大晦日の宮城県多賀城はちょうど着いたころから雪が舞いだして、朝方までに10cm以上積もった。雪の元旦は久しぶりかも。酒とおせちと読書とテレビと、2日の初売りの日には仙台まででかけて、ヨドバシカメラでちょっと買い物。商店街の人混みにうんざり。仙台は毎年一度は帰ってきているが、実家がこの地に引っ越したのはちょうどオレが大学で東京に出てからのことなので、いまもって土地勘もないし、つるんで遊ぶ友人もいない。ふるさとという感じがほとんどしないのだ。
それにしても仙台の駅前の変貌ぶりは帰るたびに凄まじいものがある。東京本拠のチェーン店が揃い踏みで、まるでミニ渋谷だ。今年は「ようこそ、東北楽天イーグルス」という看板が郷土色を出していたが、それもまた結局のところ東京資本の招聘にすぎない。それにしても駅前のアイエ書店(っていったかな)はどこへ行ったんだろう。ロフトが出来て、その上階にジュンク堂があったが、これに取って代わられたんだろうか。スペースは広くなったような気もするが、なんか探しにくい。それより本町の「Ayumi Books」という中規模書店のほうが品揃えは優れている。オレの場合は人文系専門書の充実ぶりと、きちんと連関を押さえた棚の展示というのが書店評価のポイント。
3日昼には帰京。上野で軽く飯を食ってから帰宅。1年ぶりに電源を落としておいたPowerMacが起動しないんで焦ったが、シフトキー立ち上げで起動項目チェックしたら、なんとか動き出した。
安倍晋三がテレ朝の報道ステーションに出て、「NHKが予算説明のためにやって来て、当該番組について説明したから、公平・中立に作ってくださいと言ったまで。事前検閲ではない」と弁明していた。仮にその言葉の通りだとしても、番組に対する当時の「目に見えぬ圧力を感じた」という制作現場の雰囲気の説明にはなっていない(参照1.参照2)。そのとき街頭右翼や後の自虐史観批判論者らが一体となって、視聴率1%にも満たない小さな教育番組を総攻撃しており、安倍はその雰囲気のなかでNHK幹部と会い、先の発言していたのだ。
むろんNHKの体質としてある、自民党の顔色を伺いながら番組を作らざるを得ないという点こそが問題だろう。NHKは議論のある番組作りのたびに、自民党実力者にお伺いを立てていたということが、はしなくも今回の安倍の弁明で明らかになった。強制ではなく、威力としての政治的行為という意味では、立派な事前検閲だと私は思う。
安倍はこの番組の素材となった民衆法廷が弁護人も置かず、検事役に北朝鮮の“工作員”が関わっており、民衆法廷自体が公平なものではない、従ってそれをNHKが採り上げること自体に問題を感じた(というニュアンス)とも指摘したが、もとよりその民衆法廷なるものは国家意思で行われる法廷ではなく、慰安婦など被害民衆の視点に立って歴史を再検証する政治運動だったわけだから、既存の裁判制度の基準を当てはめても意味がない。
たとえそれが反天皇制的で反日的で異端的でマイナーな内容だったとしても、そこに少しでも耳を傾けるべきものがあると判断したら、勇気をもって報道することは、むしろジャーナリズムの務めであろう(たとえば、いまや泣く子も黙る拉致家族救出運動が、運動の性格としていかに翼賛的で民族排外主義的であり、存在としてかつては少数派だったとしても、その運動の意義を認めて報道する姿勢と、それは同じことである)。
一見、自虐史観ウンヌンなど左右の論調が対立する問題のようではあるが、実はもっと基本的な話である。こうした国家による報道の事前検閲などを許していたら、右派にとっても、ノンポリにとっても、居心地の悪い世界を招来することだけはたしかなのだから。
それにしても、安倍に「あなたは国際政治に疎い」と批判された、番組コメンテーターの朝日新聞の論説委員は、もうちょいと反論をせねば。自分の立場を「事実関係」という名の形式主義で防御しつつ、実は対象を自身のイデオロギーで裁断し、果てはNHKの内部告白者に謝罪まで要求する安倍の論理のすり替えは、先に書いた石原慎太郎のTBS報道批判と同じロジックなのだからして。(先にその話を書いたら、北朝鮮が歓迎してくれるよ、と私を揶揄した御仁がいたが、そういう問題ではないでしょ)
そこでついでに思い出した話だけれど、そもそもNHKが自民党に弱いのは昔からで、かつてはとりわけ郵政族にクビ根っこを押さえられていると言われてきた。もう10年以上も前の話だが、NHK子会社の日本放送出版協会にビジネスマン向けの月刊誌があった。
私も科学技術系のインタビュー記事を書いていて、そこであるとき過労死問題の特集班を作って取材をすることになった。班の中の一人の私の友人でもあるライターが、その特集の一部に郵政省(当時)の職員過労死問題を採り上げたら、当の雑誌の編集長がクレームをつけてきたことがあった。郵政省に対する自主規制という意識が働いたのかどうかわからないし、それを指摘しても相手は頑として否定するだけだったのだが、当時私が友人たちと一緒に仕事をしていた高田馬場の事務所に、編集長やデスクを呼んで、載せる載せないでケンケンガクガクの議論をしたことを思い出した。日本放送出版協会は「きょうの料理」を作っていればいいのであって、この手のジャーナリスティックな記事は無理だなあとそのとき思った。
ま、私がまだ多少は“社会派”的な仕事をしていた時代の思い出だが……(最近は人や企業におもねる仕事ばっかしだなあ)。
に行ってきた。といっても、街宣活動にでも、受信料不払い通告に、でもないんだけど。NHKの大道具・小道具を一手に引き受ける子会社の情報システムの事例紹介というお仕事。数万点、いや、小物や衣装まで含めたら数十万にも及ぶ物品の管理システムですな。渋谷の放送センターの中に組上がった『義経』のセットなんかも見せてもらった。幅20mはあろうかという巨大なスクリーンにインクジェットで背景を印刷してあったりする。これを「遠見」と呼ぶらしい。職人言葉が残る古い気質の世界だが、みなさまのNHKなんで、物品管理は最新システムで水も漏らさずきちんとやってます、てな話でもあるんだけれど。面白かったっす。
bk1にきょう注文した本リスト。NHKの「週刊ブックレビュー」とか日曜の日経新聞の書評などに刺激されつつ。
・『僕の叔父さん網野善彦(集英社新書 0269)』(中沢新一著)・『進化しすぎた脳 中高生と語る〈大脳生理学〉の最前線』(池谷裕二著)・『明日の記憶』(荻原浩著)・『スモールワールド・ネットワーク』(ダンカン・ワッツ著)
以下は春以降に予定しているポルトガル旅行のモチベーションを高めるための仕掛けのつもり。
・『アソーレス、孤独の群島』(杉田淳著) ・『海の見える言葉ポルトガル語の世界』(市之瀬敦著)・『ポルトガルの世界』(同)・『サッカーのエスノグラフィーへ』(同編)・『ポルトガル〈小さな街物語〉』 (丹田 いづみ著)
_ Zephyros [中沢新一も親戚ネタで1冊書くようになったとは。ま,網野さんぐらいだと売れるんでしょうけど。]
こんな深夜にまでなっても原稿が全然進まないのは、ヘタをしたら自己啓発カルト、ヘタをしなくても擬似科学のコメンテーターの本を読んで、文章化しなければならないからだ。
「あなたは話すとき体が右に傾いているから、左脳派ですね」などと、まだ若そうなセラピストはしたり顔で言うのだ。「あれ、右に傾くのは右脳が重いからじゃないですか」と笑いながら言ってやったが、その皮肉は通じなかったみたい。カバンを右にかけるか左にかけるかにも、脳の構造が関係しているんだと。右脳と左脳の働きの違いぐらいはオレでもわかるが、いまどきそれで人間や組織を分析できるという発想自体が、もう頭悪いぜ。
いや、飲み屋の話題としてならオレも許すが、それで企業向けセミナーなどを開いて高い金を取るという根性が許せない。この手の話は、一見もっともらしくても、きっちりした実証データなど見せることができないのだから、トンデモ系と言われても仕方がないのだ。そういうコメンテーターの話を、いやしくも技術者が読む媒体に載せて大丈夫かよと、編集者には指摘したのだが、これも通じなかったみたい。オレは知らんよ。筆者名なんか出すなよ。
文章プロレタリアートは、ほんと辛い。
昨日(19日)は早朝に起きて原稿や企画書書き。昼過ぎから取材で成田空港へ。小石川から京成上野駅に向かうのにタクシーを使ったが、行き先を問われて思わず「京成成田へ」。運転手が驚いて確認してきた。成田までタクシー飛ばしてたら、原稿料飛んじゃうわい。ボケはもう一つあって、財布を家に置いてきたことに車中で気づく。戻ってもらって再び上野に向かったが、うーん、どうかしている。
夕方スカイライナーで上野に戻る。上野から自宅までは春日通りを登り降りしながらよく歩いて帰ることがあるのだが、昨日は途中で引っかかった。池之端のカウンター式の寿司屋で軽くつまんでから、天神下のおっさんだらけの焼き鳥屋でもう一杯。このあたりやたら焼肉屋、寿司屋が多い。フィリピンパブも多いけど。猥雑な街よ、フォーエバー!
睡眠不足に酔いが回り千鳥足で小石川に辿り着く。少し醒まそうと、ベローチェでお茶するうちに、コートを着たまま座席で眠り込む。どっぷりとおっさん色に染まりつつ。
大田区方面の地理に疎い。京成、京急、東急など入り組んだ路線図もふだん乗りつけないので頭に入らない。昨日も取材で「穴守稲荷」駅9時半待ち合わせ。「青物横丁」と共に京急のユニークな地名として記憶にはあるが、青物の隣ぐらいだろうと思っていたら、羽田空港に近いのね。京急蒲田から空港線に乗り換えた電車がなんちゃら快速で、穴守稲荷をひゅーんと通過し、次の駅はもう空港。戻りの電車にも間一髪間に合わず、あわててタクシーを拾って戻ったら2500円も取られた。
昼食は取材班みんなで京急蒲田途中下車。この街も馴染みがあまりない。アーケードの商店街、庶民的だよな。大連家庭料理の看板を出した中華屋が流行っていたので入るが、量のみ多くて味は塩っぽい。「労働者の味がする」と思った。でも、住むには便利な街かもね。
ちなみに穴守稲荷の取材先はANAの訓練センターがあるビルの中にあった。見学はしなかったが、フライト・シミュレーターとか脱出訓練用のプールもあるとか。「キャビンアテンダントはそのとき水着ですか」と聞いたヤツがいて、一瞬想像が膨らむ。
_ yu [あたくしは「平らなところ恐怖症」と昔から呼ばれておりますです。]
若き日のチェ・ゲバラ。24歳。おんぼろバイクで友人と南米を旅したときのロードムービーである。ゲバラは、喘息持ちでシャイで心優しかったのだな。タフで陽気な友人アルベルトとのデコボココンビは、ロードムービーには不可欠のキャラクター設定だ。しばらくは無鉄砲な青春モノである。アルゼンチン・チリ国境を往くときのあの渓谷の絶景はどこだろうとか、観光映画としても楽しめる。
しかし、政権の弾圧を逃げて銅鉱山の苛酷な労働に従事しようとしているチリの共産主義者夫婦との出会いあたりから、それまでは金持ちのボンボン風だったゲバラの表情が引き締まってくる。このあたりの演出はうまい。アマゾン河支流のハンセン病患者の隔離病棟でのボランティアは、医師としての彼の原点になるはずのものだった。しかし、その後、ゲバラは医師にはならず、ラテンアメリカ社会の変革を志向する革命家となる。フィデル・カストロとの出会いが決定的だったのだが、そこは映画には描かれない。革命家誕生の前史。
他の人と同じようでいて、少しだけ違った青春。別れの日、誰も泳ぎ切ったことがないという川を泳いで患者たちに遭いに行くシーンは、爽快だ。ただ、最後の老人のシーンはなくもながであろう。主演のガエル・ガルシア・ベルナルは若いときのアラン・ドロンに似ている。ゲバラの陰影をよく表現しているように思う。(恵比寿ガーデンシネマ/☆☆☆/最高☆5つで)
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ kusa [お茶でもご一緒したかったですね]