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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2004-02-06 (Fri)

阿弥陀堂だより

少し前の映画『阿弥陀堂だより』をWoWoWで観る。新人賞をもらったきり鳴かず飛ばずの小説家と、先端医療に取り組む女医の妻。妻がパニック症候群の病を得たのをきっかに東京での勤めをやめ、夫婦して夫の故郷である信州の村に帰ってくる。阿弥陀堂を守る老婆らとの触れあいを通して、癒されていく二人。

そこは実は大陸からの引き揚げ者らが戦後、爪に火を灯すようにして開拓した村であり、いまでは過疎化にともなう無医村化という厳しい現実を抱えているのだが、しかしそうした酷薄さよりも、強調されるのは人々のゆったりと心通うさまや、貧しいが精神的に豊かな暮らしぶりである。季節の風景はあくまでも日本的で美しく、川辺で花を摘むわらべらは「夕焼けこやけ」を唱いながら帰宅するという、まるでおとぎ話のような世界である。

同時にこれは死と再生の物語でもある。あるいはさまざまな治癒の過程の物語かもしれない。末期ガンの治療を拒絶して死んでいく、小説家の恩師がいて、まだうら若いのに喉の腫瘍で声のでなくなった美しい娘がいる。女医はその娘の手術にかかわることで、医師としての自信と、「心が死なない限りはそれは病に対する敗北ではない」という新しい患者観ともいうべきものを獲得するようになる。夫婦が一度失った子供、それがまるで恩師の生まれ変わりのようにして夫婦に再び宿ることを告げるラストシーン。阿弥陀堂を守る90歳を過ぎた老婆(北林谷栄が好演)は、実在のというよりは、そのような村人の生と死をつなぐ幽玄の世界に棲む住人であるのかもしれない。

あくまでもヒューマンな、そしてもしかするとすでに失われたかもしれない世界。しかし、たまにはこういう映画があってもいい。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。