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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2004-06-02 (Wed)

『ハイスクール1968』

イングランドとの親善試合。俊輔→アレックス→小野のシュートは絶妙。ああ、こんな風に点が取れるようになったんだ。しかし、イングランド、こんな調子でユーロ、大丈夫か。生中継のあとすぐに眠れず、四方田犬彦『ハイスクール1968』を読了。60年代末期を教育大付属駒場高校で過ごした著者の青春回顧だが、たった半日のバリケード封鎖の失敗体験を痛みとしてずっと抱えてきたという告白は胸に迫る。あの時代の思想的・文学的流行という意味で、2歳下のオレにも一部は共通の読書体験もあるが、しかし、全然質と量が違うのね。早熟で秀才で、学校さぼって映画(年間500本!)見ながら一浪して東大に入っちゃう都会っ子と、3年遅れて学校に全共闘がやってきた田舎のガキとの決定的違い──。

坪内祐三の『一九七二』はその4年後の話だが、オレにはペダンチックで中味がないと思われたのは、やはり全共闘以降世代のひっかかりのなさが鼻についたからだろう。よく調べて書いてはあるが、著者の切迫感が伝わらないのだ。ま、史料的価値は高いと思うけどね。

引き続き、鶴見俊輔に小熊英二、上野千鶴子がインタビューした『戦争が遺したもの』を読み始めるが、ジャワでの従軍慰安所設立にかかわったという鶴見の軍属としての体験を、上野がしつこく問いつめるというシーンが早々からあって、その後を期待しちゃうスリリングな展開ではある。


2004-06-04 (Fri)

『戦争が遺したもの』

先日記した、鶴見俊輔・小熊英二・上野千鶴子『戦争が遺したもの』を一気に読了。座談だし、そのテンポが巧みなんで、すいすい読めた。ツルシュンは『転向研究』はもちろん、学生時代に筑摩から出た著作集も持っていて、一目置く老知識人なんだが、それまであまり本人の過去や戦争体験についてまで詮索することはなかった。だから、本書で語られている内容はそのほとんどがオレにとっては“秘話”である。小学生時代の母親から受けた折檻のトラウマや放蕩少年として培った“やくざ性”を思想の基点にすえるというのは、ある種の方法論的なスタイルであるにしても、きわめて興味深い。そういうふうな視点で彼の著述をいま読み直すと、別のことが見えてくるかもしれない。

小熊、上野という最適のインタビュアーを得たこともあるし、80歳を越えた本人も“寿命”を覚ることがあったのだろう。出てくる、出てくる、おもろい話が……。ただこの面白さってのは、戦間・戦後の日本思想史や左翼運動史をバックグラウンドにおかないと伝わらないかもしれないが。それにしても小熊英二って、えらい力業と繊細な分析力をもつ人ではあるなあ。あんまり分厚いんで、半分読んだところで中断したままの『〈民主〉と〈愛国〉』、再チャレンジしなくっちゃ。


2004-06-08 (Tue)

逢魔が時

Amazon中古市場で個人から購入したCD。パッケージはちゃんとあるんだが、肝心の中味がどこにも入ってないぜよ。あわててメールしたら数時間後に、「とんだ手違いで申し訳ございませんでした!」って。ま、たまにはこういうミスもあるだろうが……。しかし、謝りのメールの文章に「!」ってつけるかな、ふつう。女性名だったけれど、きっと若い人なんだろう。

じっと家に引きこもっていた月曜日だが、こういうときって、ネット通販の逢魔が刻。楽天のショップで秋田米を買ったり、コメを買ったからってわけじゃないけど、伊賀焼きのごはん鍋を買ったり……。いけない、いけない。


2004-06-10 (Thu)

ベリーニとかまどさん

昨日は、小渕沢の「リゾナーレ」というリゾートホテルで取材。設計プロデュースは、マリオ・ベリーニである。細部にわたってよくデザインされているわ。さすがあと感心。ただ、チェックインカウンターのところにある革製のソファは、そろそろ新しいものに変えた方がよいかも。カメラマンはなぜか、ジェフという豪州生まれ在日15年の外人さんだった。

先日購入した陶製の飯炊き釜「かまどさん」。たしかに美味いや。というか、これまでいかにメシを不味く炊いていたのか、ということがよくわかった。もう炊飯器、捨てたるわい。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ ばなな [なつかしい〜。昔の彼女と行ったことがあります。この前はスズキの軽自動車のCMでここが使われてましたね。]


2004-06-11 (Fri)

法則性

元北海道・沖縄開発庁長官で、名前に「男」がつくのは汚職等で逮捕される。阿部文男(共和汚職事件、逮捕時期92年)、鈴木宗男(いわゆるムネオ疑惑、02年)、稲垣実男(キャピタルインベスト事件、04年)。北海道・沖縄開発庁ってこういう不名誉の記憶ばかり残して消えてったなあ。なんか地元の役に立ったんだろうか。


2004-06-18 (Fri)

Euro2004

取材週間がいちおう一段落。昨日は金沢八景〜渋谷。「八景って、なにが8つなんですか」と同行のデザイナーに聞かれて口ごもる。神奈川方面は地理に疎いのじゃ。そんなかんだで昼間仕事をしているから、Euro2004をライブで観る時間がない。昨晩もB組イングランド×スイス戦を前半20分まで観てダウン。A組はギリシアの踏ん張りで、日曜のスペイン×ポルトガル戦が見逃せなくなってきた。スペイン勝利は、かなりの確率で開催国ポルトガルの敗退を意味するが、それもまた欧州蹴球シーンの新たな展開というべき。しかし、欧州の熱狂に比べると日本での人気はいま一つなのか、W杯のときに比べたら、町中での盛り上がり度がいま一つちゅー感じ。なんせ真夜中の放映だし、地上波ではあまりやらないし。


2004-06-21 (Mon)

スペイン×ポルトガル

Euro2004 A組第3戦。引き分けでもなんとかなるスペインと勝たないと開催国の面目丸つぶれのポルトガル。モチベーションはポルトガルが優っていたというべきか。一瞬も見逃せない激しくスピーディな高水準のサッカーを久しぶりに堪能。ヌーノ・ゴメスの一振りは健在だった。結局、地中海を渡ってきた強い東風(ギリシャ)で、スペインは振り落とされた。惜しいシュートはいくつかあったんだけれどなあ。それにしても、中盤をちんたら回して、とろっとしたセンタリングやシュートを入れる日本のサッカーとは、やはり十年の開きはある。

しかしこれからが佳境というのに、東芝のRDXS41が突然作動不能に。 HDD のコントロールが完全にいかれた感じ。まだ購入後3カ月だぜ。明日、出張修理に来てもらうが、こんなときにぃ、東芝のくそったれ。


2004-06-24 (Thu)

ネムイ

Euroのチェコ×ドイツ戦をナマで見てたしで、今日は、午後から仕事をしようと勝手に決め込んで午前中寝てたら、こういう日に限って電話が多い。「都営春日駅周辺によい物件がありまして」とマンションデベロッパー、「お車についてアンケートを」と世田谷のクルマのディーラー、あともう一件ぐらいセールス電話があった。それでも寝てたら、1カ月前の原稿について「ちょっと確認を」と編集H子、久しぶりの編集O氏が「iPod miniっていつ販売なの?」……。知るわけないじゃん。で、編集Nさんからの本日〆切原稿の催促電話で、もう耐えきれず起き出した。ネムイっす。

しかし、ドイツは最後まで覇気がなかったなあ。若手を投入した「実験試合」のチェコにも勝てない。最後のほうは焦りが濃厚だったし、ドイツ帝国の昔日の貫禄なし。ま、目覚めたオランダが決勝Tに進んだ方が、見る方としては面白いんではあるが……。

G街

そういや、思い出したけど、先週の金曜日は新宿・ゴールデン街で飲んでたんだな。高校闘争時代の1年上の先輩S口と20年ぶりに再開し、S木S平と一緒にまずは西口で飲んで、それからG街。高校の大先輩とかいう人が経営していた店らしいんだが、その人はもうお亡くなりになって、その連れ合いのおばさんが経営していた。マスターは物書きもしてたらしく、本を2冊、なんというか、同郷のよしみつーやつで購入。S口ってやつは、高校中退して大検とって、教員になり、いまは東北地方で現役の小学校教員にして日教組の活動家。波瀾万丈の人なんである。我らが「ハイスクール1972」の思い出から、死んじまった昔の仲間の話、石原慎太郎の教育ファシズム、昔の彼女がアルバイトしていた喫茶店の名前まで、まあ、昔話だけじゃなくて色々話したはずだけど、今となっては記憶曖昧魑魅魍魎。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 小林と申します。 [フリーのジャーナリストの小林と申します。現在、高校闘争について1冊の本にまとめております。いま、当時の生徒、教師など..]

_ ひろぽん [小林様 ここではなんですので、一度メールをいただければ幸いです。とりあえず、hiropon@hiroshige.j..]


2004-06-25 (Fri)

料理・植民地主義・フットボール

本場のポルトガル料理ってのは食べたことない。ただ、旧ポルトガル植民地のマカオ料理は何度か食べた。鶏もも肉が丸ごと入ったこってりとろみのシチューもあれば、オリーブオイルでソティしただけの鰺、日本人なら大根おろしにに醤油かけるともっといい、ってな素材を活かした料理もあって、なかなかにドラマティックな味が楽しめる。ポルトガル植民地主義が極東に残した最良の遺産であろう。

いっぽう、イギリス料理は評判が芳しくない。ちょうど4年前のこの時期、Euro2000開催真っ盛りの折りにロンドン、エジンバラを訪れたが、ロンドンの中華料理もイマイチだったし、スコットランドに至っては、これが遠来の客に出す代物かってな具合に、味付けが全然めちゃくちゃ。仕方なく食べたイタリアンもスパゲッティがのびきっていた。

それはスコティッシュであって、イングリッシュにあらずという言い訳も聞こえそうだが、ま、総じて料理の世界ではポルトガルの勝ち。さて、フットボールはいかに……。

PK戦の最後まで見終わって、前菜サラダから濃厚デザートまで、フルコースでおなか一杯。前半から手前サイドで繰り広げられるアシュリー・コールとクリスチャン・ロナウドのツバイカンプは見応えがあった。どっちかというとコールの勝ち。でも、ムキになって1対1を仕掛けるロナウドも、ほんと負けず嫌いの若者だな。

ポスティガのゴールでイコライズに持ち込んだポルトガルだが、スパーズファンとしては心境複雑なものがあったろう。何もここで決めてくれなくても……。

試合中ずっと、フィーゴ、吹かしてばっかじゃダメじゃんと嘆じていたが、これは後から登場するゴールデンエイジの僚友、ルイ・コスタのためのプレリュードであったのだ。

私の夢のお告げは、延長戦でポルトガルの勝ちを予測していたが、PK戦までもつれこむとは予想外。英雄エウゼビオがしきりにGKリカルドを激励し、そのリカルドがバッセルを止め(られるんじゃないかと予感がした)、最後はリカルド自身のキックで結着をつけるという、まあ、よくできた芝居のような大団円。

それにしてもあのとき、エウゼビオはリカルドに何を話したのか。今大会最大の興味だ。思えば、モザンビークの黒豹がポルトガルで活躍したのは、むろんそこがポルトガルの植民地だったから。誤解を恐れずにいえば、ポルトガルがアフリカ大陸植民地から獲得した最良の資産が、時を経て、宗主国の息子たちに精神的支柱を与え、迫り来る大英帝国の子孫たちをついにイベリア半島から突き落としたのだ。

植民地主義のパラドクスに思いをはせ、そしてなぜ大英帝国の料理は不味いのかを、しばし考える試合だった。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。