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ひろぽん小石川日乗

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

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「ひろぽんの南イタリア旅行記」はこちら。

2004-10-01 (Fri)

温泉2

1日、天童より帰京。天童温泉は大型旅館の廃業が相次いでいるという。温泉街にもシャッターを閉じた店舗が多く、けっして活気のある街ではない。バブル崩壊以降の長期凋落傾向。そのなかで頑張っているのが天童荘である。地元客は少なく、関東圏を中心にクチコミで客を呼ぶ。しっかりした数寄屋造りの建物に、茶の湯や京懐石の影響が濃い調度や料理。けっして華美ではなく、どちらかというと地味。同行した秋田出身のカメラマンによれば、「秋田の人の見栄っ張りに比べると、山形の人は質実」という県民性があるというが、その評はかなり当たっているかも。庭の眺めの地味さに慣れてくるころには、心も静かに落ち着く。画像の説明


2004-10-02 (Sat)

市原VS浦和

午後、温泉の写真が一部上がったので、カメラマンK氏と共に青山の出版社へ。打合わせは1時間ほどで終わる。天気がよかったので、ふと思い立って国立競技場へ。サッカー観戦にはもってこいの日和。市原vs浦和戦を当日券で観る。10月とは思えぬ暑さ。ビールをちびちびやりながらキックオフを待つ。市原って人気ないのかね、ホームゲームだというのに、スタジアムの過半数はレッズサポ。オレとしては別にどちらを応援したいわけでもないんで、中立地帯でのんびり観たかったんだが、周囲は赤色ユニフォームばかり。試合は0ー4、俗にいうチンチンにされたってやつ。アルバイが戻ってきて浦和のDFは安定。それにしてもひどすぎる市原の守備。

帰りがけ、成城石井でワインとチーズを買って、久しぶりの土日サッカーTV三昧へ。そういえば、成城石井って「牛角」の会社に買収されたんだってなあ。


2004-10-06 (Wed)

草津

月,火と温泉シリーズの最終日、強い雨のなか草津を代表する旅館Tに。離れ部屋の和風モダンのしつらえ、仲居さんのフレンドリーかつテキパキとした対応、深い林に抱かれるようにして入る露天風呂、なにより若い頃はさぞかしとイメージがふくらむ女将の話術が素晴らしい。ただ、料理の質となると言われているほどではないかも。この10日間で我々の舌が、妙に肥えちまったのか。

草津ってたぶん初めて。「湯畑」のツンとした硫黄臭とモウモウたる湯煙が、それなりの風情。画像の説明


2004-10-08 (Fri)

大人の映画

木曜日は正常運転というより、少しのんびり。未明に映画『幸せになるためのイタリア語講座』をDVDで観る。素晴らしい!


2004-10-09 (Sat)

鹿児島

8日は某サッカー団体の仕事で日帰り鹿児島出張。取材後、市内在住のM氏とミニオフ。鹿児島中央駅(元西鹿児島駅)は再開発で小綺麗な駅ビルに変わっていた。なんと屋上に桜島を展望する観覧車まで回っている。駅ビルの名前が「アミュプラザ」なんで、観覧車も「アミュラン」とはこれいかに(笑)。遠く霧島も望める。あいにく曇り空だったが、晴れていればさぞかし雄大な眺めだったろう。駅ビル地下にある焼酎専門コーナーの一角がショットバーになっていて、焼酎を立ち飲みできる。M氏お薦めの串木野・浜田酒造の『海童』というのを一杯呑み、それと薩摩揚げをお土産に最終便で帰京。関東への台風上陸との遭遇はなんとか避けられた。


2004-10-14 (Thu)

アジア1次予選突破

オマーン戦、僅差ではあったが、堅い勝ちっぷり。ジーコのチームはたしかに良くなっている。俊輔もアジアでは全然当たり負けしなくなった。この試合いちばんエキサイトしてたのは、鈴木通訳(笑)。

それにしても、フジ系、青島+風間の実況は、AFCユースのテレ朝の“アホの松木”の実況に比べると、なんと大人っぽいこと。ま、これが当たり前でテレ朝のレベルが低すぎるんだけれどサ。

大分出張

サッカーを観た後、ゲラをチェックして、ゲラ確認のための郵送準備をして、そうこうするうちに朝になってほとんど寝ないままに、大分出張。空港からホバークラフトで大分市内へ。取材はものの1時間、すぐに逆ルートで東京に戻り、17時から取材を1件。かなりくたびれたが腹も減ったので、一文で軽く一杯。T氏と教育問題を語る。


2004-10-15 (Fri)

電話

夜の7時頃、電話が鳴って、いきなり頭悪そうな若い女の声で「リュウキさんいますカア」。たしかにワシの名前はそうも発音できる。こりゃ、どこぞから流出した漢字だけの名簿を見てかけている何かの勧誘電話だな。「そんな人はいません」と答えたら、「いないってどういうことですカア。そんな嫌がんないでくださいヨオ」ときた。これがいやしくも何事が人にものを頼んだり、売りつけたりする手合いの使う言葉遣いかよ。「おまえ、アホか!」と一喝して電話を切るが、その後2、3度しつこくかけてくる。今度は電話に出ず無視したが。ああ、気分悪い。こういう連中と接触するたびに、早く更生してまともな人生歩んで下さいとお願いしたくなる。


2004-10-18 (Mon)

COREDO

日曜日は夕方から日本橋のCOREDOへ。LOUIS GARNEAUの自転車を購入するという近所の人につきあって。1階にLOUIS GARNEAUを多数揃えた自転車ショップがあるのをこの前発見したのだ。晩飯は中華「維新号」では上海蟹をやっていたが、高そうなのでパス。伊達鶏を食わす「てん」(漢字は充填の填がサンズイ」の鶏が美味しかった。飲み足らずに4人で神楽坂のバー。深夜1時過ぎそこから歩いて小石川へ戻る。

で、月曜日中はオレの自転車を小道具に使って、B誌の記事の撮影。ポカポカ陽気の皇居前あたりにて。夜は元Jリーガーに電話取材など。


2004-10-19 (Tue)

テープ起こしが

会議発言ディクテーションソフト、おお、ついに出来ますか。PC用20万円以内だったら買う。

2004-10-22 (Fri)

米倉涼子

銀座5丁目あたりの朝11時過ぎ。ロケバスからぞろぞろと降りる撮影スタッフ。何事かと思って眺めていると、白いキモノの美女が降り立ち、銀座のクラブなどの物件仲介で知られた不動産屋に颯爽と入っていった。目の前、15cmのところで遭遇したのは、米倉涼子ご本人。テレ朝、松本清張サスペンス「黒革の手帖」のロケですな。ふーん、やっぱ銀座でロケするんだ。

実際に観ると、さすがすこぶるつきの美人ではありましたが、すっかり役どころに没入しているのか、奇妙にツンツンしておりました。ワシはどっちかというと釈由美子を観たかったなあ。


2004-10-25 (Mon)

ボウリングなど

まとめ書き。22日(金)は午前新橋で取材、夕方から埼玉で女子サッカー監督取材。Lリーグ(最近、なでしこリーグとも呼ぶそうだ)で現在トップを走るチーム。選手らはみんな速いし、上手いし、男の子みたい。24日(日)は夕方から近所の人たちと後楽園でボウリング。7、8年ぶりかなあ。5ゲームやって踏み込み脚の尻の肉が痛くなった。その後、富坂の「まるや」で呑む。仕事せねばと思いつつ。

本日は朝1件JETROで取材、その後Nさんとランチ。日曜の朝日の書評欄で某梅森のベストセラーが、永江朗にこてんこてんにバカにされていて、それ読んで溜飲が下がったという話など。午後1件打合わせ。銀座・旭屋書店で仕事の資料本などを買い込んで帰宅。ライターI氏から今朝方メールがあって、チェチェンについて月刊プレイボーイにルポを発表したというので、それも購入。

これから数日間は家にこもって原稿書きだ。


2004-10-26 (Tue)

プラスチックマネー

クレジットカードはわりと使う方だと思う。海外ショッピング、高額の買い物、ネット通販はむろんのこと、近所のスーパーで980円の買い物するときも、ほとんどノンサインのカード決済だし。

言われるままに各種ショップの提携カードなども何枚も作ったりした。なかにはそのうち使わなくなり、たかだか2000円前後とはいえ、年会費だけしっかり取られ続けているのもあることは知っていた。特典ポイントが分散するし、管理が面倒だし、全然いいことがない。というわけで思い立ってそのうちの1枚、オンライン書店のbk1/JCBカードを退会した。念のため、支払明細をネットで検索していたら、Yahoo!ウォレットから定期的に引き落とされる1,890円ってなんだ? ああ、そうか、新聞記事の有料検索サービスか。これもカネ取られるばかりで、全然使ってなかったなあ。実にもったいない。

以前、練馬に住んでいたとき近所のスーパーで作ったNICOS/VSAの1枚も捨てることに。考えてみるとこの4年まったく使用実績なし。でも年会費だけは取られていた。で、NICOSに電話すると、8月にすでに次の1年分の年会費徴収しました。サービスポイントをつけるから、退会はしばらくお待ちを、だって。ウーン、面倒だけど、その200ポイントに惹かれてしばし継続することに。で、きっとまた来年まで忘れているんだろうなあ。

私のような支払を管理できない、プラスチックマネーに基本的に弱いヒトが、カード・信販業界を底辺で支えているのであろう。

『事典 現代のアメリカ』

『事典 現代のアメリカ』(大修館書店)が届く。なんで1万6000円もする、こんなたいそうな本を買う気になったかというと、遠因は9.11テロかもしれない。アルカイダもわからんが、アメリカという国ももっとわからなくなった。むろん、日本について知りうることだってほんのわずかなんだけれども……。 戦後日本人にとってはアメリカは、ひきはがすことのできない影のようなものだが、その影を意識せざるを得ないことが最近増えてきた。とりあえずは、知っているようで知らないアメリカ文化史のおさらいをばと、『概説 アメリカ文化史』(ミネルヴァ書房)を読んだら意外と面白かったんで、さらに詳しい事典のようなものがあるといいなと思っていたところに、ちょうど本書が登場したという次第。 CD-ROM付きで、Macだと Jamming を使って全文サーチできるのも魅力だ。さっそく「ポカホンタス」だとか「ストーンウォール暴動」だとか、いろいろと引いてハマっている。

2004-10-28 (Thu)

新潟中越地震のテレビ報道

新潟中越地震の崖崩れで埋まった車中から親子三人救出のTV生中継。昨日はつい何時間も見てしまった。3人の心音が感知されたというし、母親からは声の反応もあったというから、これは生きているぞ、奇跡の救出劇!と期待が高まるのは当然。危険を顧みず手で岩を取り除くレスキュー部隊、余震でカメラが揺れ、そのたびに作業は中断される。ぐずぐずしていると大岩が落ちてくるかもしれない、そうでなくとも余命は風前の灯火のはず、早く救出を!……あえて不謹慎にいえば最高のドキュメンタリーである。テレビが特番を組むのもわかる。そして2歳の男の子が助け出された瞬間は感動的だった。

しかし、結果的に母親は崩落時点で即死だった可能性が高いという。陸自の医官が脈をとった段階でそれはわかっていたはずだが、それがレスキューの指揮所まで伝わらなかったか、広報官からマスコミに発表するときに混乱があったのか。TVクルーは対岸やヘリから超望遠カメラや暗視カメラで救出現場を映し出すが、現場の生の声までは拾えない。レスキュー部隊の一挙手一投足に、願望を交えたコメントをつけるだけである。結果的に、TVは途中まで誤まった情報を流し続け、母が子をかばったと感動のドラマに仕立て上げ、視聴者を振り回し、そして視聴者もそれに便乗した。TVメディアの悪しき劇場性を、私も含めた視聴者は「楽しんだ」。なぜか虚しい。

義援金

災害義援金なんて、めったに出したことないんだけれど。十日町で知人が頑張っているし、やはり昨日の救出劇というか、車を覆う土砂のすごさにあらためてこれは尋常ではないと気づいたので、昼間、郵便局に行って日赤新潟宛に振り込んできた。

ネットでもクレジットカードで送金できるこんな方法もある。


2004-10-30 (Sat)

アル・ペッシェ

金曜日は久しぶりにHとアル・ペッシェ・ドーロ。ポルチーノ茸のスープ、手長海老のソースのパッパルデッレが絶妙に旨かった。ワインはトスカーノの白のちょっと高いやつ。でも、飲み過ぎるとときどきそうなる、洟ぐじゅ状態に。ここんとこそういう状態になるのは珍しかったのだが、気温、体調、もろもろが作用しているのだろう。来週からは11月のメニューに変わる。


2004-10-31 (Sun)

アメリカ帰り

NYメッツの松井稼頭央番のカメラをやっていたYが帰国。しばらくウチに寄宿している。今日は一文に連れて行った。アメリカで仕事をして、成長した部分もあるが、英語力は期待ほどではない。いまいちだんの奮起が必要。しかし、その思い切りの良さには敬服。俺も、そういうチャンスがこれまでないではなかったのだが……。


この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。