルあれこれ8

[trip] ロカ岬

メールでのリクエストに答えて、ポルトガル紀行を再開。

ロカ岬(Cabo da Roca)は、リスボンの西20キロ、シントラ山地と呼ばれる山系が急激に大西洋に落ち込んで形成された断崖絶壁の岬である。

私たちはその日、リスボンから国鉄のシントラ線に乗り、シントラの世界遺産指定の景観のなか王宮などを見学した後、カスカイス行きのバスに乗って、岬で降りた。天気のよい一日で、時刻は夕方6時を回っているにもかかわらず、陽が落ちる気配はない。北緯38度47分、東経9度30分は、ヨーロッパ大陸すなわちユーラシア大陸の最西端である。「ここに地果て、海始まる」というカモンエスの詩句を刻み、頭頂に白い十字架をつけた石碑が向き合うのは、西陽を銀色に照り返す大西洋だ。カモンエスの詩碑

私がこの岬のことを知ったのは、キャメロン・ディアスが出ていた映画『姉のいた夏、いない夏』であった。キャメロンはアメリカからヨーロッパに留学し、その地での反体制運動に疲れ果て、ポルトガルまで流れ着き、そしてロカ岬から144メートルの下の海に飛び降り自殺したことになっている。

岬という地形には人の神経を不安定にさせる、ひそやかな魔力があるのだろうか。もうこの先には海しかない──実際は島があり、さらに行けば別の陸地があるのだが──という感覚が、よくも悪くも人々に諦念をもたらすのかもしれない。

その映画の印象もあり、殺風景で荒涼とした場所をイメージしていたが、あにはからんや、そこはシントラ・カスカイス自然公園の一角を成す、花の咲き乱れる美しい岬だった。とはいえ、けっしてけばけばしくはない。

多数の観光客がいるにもかかわらず、しかし人々の声は渡る風と遠い潮騒にかき消され、あたりは不思議な静謐感に包まれている。教会と土産物屋、ヨーロッパ最西端到達証明書を発行してくれる観光事務所がそれぞれ一つずつ建つのみで、観光地に特有の仰々しさがないのだ。観光事務所も6時には閉まってしまい、私たちは到達証明書をもらうことができなかった。

そもそも、ユーラシアをずっと歩いてきたわけでもないので、最西端への到達感などというものはなかった。それでも、カモンエスに倣って「おお、ここが地の果てか」というぐらいの感興はあった。もしも、冬の夕暮れにでも来たなら、静寂な印象はなおさら強まったに違いない。

観光客が寝ころびながら強い陽射しを浴びていた

2005-06-15 (Wed) ポルトガルあれこれ9

[trip] リスボンっ娘

ベレン地区を歩いていたら、学生の卒業式のような風景に出くわした。記念撮影中を失礼

会場の外でにぎやかに記念撮影している。儀式の際の黒マントはコインブラ大学の定番と聞いていたが、他の学校も着るみたいだ。彼女らが抱えている卒業証書(?)の表紙の文字は「リスボン市立高等工業学校」と直訳できるが、日本でいう工業高校なのか、高専なのか、専門学校なのか、不明。向こうの学制と年齢がわからないし、みんな、日本の若者よりは、表情が大人びているからなあ。

黒マント集団には他の場所でも出会った。100人ぐらいの集団が揃ってバスに乗り、テージョ川の遊覧船に乗り、学生生活の終わりを懐かしむふうだった。5月初めはちょうどそういう時期なのだろう。……って、てっきり卒業式だと思っているのだが、まさか入学式なんてことはないだろうな。

[trip] エヴォラのポサーダ

旅の11日目はちょっと贅沢しようと、エヴォラ(Evora)のポサーダを日本から予約していた。ポサーダというのは、貴族の館などを保存改修し、あるいは景勝の地に特有の建築様式をいかして建てた国営の宿泊施設のこと。スペインでいう、パラドールである。1階の回廊の一部部屋から教会が見えた

エヴォラはリスボンからバスで東方に約1時間45分、乾いた平原が続くアレンテージョ地方の中心に位置する古い都だ。観光対象は城壁で囲まれた歴史地区。範囲は直径1kmに満たないから歩いて回れる。2世紀末にローマ人が造ったコリント様式の神殿や水道橋の跡などが建築的には面白いが、あとは白い街と古い教会があるばかりだ。でも一応ここも世界遺産。中心部のカテドラルには16世紀に天正遣欧少年使節が訪れ、パイプオルガンを弾いてみせたとか。いちおう拝観しましたけどね。

エヴォラのポサーダ「ポサーダ・ドス・ロイオス」は15世紀に建てられた修道院の一部を改装したもの。1階の回廊をレストランとして使い、2階の僧房が客室。インテリアを含め、内観はたしかにムーディ。でも、前にも書いたけれど、ここのレストランの料理は値段の割にはいまひとつだった。ちょっと疲れが胃に来ていて、体調不良だったということを差し引いても。

だが、翌日、くりかおりさんのサイト「リスボンのくりの家」での紹介を頼りに行った市中の「FIALHO」という店は雰囲気、料理ともによかった。このサイトの情報は他の地区でも大変役に立ったのでこの場を借りてあらためて感謝したい。エヴォラ市内よりアレンテージョの平原を望む

ポサーダの日本での予約は、イベロ・ジャパンにて。客室も少なくハイシーズンは混み合うので、数ヶ月前からの予約が賢明。ちなみに、ポサーダ・ドス・ロイオスの料金は、ツイン1泊32,500円でした。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 長官 [コインブラ大学って世界最古の大学でしたっけ]

_ ひろぽん [そうみたいです。]


2005-06-17 (Fri)

[football] コンフェデ

ワールドユースがあったり、コンフェデがあったり、起業家のちゃらガキのインタビューがあったり、もう大変だわ。電車乗り間違えるわ、取材に遅刻するわ、頭ぼーとするわ、胃が痛いわ。

コンフェデは、アドリアーノの久しぶりの弾丸シュートに、笑っちゃうぐらい呆れ果てたゾ。日本はふつうに負け。もしかしてドローに持ち込めたかもしれないけど、引いている相手にはてんで攻めきれないから、このままじゃ、勝点1がせいぜいかな。ユースのほうはどうなんだろう。こちらもグループ突破は難しそう。


2005-06-19 (Sun) ポルトガルあれこれ10

[trip] ポルトガルみやげ

といえば、このニワトリの置物。画像の説明バルセロスの雄鶏伝説というのがあって、それにちなんだ同地方の縁起物だったのが、いまや全国どこの土産物でも売られている。陶器でかたどったものに絵付けしているが、なかには金属ベースのものもある。大小さまざまあって、サッカーボールを押さえているのは比較的斬新なデザイン。1羽 5euroもした。スキーをしているニワトリをあしらったポスターを、街で見かけたこともある。

他にはなんも買わなかったな。ポルトのポートワインはぜひ持ち帰って味わいたかったが、なんせ重いんでねえ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ばなな [ニワトリ好きにとってはたまらないけど、今年は鶏年なんで多すぎて収集意欲薄れがちっす。]

_ ひろぽん [よかったら写真の右のほう1個余っているのであげますよ。送り先直メールされたし。]


2005-06-20 (Mon)

[football] コンフェデ2

前言撤回(^.^;。対ギリシャ戦面白かった。良くも悪くも、あれがジーコジャパンの完成形なんじゃないかと思った。中盤は厚く軽やかで、でも点がなかなか取れないところも含めてだけど(笑)。

で、後から再放送観たんだけれど、メキシコってば、ブラジルに勝っちゃったのね。3回チャンスのPKを外して、でも決勝点を決めたボルヘッティ。演歌のマイクを握らせると似合うようなお兄ちゃん、どっかで見たよなと思ったら、2002W杯にも出ているベテランだった。新潟で見たな、たしか。それにしてもメヒコ、いいチームだわ。

ともあれ、これでブラジルとガチで勝負するしかなくなった、日本。もう決勝Tは無理だから、せめて4─2ぐらいの派手な試合で、散ってほしい。

[media] メディアのイデオロギー的搾術

産経新聞の記事「吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き」が面白い。

記事は歴史的事実の検証というスタイルを取っているが、吉田満が採用した証言Aと産経が取材した証言Bのどちらが真実に近いかは後生の読者には判断することが難しい。ただこうした反証を提出することで、日本軍人の戦闘中の行動の残虐性を薄める効果は発揮する。少なくとも「朝日はいつもいい加減な記事を書くなあ」という心証形成には効果的だ。

しかし、片道の燃料しかもたせずに海上特攻隊として出撃を命じた戦略自体の残虐性は、どうなるのか。そこは不問にしちゃうのか。

同じ記事が「残虐性を強調するような信憑性のない話が史実として独り歩きするケース」として引く、「沖縄集団自決は軍命ではなかった」という最近の調査なるものも、では沖縄守備隊は住民の保護を第一義としたのかと反論されれば、どう答えるのだろうか。そもそも軍命もなく住民が自決を選ばざるを得なかったとすれば、そのほうがより悲劇的ではないのか。

ちなみにこの「軍命なき集団自決」論は、産経-扶桑社-自由主義史観系の一部の研究者の指摘であって、沖縄戦研究者のけっして多数意見ではない(この記事参照)。

より大なるAという仮説を、部分的・矮小的に反証することで、Aそのものをなかったことにする、少なくともAによって与えられた心証を反転させようとするのは、ディベート技術の一種で裁判などでもよく用いられる論法だが、ときにはそこにイデオロギー的搾術が紛れ込むことがある。産経は(朝日もときおり)これが上手だ。

まあ、「逐一朝日の記事に批判を加えて、売上を伸ばせ」というのは産経の社としての方針でもあるようなので、この記事については、社益が随所に見え隠れしているなあと読めれば、それだけのことにすぎないのだが……。

[cynicism] ベナン

今日はほんとにヒマなのか>自問。

それはともあれ、ワールドユースで日本とあたったベナン共和国。アフリカにこんな国あったっけと、無知を承知の失礼な感想をもったが、よく聞けば旧ダオメーという「奴隷海岸」の国。ワシラの小学生の頃の世界地図では「ダホメー」と記載されていたような気がする。

17世紀このあたりにあった黒人王国は奴隷貿易によって栄えていた。つまり、域内の異部族を奴隷狩りして、西洋人の奴隷商に売りさばいて利益をあげていたのだ。奴隷貿易そのものは西洋人によってもたらされたものだろうが、それを補完するシステムが奴隷供給地の側にもあったという事実は、歴史の複雑な相を理解するうえで重要なポイントかもしれない。

ナチスのユダヤ人強制収容所送りを下請けとして支えたユダヤ人組織、日帝の朝鮮統治を物理的・精神的に手助けした「親日」知識人など、歴史は同じことを何度も繰り返す。弱いものがさらに弱いものを収奪する構造は、いまの日本にもたくさんあるじゃないか。


2005-06-21 (Tue)

[life] クレジットカードデータ流出

福井のT氏のカードはデータ流出の対象だったそうだ。ワシも海外ソフトをVISAで買うことがあるし、2年前のアメリカ出張のときももしかすると、カードを使ったかもしれない。自分のカードは安全かどうか、カード会社からの連絡をまっていればいいんだろうか。

某カード会社の会報誌に、カード会社のセキュリティ対策(もちろん提灯記事ですけど)の話を書いているんだが、これで連載すっ飛ぶかもしれんなあ。


2005-06-22 (Wed)

[football] ワールドユース決勝Tモロッコ戦

グループリーグよりは全然動きがよかったし、ほとんど勝てた試合だと思うが、最後の最後でマークが外れた。前半にカレンが決めていてくれたならなあ。

期待が大きい分だけ、グチも大きくなるんだが、FW平山くん……。たしかに高くて、バックヘッドはよく当たるけど、たんにそれだけのポストプレイヤーにしか見えない。筑波に行ってあんまり成長してないなという感じ。まるで、アリクイのような猫背のノソノソ歩きも、マイナスイメージ。決勝点を入れられた直前のシーンも、中盤に戻った平山の守備には不満が残る。観ていて、いらつく選手ではある。

それでも短期間にチームを建て直してきた大熊監督と選手たちを誉めるべきか、4試合で勝点2しか取れなかったことを強調すべきか……。


2005-06-23 (Thu)

[life] 同窓会

高校時代の仲間の同窓会、品川のインターシティで。特に出世した人もなく、特に零落した人もなく。

[book] コロニアリズム

先の同窓会でもちらりと話題に上っていた四方田犬彦の『われらが<他者>なる韓国』(平凡社ライブラリ)を昨晩読了。パクチョンヒ独裁が倒れた80年代初期に書かれた文章がほとんどだが、その頃の左派に主流の植民地主義への贖罪感、あるいは週刊誌メディアに溢れつつあった大衆文化ブームの浮かれたメガネ(キーセン観光を含む)でその地を見る視点からは離れ、よりリアルに韓国の文化状況を活写しようとする。なかでも韓日にまたがって数奇な生涯をたどった詩人・金素雲へのオマージュがいい。画像の説明

最後に収められた「人はいかにして在日になるか」という文章は、日本文化の渦中にいながらにして、「わたしこそが日本であると確信し明言しきった瞬間に、足もとの台座をすっともっていかれそうな気がする」四方田の立ち位置を示すものだろう。その不安と緊張こそが、彼の文章を澄み切らせる。そこが少しだけ、関川夏央とは異なる。「在日」とはここでは「在日・日本人」の謂いであるのだ。

四方田に触発された格好で、あらためて近代日本の植民地主義を勉強しようと思った。いまや、思想界はポストコロニアリズムの時代で、いやそのポスコロさえ遅れているとかいわれている時代にあって、実証主義的な歴史観の立場から書かれたコロニアリズムの実際をあらためて学ぶことは、けっして意義ないことではない。岩波の叢書『近代日本と植民地』を何冊か注文。


2005-06-24 (Fri)

[life] 石垣島・沖縄へ

明日から取材で全国行脚週間。石垣〜沖縄の後は一日おいて札幌。さらに来週末は大阪。ヨサゲではあるが、遊びじゃなくて仕事だからなあ。コンフェデ、WYの決勝Tの試合がちゃんと観れないのが残念。テーマまた変えました。


2005-06-28 (Tue)

[trip] 琉球

石垣島→那覇→沖縄市(コザ市)→今帰仁村→国頭郡東村→那覇というコースで琉球取材終了。これまで那覇、宮古には行ったことがあるが、今回の取材はよりディープだった。その地で、たんに遊ぶ人ではなく、働く人を取材すれば、いかなる意味でもディープにならざるをえない。南の島の「明」と「暗」を、つかの間とはいえ感じた。コザ市

[trip] 琉球2

沖縄で驚いたもの。那覇の牧志公設市場に並ぶ食材。肉屋のショーケースには豚のツラがそのまんま鎮座している。ただ、現地コーディネイターによると、ここよりも、未明から早朝にかけて開かれる農連市場のほうがもっと迫力があるのだとか。 豚ヅラ那覇牧志公設市場に並ぶ琉球の食材  で、那覇の一日目の昼は、コーディネイター氏案内で、看板も出ていない民家のようなところで定食を食べた。いちおう「刺身定食」なのだが、ティビチ(豚足)のほうがデカいのがご愛敬。那覇で食べた刺身定食600円なり今帰仁の夕陽  2日目は、今帰仁村の海岸に面したゲストハウスへ。あいにく雲が多かったが、東シナ海方面に沈む壮大な夕陽を眺めやる。晩飯は近所の居酒屋「海の幸」。ここがすごい店でした。魚介はすべてあるじが朝と晩に近所の浜から小舟を出して採ってきたものだけ。殻付き生雲丹をあれほど食ったのは初めての経験。海人(うみんちゅ)であるあるじの話を聞きながら、3人で泡盛2本を開けた。懐中電灯で照らしながら宿に戻り、波の音で眠り、波の音で目覚めた。

[IT] CLIE死す

今朝ほど突然にPDAのCLIEが使えなくなっていた。全く充電が効かない。SONY CLIE PEG-NX73V、おそらくバッテリーそのものか、接続部の故障だろう。空気のように使っていたから、これがないと困る。Palm Vx もまだ手元にあるのだが、セットアップが面倒。ショップ持ち込み修理だろうな。購入は2003年6月。まあちょうどよいぐらいのソニータイマーだわ。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。