1日は朝思い立ってPowerBookを秋葉原のビットシステムに修理に持ち込む。久しぶりのアキバ。駅前にごたいそうなビルが建設中。駅の様子も様変わり。預かり修理で、蓋のラッチとバッテリーをつけかえることになって、出費は計4M弱の予定。
昼前に新宿に到着。ふらふらとTu-Kaのショップに入って、機種変更など打診してみるが、有機ELディスプレイ付きの新機種が2.5Mだと。アホらしくなって止める。キリのいいときにキャリアを変えるかなあ。その後、新宿パークタワービルのOZONEでインテリア取材の下見。いくつか収穫あり。
午後2時に東品川。PLと営業さんから予備取材。スタッフとお茶してから帰宅。コンピュータの整備など少ししてから、おもむろに夕食準備。骨付き鶏ももと牡蠣がたっぷり入ったコラーゲンミルク鍋。簡単にできて美味滋養強壮。ふぅふぅいって食べながら、録画しておいたバレンシア×ビルバオ戦を流し観。その後いろいろと事務。充実した一日ではあったが、しかし、原稿はいつ書くのよ。
午前中、集英社のWeb通販で頼んでおいた若桑みどりの『クアトロ・ラガッツィ』が届く。二段組み550ページは分厚い。こんな本、いつ、読めるのか。しかし、正月に仙台の本屋には在庫なし、bk1も取り扱いなし、アマゾンも3週間待ちで、もしかして絶版かと気になっていたので、つい買ってしまったのだ。今年度の大佛賞受賞作を絶版にするほど集英社も非道ではないと思うが……。
午前から午後2時まで原稿下書き。夕方、向河原。6時過ぎ新橋で、N社の編集者と飲む。たんに仕事の進捗状況報告のためだけに飲むことはないだろうと思っていたが、案の定、3月末での転職の挨拶。それも某社の新しい雑誌の編集長に就任予定というから驚く。もしかしたら業界やマスコミの話題になるかもしれない人事ではある。40歳前の転職ストーリーとしても、今後が興味深い。
少し興奮ぎみに3時間以上飲んだので、酔い覚ましにタイニーで一杯ひっかけてから帰還。
土曜日は年上おばさま3人と飲み会。中島みゆきにむせぶ夜。途中、久しぶりに池袋に出たので、Bicカメラで携帯電話を購入。7、8年使ったTu-Kaをいよいよ見捨てる時が来た。でも、DoCoMoの FOMA の新機種は機能ばかり豊富で、使い勝手悪い。Tu-Ka TK22 の見識をあらためて見直してしまった。月曜日、携帯番号変更通知メールを100人ぐらいにおくったら15人ぐらいから返信あり。なかに「FOMAは新幹線移動中に弱い」という報告あり。ま、いいや、車中は読書か寝ることに専念しよう。
月曜は8時まで新宿で仕事。腹減ったので西口小便横町で飯。懐かしくも健在。小石川に戻り、タイニーで一杯ひっかけてから帰還。
8日(火)は、朝起きるもどうにも体がだるく予定の原稿書けず。午後はG誌の最終アポ取りおよびカメラマン手配に追われる。夕方秋葉原ビットシステムで修理が終わったPBを受領。喫茶店で引き続き仕事。夜7時から東京・八重洲で取材。
1時間強で仕上げて、四谷へ。札幌から上京したN氏と歓談。国内植民地としての北海道と道民の意識(移住者の視点から)、メディアとしてのblogの可能性と限界、などなど。彼と話すと論理的になれる。日々のことどもを整理できる。これまでそんなにたくさん話したわけではないけれど、だからこそ貴重な友人。はい、絶対に近々札幌にお邪魔しますよ。ついでながら「白い恋人」ありがとうございました。
でも少し飲み足りなくて、小石川タイニーでLaphroaicをW+Sでひっかけて帰還(というフレーズが最近多いかも)。
市之瀬敦著『海の見える言葉 ポルトガル語の世界』(現代書館) 『ポルトガルの世界─海洋帝国の夢のゆくえ』(社会評論社)
本気でポルトガル語を勉強しようというわけではないのだが、旅行予定のポルトガルという<場所>についてのお勉強の一環で読んでいる。
ポルトガル語は、ポルトガル、ブラジルだけでなく、アフリカの旧植民地、さらに東ティモールの公用語でもある。インドのゴアでも一部話されていたらしい。マカオも旧植民地で、たしかに私の取材経験でもマカオ政府の役人にはポルトガル語を話す人もおり、公的な文書もそれで書かれていたが、街で通用するのは広東語でしかなかった。
前者の本は、筆者がポルトガル語圏アフリカ文学やクレオール語の専門家だけに、通俗的なポルトガル語論とは視点が異なっており、「カステラの由来」みたいな話を期待すると裏切られる。しかもときおり専門に耽るきらいがあり、必ずしも読みやすいとはいえない。それでも、たとえば東ティモールという新しい国家が独立にあたってどのような言語政策を用いるべきかで、深刻な議論を重ねたという話は興味深い。当時の支配者インドネシアの言葉でも、商用的にグローバルな英語でもなく、現地語と旧宗主国の言葉ポルトガル語を二重公用語として採用せざるを得なかったというのは、近代植民地主義がもたらした一つのアイロニーだろうか。
それはともあれ「ポルトガルっていまもあるんですか」という人がいるらしいぐらい、歴史の教科書で学ぶ大航海時代と現在のギャップの激しい国ではある。でもユーラシア大陸の端っこに位置していて、海洋に出るしか生き延びる道がなかったからこそ、新大陸をしゃにむに「発見」しなければならなかったのだと言われればさもありなんではある。この大西洋主義と、なおかつヨーロッパに留まろうとする欧州主義が、近代ポルトガルをかたちづくった2つの政治思潮であったと筆者は、後者の本の中で分析している。ポルトガルをサラザールの独裁と古い帝国主義のくびきから解き放った1974年の「4月25日革命」は私もおぼろげながら記憶しているが、しかしはや30年経ち、その革命精神はポルトガル国内でも「歴史化」「形骸化」されてしまっているという指摘もされている。
熱烈なベンフィカ・ファンでもある筆者(『ポルトガル・サッカー物語』という著書もある)がときおり差し挟む、サッカー論は面白い。前著では「ポルトガル・サッカーA〜Z」という章まで割いている。それによれば、ポルトガル語で書かれたあるサッカーの本には「日本」という項目もあるが、それはサッカーの起源の一つとしての「蹴鞠」について触れた箇所であるという。ほんとかいな。 ちなみにブラジルのサッカー用語には「日本人がいるチーム」を意味する「equipe com japones」という言葉があるらしいが、それは「全選手がまったく同じようなプレーをするチーム」という意味なんだって。市之瀬氏も「かなりの偏見」だと憤慨しているが、でも、そういわれるとまだまだそうかな、という気がしないでもない。
寒くなったり、暖かくなったりだなあ。日曜は午後からご近所づきあい。一文の常連さんたちと共に神楽坂で大将の引っ越し祝い。昼酒(「越の寒梅」は久しぶり)を飲んだらソファですっかり眠ってしまった。奥さんの手料理美味い。子供たち可愛い。仕事が残っているのでお店には残らず帰還。
朝方には、バルサ×マジョルカ戦を観ていた。大久保はやっぱりスタメン落ちで後半から出場。しかしキレはよく、短時間だがパフォーマンスは悪くなかった。プレイにちょっと粗雑なところがあるが、ま、これも元気のうちということで。前節ベティスとビルバオがすごいゲームをしたらしい。未放送の好ゲームをシーズン終了後ででもいいからまとめて放映してくれないかなあ>WoWoW
ちなみにリーグ優勝の行方は、バルサが勝って、レアルがビルバオに敗れ再び勝点7に。レアルのゲーム進行はバルサ戦の中継時のスタジアムのどよめきからもある程度予想していたが、録画を観ると、ビルバオの集中力ばかりが目立つ試合。後半、ロナウド、ジダン、ラウールを3人同時に投入も追いつかず。よしよし。
原稿、やばやば状況が続く。一つ終わっても次から次へと〆切が。ためこんだワシが悪いんだけれどサ。悪いことにその合間に取材が目白押し。取材ってのはふつう事前の予習が必要で、その成否が取材の質を左右する。だからこの比重はけっこう重い。インタビュー原稿の場合、準備1/3、インタビュー1/3、ライティング1/3といったところか。単純に時間に置き換えれば、実際のインタビューが2時間だとすると、仕事を仕上げるまでに最低でも計6時間以上の時間がかかることになる。うーん、こりゃだめだ。マジ、寝れない。タバコが増える。
1本の原稿に集中して、終わったら次というのならまだ楽だが、複数の媒体の複数の取材が交互にやってくると、自分でもわけわからんことに。ただこの1週間は微妙に取材先業種がオーバーラップしていた。それぞれ別の媒体の取材なのに、CAD技術者の次が、CADソフト会社の社長、横浜のシティホテルの後が神田のビジネスホテル、そして今日は午前と午後が別の雑誌の取材だが、奇しくも同じ生保業界だ。そんなつながりをせいぜい面白いと思わないとやってられない。
26日(土)は寒い朝だった。昨日はようやく7時間近く眠れたが、しかし疲れは残っている。頭がどうにもみすぼらしいので、朝一番で床屋へ。鏡の中の自分は目の下とか頬とか疲れ果てて精気がない。
床屋の椅子はよく眠れる。自宅にも一台欲しいと思うぐらい。ただ、店の中で鼾をかくのはどうかという神経が働くのか、寝入りばなの鼾をかく瞬間を自己察知してその都度、目覚める。
帰りあらためて千川通りを歩いてみたが、ビデオ屋が1件、近隣の姉妹店に統合とかで閉店しているのを発見。「象の仔」という、名前は可愛らしいが、ケーキはあんまり美味しくない喫茶店も廃業。マンションばかり増えても客が増えないのだな。むろん業態選択や個店の営業努力も足りなかったのではあろうが。
ついでに白山通りには「すき屋」と「なか卯」が並んでいるのだが、会社的に前者が後者を買収ということで、これからどうなるのか。兄弟店として残るのか。でも同じようなメニューじゃ、相乗効果はないだろう。それにしても、この一角では「なか卯」のほうが圧倒的に美味かったんだがなあ、企業経営の判断とは別物のようだ。
体がぴりっとしない。どうにも眠くてだるい。でも原稿書かねば。
ベストセラー『問題な日本語』には採り上げられているだろうか、最近妙な耳障りのする日本語。「さはさりながら」っていうやつ。むろん「サワサリナガラ」と発音する。最初に聞いたのは日本銀行の職員からだったから、官僚風の言葉遣いなのだろうか。政治家も使うみたいだ。この2カ月で2度聞いた。これまでの人生でそれが口語表現として使われるシーンに立ち会ったことは皆無だったから結構驚いた。要は「そうではあるものの」ぐらいの意味だろうが、最初はなに文語気取ってんねんと思った。誰かがテレビででも使って人口に膾炙(ってのも古い言い方やね)するようになったんだろうか。ま、ワシもときどき使う「ことほどさように」とモードが似ていると言われれば、二の句が継げんがよ。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ 小石川T [昨夜は鶏すきをつくったのですが、つくりすぎたので一文へもっていったらまた飲んでしまった。まさかのぞかれているとは。]