朝日新聞の土曜特集面で知ったこと。ペシャワール会でアフガニスタン現地医療に取り組む中村哲医師は、火野葦平の甥っ子で、火野が『花と龍』で描いた両親、北九州・若松の沖仲士、玉井金五郎とマンの孫に当たる。京都精華大の池田浩士氏には『火野葦平論』があり、池田氏はまた「日本寄せ場学会」会長で、この学会は会員が年に1週間、日雇い労働に出るという「すごい学会」なんだそうである。
火野葦平は残念ながら読んだことがない。ただ、中村哲については一、二冊、池田浩士は学生時代から折に触れ読んではきた。しかし、あのか細い池田氏の体躯は、はたして日雇い労働に耐えうるのだろうか。
私のささやかな関心空間の中で、何かと何かがぶつかって、小さな火花が散った感じがした。
ホ・ジノ監督 ☆☆☆★(3.5/5点満点)@日比谷スカラ座
重大な交通事故の知らせで、配偶者の生命の危機と同時にその不倫を知らされた一人の夫と一人の妻。それは「私、何か悪いことをしたのかしら」(ソン・イェジン)というぐらい、平和な日常に訪れた青天の霹靂なのだった。いわば二重の意味で配偶者を失った者同士が、やがて不信と悔悟の泥沼から半身で立ち上がり、復讐と慰めという感情のままに、そして行き場のない焦燥に身を任せるようにして愛を交わす。
あらかじめ欠損を抱えた個として出会い、その欠損を満たすべく倫理を越えて一線を踏み出す、男と女の共同正犯に至る過程が映画の過半を占める。やや冗長な感もなくはないが、映画の説得力を担保するためには必要不可欠な仕儀であったろうと、私は弁護する。その長き前半があってこそ、初めて濡れ場の情感が生きる。
やがて、片側は配偶者を永遠に失い、片側の妻は蘇ることで、不倫の二人の共同正犯=平等関係はバランスを失う。そのアンバランスのなかで、「これから先どのように生きるべきか」は誰も答えを持たない。そもそも、下弦の細い月のように失われた者同士として出会った二人には、満月などは似つかわしくない。欠損を、つまりは新たな出会いによってより深く隈取られるようになった月影を抱えたまま、生きるしかないのであろう。
物語を皮相にみれば、事故はあったものの、本妻は生き残り、愛人もゲットしたヨン様だけが得したような感じもしなくはないが、そういう見方はなんつーか下世話的すぎる。損得論だけいっても、やっぱ妻は死んだほうがこの場合、結果的には都合がいいもの。やはりイェジンよりは、ヨンのほうに、より人生は苛酷だというべきだ。
ちなみに、タイトルの四月の雪とは、解けやすい淡雪というよりは、ここでは季節と人の尋常ならざる邂逅の謂いであると理解した。
書き込む前にネットの批評を読んだ。ネット上で何事か語ろうとするような映画ファンは、おそらくはヨン様ファンではないので、ミーハー風に思われたくなくて、みな言い訳しながら書いているのが笑える。そのなかでは、この評者の分析はそれなりに的確。
上記サイトも言うように、これはヨン様のではなく、ホ・ジノ監督の映画として<玄人風に>観るべし。同監督の恋愛映画手法は成熟の極みにありと思う。台詞の少ない静寂な印象の佳作。まさに映像のバラード=民衆的小叙事詩人の面目躍如だ。
昨夜は晩ご飯に、久しぶりに小石川の「アルペッシェドーロ」に出かける。10月のお魚は、いとより鯛のアンコーナ風。美味い。しっかりデザートまで食ってから、伝通院の坂を降りて、仕上げに一文で「想天坊」をきっちり一杯だけ。しかし、たいていの blog の内容てのは「何食った、何買った」なんであるなあ。ワシのも例外ではないが……。食った買ったであるから、「小石川くたかたの日々」とでも改称しようか。
どうにも土日の使い方がうまくいかない。結局、ただ寝ている時間のほうが多かった。天気もすぐれず、悔いばかりのみ多かりき暗い日曜日。
それでもDVDで『血と骨』(崔洋一監督/☆☆☆)、『暗い日曜日』(ロルフ・シューベル監督/☆☆☆)を観て、四方田犬彦のイスラエル、パレスチナ、セルビア紀行『見ることの塩』を読み続け、bk1から届いたアボリジニ文化と美術に関する本をチェックする。
映画『血と骨』は衝撃的な大作。同じ原作者の映画化作品『夜を賭けて』(金守珍監督/☆☆)などに比べても、崔洋一の演出はきわめてリアリティがあり、なかでもビート・たけしの不気味な怪物性を引き出した手腕は評価されるべきで、日本への朝鮮人移民の歴史に家庭内ファーザー・コンプレックスを織り交ぜドラマとしての水準も高い。冒頭と終幕、済州島から大阪港に向かう船のシーンに、私はふと、エリア・カザンの『アメリカ アメリカ』を思い出したりした。
ただ、惜しむらくは父・金俊平の暴虐を支える内面を、見ている側がよく捉えきれないところ。捉えきることなど監督にも不可能で、それはそれで放ったまま見せていくという考え方なのかもしれないが……。
『暗い日曜日』は1930年代のハンガリー・ブダペストのレストランを舞台にした愛と復讐の物語と、とりあえずは言っておこう。時代が時代だけにお決まりの、ナチスとユダヤ人迫害問題もからんでいるのだが、それを背景に描かれたニンフォマニアすれすれの女性の物語ともいえる。面白いことは面白いのだが、いまひとつのめり込めず。
先月からかかっていた某社のオフィスデザイン研究誌の原稿を遅れながらもなんとか今週初めに送った。
企業経営とオフィスデザインの関係を研究するというのだが、むろんワシはその専門ではない。ただ、専門研究者の原稿は別にあるし、ワシの担当部分では企業のオフィスプランをベーシックに取材してレポートしてくれればよいというので、引き受けた。某外資系オフィス家具メーカーのPR媒体の仕事をしばらくしていて、その方面への多少のアタリと、テーマ自体への興味・関心がないわけではなかったし……。
取材は大変面白かったが、文章にするとなるとなかなか難しく、原稿の仕上がりも水準的にどうなのか、いまもって心配ではある。
とはいうものの、制作にあたっているN社の編集者の評価は「OK」ということだった。今朝も別件の仕事を頼まれた(日程的に合わなくて断ったのだが……)。ワシの原稿を読んでいる編集者から、別の仕事を頼まれるというのは、売文稼業の端くれとして、嬉しくないと言ったら嘘になる。いや、正直、チョー嬉しい。たとえそれがどんなに細かい仕事ではあっても。
そうやって自分の技能を売り繋ぐことで、なんとか食べていける。それが、はたして何歳まで続けられるのか、という不安は残るのだけれど。
成田からのナイト・フライト。ブリスベンに朝7時過ぎに着いて、9時過ぎの国内線に乗り換えたのだが、なぜか砂漠の真ん中の小さなエアポート「マウント・アイザ」に途中降機。なんでもダーウィン上空が雷を伴う嵐なのでしばらく待機するんだと。ブリスベンを出発する時点ですでに機体の故障で1時間以上遅れており、マウント・アイザでも2時間ぐらい待ち。なんだかんだで結局、着いたのが現地時間の夕方5時過ぎ。昼の予定はすべてキャンセル。それでも、日本語ペラペラのキュートなガイドさんに伴われて、ダーウィン市民が乾季の時期に楽しみにしている木曜夜のナイト・マーケットを軽く取材。ホテルそばのタイ・レストランで夕食を摂る。
明日は早い。いよいよ気温38度、湿度70%のカカドウ国立公園に突入だ。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ 小石川ぢ [食いしん坊バンザイ。食欲と睡眠欲の秋をたのしみましょう。 「いとより鯛のアンコーナ風」 想像もできませんので、次回か..]