ということで、新聞を読んだ記録として、印象に残った記事をピックアップ。
朝日11/30朝刊「まず出火を抑えて。消防研究所の室崎理事長警鐘」。三鷹にある消防研は昨年その研究所概要のパンフレット制作に参加したんで、なんか親しみがある。新しい理事長が取材されている。停電した電気ストーブなどが復旧後に発火する「通電火災」が怖いらしい。地震直後の電気の「自動回復」も、破損したケーブルから火花が飛ぶ危険が。「(東京も)30年あれば、システムとして安全な街づくりができるはず」と氏は語る。30年か。その前に、首都壊滅の危険も大。
2日(木)は、神戸製鋼の技監から、第3世代製鉄法のありがたいお話し。ありがたいというか、エンジニアリング畑の研究開発物語としてチョー面白い。
今日から中国。PB壊れているし、Windowsノートもかったるいしで、PC持参は止めにした。どうせ、土日もはさんで、平日は3日間だし。というわけで、しばし日記もお休み。
7日夜、北京より帰京。北京→昆明(飛行機3時間)→楚雄(バス5時間)→大姚(バス2時間)→昆明(バス)→北京(飛行機)と、移動の多い旅。しかも昆明→楚雄は高速道路とはいうものの工事中で大変な悪路。さらに赤土の露出した海抜2000mを越す山岳地帯を、バスは金切り声を上げながら登りつめる。なぜ人類はこんな険しい山の上まで住まねばならないのかと一瞬思う。しかし、電気が来ているぶん、このあたりはまだ辺境とは言い難い。はるか山を越えていけば、大理石発祥の大理、世界遺産の街・麗江、そしてシャングリラだ。少数民族(とはいえ人口は600万人)のイ族の女性が民族衣装で歓迎してくれ、苦蕎(にがそば)のパンを焼いてふるまってくれた。
中国旅行記はおいおいと書くとして、買い物記録。
・Olympus Voice-Trek DS-20 (ビックカメラ有楽町)
クレードルで充電できる、ステレオマイク内蔵のICレコーダー。オレはずっとオリンパス派で、これが4台目ぐらいか。DS-10 もまだ使えるが、充電型というのに惹かれた。むろん単4電池でも稼働可。ただ、クレードルと本機の接続端子がきつくて抜き差しにちょっと力が必要なのが△。付属ソフトの DSS Player もいきなりver.6 になっているのだが、アプリのファイルリストのウィンドウからファイルをDrag&Dropで他の場所にコピーできなくなっているのも△。録音可能時間はステレオSP録音で4時間半程度。これぐらいあれば、取材3件はカバーできる。さらに長時間録音したいときは、録音モードを落とせばいいのだし……。
・BUFFALO WZR-HP-G54。無線BBルーター(ビックカメラ有楽町)。
AirMacも、coregaのルーターも、ともに調子悪いので、試しに購入。設定は土日でも。
こうやって購入記録を書くと、それをウォッチしていて「お古を譲って」といってくる少年が最近いるな(笑)。
この買い物で昨夕、有楽町をふらふら歩いていたら、「めぐみさん遺骨はニセモノ」の産経の号外が。日本人の神経を逆なでするようなキムジョンイルも度し難くアホだとは思うが、しかし号外まで出して国民感情を煽る日本マスコミもいかがなものか。問題をバーター取引するわけではないけれども、かつて日帝植民地内外で踏みにじられ、損壊された朝鮮人の心身財産という問題を、すっかり忘れた、というより端からなかったことにする日本人の心性も、仰天ではある。
仕事のことで最近、キレることが多い。歳とともに我慢がなくなった。取材先企業の身勝手で日本語メチャクチャなまま原稿をイジられても平気な編集者とか、この手の仕事を仕切れずにすぐパニックになる頭の悪い編集者とか、原稿書いたのにギャラのこと含めて3カ月も音沙汰なしの制作担当者とか……。もう黙ってないからね。変なオジさんといわれても、キレるままに、そのままに怒るのだ、オレは。作文プロレタリアートの最低限のレジスタンス。
_ 洋平 [少年って、僕のこと!?(笑)また時間があったら、お家で「ジャンクあさり」させてくださいね(爆)。]
先の中国出張では出入りが北京だった。行きはトランジットのみ。帰りは、1泊して中国科学院系の研究所施設を訪問し記者会見。観光と呼べるものは翌朝2時間足らずだったが、天安門広場を車から眺め、紫禁城をショートカットで回る。ガイドさんが優秀で、紫禁城の構造建築物としての基本的な思想を手際よく解説してくれた。明・清朝の皇帝権力の集中度に度肝を抜かれる。いま日本の凸版が、紫禁城のデジタルアーカイブ化を進めており、そのプロジェクトチームは紫禁城の内部にオフィスを持っているのだとか。
初めての北京だったが、その歴史の厚みと、変化のプロセスに驚くことしきり。一歩郊外に出れば、砂埃のする広大な平野に、壮大なマンション群が蜃気楼のように浮かぶ。2008年五輪へ向けて建築ラッシュだというが、新規建設は2006年までで、後の2年で街区整備が進むという。今の内に見ておかないと古いものはなくなってしまうかも。というわけで、近いうちにあらためて北京を訪れようと誓う。
これまでメインのISPとして使っていた、KDDI のKCOMが各種サービスをDIONに統合することになった。メールアドレスは来年9月まで使えるが、その後はドメインそのものが廃止になる。数十におよぶMLやニュースサービスのアドレス変更が大変。ま、半年かけてじっくりやっていくしかないか。KCOM アドレスもいまや半分が spam (ほとんど海外から)。spam を放逐するよい機会だと思って、ゴミの山から多少は価値あるものを拾う作業を始めた。しかし、KCOMの代替の一つとして新設したばかりの DIONのアカウントにも早速「カニがいい?エビがいい?」とかいうアホなspamが舞い込んできた。メールアドレスというものが存在する限り、これはイタチごっこだなあ。
石原知事が「日韓併合の歴史を100%正当化するつもりは」なかったのはたしかだろう。ただ、99.99%ぐらい、いや少なくとも70%ぐらいは正当化したい人であったのもまた事実だ。「つもりはない」以降の発言で彼が何と言ったかを、新聞はあらためて書かなければならない。「日韓合併を100%正当化するつもりはないが、どちらかといえば彼ら(朝鮮人)の先祖の責任であって、植民地主義といっても、もっとも進んでいて人間的だった」。
日本帝国主義の朝鮮植民地支配が、どのように「人間的」であったか、石原は例証しなければならない。鉄道と工場を作り、臣民教育を施したのは果たして人間的な理由だったのか。帝国主義が植民地にインフラ投資するのは当然のことで、それは植民地のためというより「どちらかといえば」帝国主義の利益のためであることは、多少とも歴史を勉強した人なら当然の理解である。
少なくとも、日本天皇への拝礼を強いられ、目の前で妻を蹂躙・拷問され、自らも獄死した朝鮮人キリスト者がいた事実一つをもってしても、日韓併合は「人間的」と呼べるものではなかった。
そもそも、「人間的な」主権侵害、「人間的な」植民地支配などというものが、植民地主義者の妄想の中以外で、この世に存在したことなどあるのだろうか。歴史的事実として存在するのは、帝国主義の経済合理性とナショナリズムの政治的野望としての植民地支配であって、そこに「人間的」ななにものかが介在する余地など、ありゃしないのだ。
しかし、歴史評価にかかわる言葉をめぐる問題状況はさらに奇怪さを増している。前述の経緯からも植民地支配肯定論者あるいは責任転嫁論者であることが明らかな知事が、「100%正当化するつもりだ」と誤報したTBS報道を名誉棄損で訴え、それを警視庁が書類送検したという。「おいおい、それは立場が逆だろう」である。
自ら放火しておきながら、それを敵の所業とでっち上げて、弾圧に乗り出した、古くはローマ帝国の皇帝ネロ、新しくはヒットラーという故事がある(石原をそこまで持ち上げるのもなんだかだが)。そうした典型的なデマゴギーを見抜けず(あるいはそれに便乗して)、嬉嬉としてTBS批判に与する、ニッポンバンザイチャチャチャ主義者が多くて、ほんとに困るんだよ。
韓国/2003年/パク・チャヌク監督 チェ・ミンシク主演@シネマスクエア東急(☆☆☆☆/最高点は☆5つ)
チェ・ミンシクのものすごいパワーに圧倒され、見終わったあとシネスクのふかふかの席からしばし起きあがれなかった。タランティーノが絶賛したのもよくわかる、切ないまでの暴力性と、日本的情緒にも通じる「姉弟」「父娘」物語。しかし、こういうとなんだが、血の濃さが違うわ。こんな映画、最近の日本では撮れないかもなあ。
デンマーク/2003年/ラース・フォン・トリアー監督/ニコール・キッドマン主演/DVD(☆☆☆☆☆)
同監督の『奇跡の海』はへんてこな映画、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はいまいち感情移入できずにいたが、これは傑作。わかりやすさを心がけたせいかもしれない。反米というよりは、反「ブッシュのアメリカ」映画。政治的にはブッシュを支えるキリスト教右派、あるいは再道徳武装派への痛罵であることは明らかだからだ。しかし、それ以上に、これは反「ハリウッド・ムービー」の映画ともいえる。ハリウッド映画の甘いハッピーエンディング、偽善と似非ヒューマニズムで観客に媚びる手法への過激な挑戦だからだ。その闘争心はよし。けっしてコケ脅しではなく、「人間性」への理解は深いと思う。ニコール・キッドマンは『誘う女』に次ぐ快演。ただ、このストーリーこの結末ではアメリカでは商業的に成功しなかっただろうね。
韓国 カン・ウソク監督(DVD ☆☆/最高点☆5つ)
『オールド・ボーイ』の余波を受けた、最近の小さなわが韓流だが、この映画はダメ。なにがダメかずっと考えていたが、結局、北侵のために無人島で訓練されていた訓練兵たちの、それ以前のヤクザな生活が十分描かれていないのだ。唯一説明されるのは主人公(ソル・ギョング)の、共産主義者を父にもったが故に就職できずヤクザになったという履歴のみ。その“前史”の厚みがない分、映画全体が薄っぺらな活劇になってしまっている。最後の自爆シーンでは、名もない一人ひとりがバスの座席に自分の名を刻もうとするのだからこそ、彼らの個々の人生をもっと描き込むべきだった。
それに懲りず、韓国映画『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督)と、なぜか『コーカサスの虜』(セルゲイ・ボドロフ監督)を借りてくる。前者はN嬢推薦。週末にでも観ることにしよう。
ちょっと試した。悪くない。
GyazMailからのインポート(するわけではないが)のTIPSメモ。
メールボックスの移行:GyazMailでメールボックスごとUnix mbox形式で書き出す。書き出されたファイルを、~/Library/Thunderbird/Profiles/hogehoge.default/Mail/Local Folders/にそのまま移動。Thunderbird再起動で認識されるはず。Subject ヘッダがまれに文字化けするかも。
MacOS X の Address Book の移行: Address Book Exporter を使えとFAQに書いてある。 ただ私の環境では一度、TEXTファイルに書き出したのち文字コードをUTF8(改行はLF)にしないとうまくいかなかった。
DDIPのAir H"をPalm用などに使っているのだが、自宅がADSLや光だとH"のほうの基本料金が15%割引になる「A&B割」というのがあるのを今まで知らなかった。今日申し込んだら月額800円安くなるという。事業者が別なのになんで割引になるのかその仕組みがよく理解できないけれど、ま、いいか、っていうか、ずっと損してたな。
Air H"のカードを使いながら、Air H"Phone を追加すると、後者の基本料が半額になるというのも、この前ケータイ屋で初めて聞いた。そのケータイ屋いわく「PHSは通話エリアも広がって、新幹線でも切れないスよ。通話とメールだけなら、ケータイ止めて京ポンにした方が料金的にもずっとお得」。ずっとTu-Kaユーザーで、3Gにも行きたいけど、行ってどうするという思いもあった人なので、一瞬気持ちが揺らいだ。都内展開のときはいいんだろうが、地方に行ったときPHS、どうなんだろうなあ。
80年代後半の韓国。軍事独裁と警察署における拷問が日常化していた時期、ソウルという都市をひとつの起点にした近代化の波の外縁部に起きた猟奇殺人。セメント工場の黒ずくめの労働者たち、雨の日のラジオのDJ、韓国版学校の怪談、ソウルからやってきた刑事、アメリカに検体を送るDNA鑑定などの新しい意匠を織り交ぜながら、牧歌的な農村の暗い影のような部分が、よく描かれている。事件の猟奇性を孤立させるのではなく、それを韓国社会の変貌とからめて描いた手法は見事。ときおりディビッド・フィンチャーの『セブン』を彷彿とさせるのは、雨の日のシーンが多いからだろうが、しかし全体のトーンはさほど暗くはない。拷問シーン一つとっても、ユーモラスだ。ただ、俳優たちの笑いが苦悩に変わる瞬間、つまりは観客の哄笑が沈黙に変わる瞬間の、底深い演技力は秀逸だ。
原案になったトルストイの同名小説は読んでいないが、舞台は荒涼とした岩山と、イスラムの習俗が残るチェチェンである。しかし、チェチェン紛争の現実をリアルに描いているかというと、どうもそうではないらしい。そもそも、ロシア軍に捉えられた自分の息子と捕虜の交換交渉を、当の息子の親父が直接やるというのは、ちょっとあり得ない想定ではあるが、「報復するな」というテーゼの一つの寓話として観ればいいのだ。しかし、どうせ寓話として描くのなら、もう少し奇想天外性があってもよかった。全体としては凡庸さをぬぐえないが、しかし、映像の美しさ、少女の可愛らしさや兵士の純朴さに免じて、☆☆☆。
山下惣一の名は知っていたが、著作を読むのは初めて。農民的な語り口調で、彼が体験した戦後日本の農村の、解体と再生の物語を語っている。
アメリカの農作物輸出の片棒を担いで急速な農村解体を政策として進めた果てに、安全な食を失い、結局何を食べたらいいのかわからなくなった日本と日本人の哀れさ。この国では「国民に果たす農業の役割ばかりが強調され、国民が農業に何ができるかなど、たったの一度たりとも議論されたことはない」のだ。BSE、産地偽装などの問題が出るたびに、ざまあみろと叫ぶ筆者の気持ちはよくわかる。「日本農業とやらが滅びたって百姓は困りゃあはしません。どんな時代になっても…自分と家族が食べる分だけは作り続けるわけですからな。人さまの分をやめるだけですわい」という開き直りが、彼の舌鋒を鋭くさせる。
農業は本来循環型の地域完結型産業であって、国際競争や国際貿易あるいは経済構造改革などとはなじまない、とする筆者の立場。この論点は重要だが、もう少し精緻に考える必要はあると思う。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ kyo [どもです。鉄製法、現代のお話なんですね。 鉄製法というと、自動的に「たたら」とか「片目」とか「砂鉄」という言葉が浮ん..]
_ ひろぽん [どもども。その新しい製鉄法、古代の「たたら」に似ていなくもないとか。]