■中野美代子『あたまの漂流』岩波書店
中国文学者にて「西遊記」研究で知られる著者の高名は以前から知っていたが、著
作を読むのは初めて。力を抜いたエッセイ集だが、江戸期日本人の漂流奇譚から筆
を起こし、ときにインド洋の女人島、マルコポーロ時代の欧州人の中国旅行記、シ
ャングリラ伝説、キャプテン・クックの冒険へと、まさにあてどなく「漂流」する
ごとく、古今東西の摩訶不思議に筆を延ばす。その好奇心は、ときに地理的制約を
逸脱し、「ハンプトンの王座」や「シュヴァルの理想宮」といった、奇人たちの脳
内理想郷をも経巡り、ふたたび現実世界へ戻ってくる。著者はすでに北大を定官し
ているらしいが、もし中国文学の授業の合間にこの本にあるような話題を語ってく
れたのであれば、その講義はけっして飽きるということがなかったろう。ぜひ聴講
したかったものだ。採り上げた古今の人物たちに対する著者の優しさと愛おしさは、
不思議に温かい読後感をもたらしてくれた。
■中野美代子『肉麻図譜??中国春画論序説』作品社(叢書メラヴィリア)
『あたまの漂流』にオレもそうとう刺激されたらしい。中国文学や中国文化にはほ
とんど関心がなかったのに、そのオーソリティの多少とも学問的な著作に食指が動
き、しばしその世界で流離うことになってしまったのだから。
「肉麻(ろうまあ)」とは、中国語で「むずむずする」。つまり「エッチな気分」
ということ。中国近世・近代の春画を、豪華な写真と共に、ことこまかに分析した、
これは最近まれにみる奇書というべきだろう。日本の春画(浮世絵)に比べて、
中国春画ではなぜ性器がデフォルメされずに描かれているのか? 中国春画世界に
おいて、ブランコのもつシンボリックな意味は?……んなことは、今のオレにとっ
てどうでもいいのことなのだが、この人の筆にかかると、そのどうでもよさが、た
まらなく楽しい。真面目な話でいえば、仙人画などに見られる中国絵画の
構成とその世界観については、初めて知るところだったが、それをもう少し詳しく
知るには別著『仙界とポルノグラフィー』(河出文庫)を読むほかないようだ。
中国現代画を勉強していたTさんと、もし再び会う機会があったら、この本の話を
しよう。それにしても、作品社の「叢書メラヴィリア」、目録を読んでいるだけで
目の眩みそうなラインナップだ。
■星野博美『銭湯の女神』文藝春秋
前回、『転がる香港に苔は生えない』のことを書いたが、これはその大宅賞受賞第
一作のエッセイ集。「転がる香港」とはいま考えれば、一つの固定的システムへの
定住と安定と同化を望まぬ著者の生き方の謂いであったのかもしれない。香港から
東京に戻ってきてからの暮らしの「異和感」を、その貧乏暮らしの風景とともに綴
るのだが、人々からときに「性別不詳、国籍不詳、年齢不詳」とみられる著者の、
逆にその正体不明者の視点で日本という国、社会を「異化」しようという試みには
少なからず同感する。なかでも重要だと思われ、全体に一貫して流れるのは、彼女
のなかのジェンダーという<国境>への異和感だろう。ただ、それを生半可に理論
化はせず、日常の機微のなかでの発見として語るところに著者の文章の妙味がある。
■太田昌国『「拉致」異論--あふれ出る「日本人の物語」から離れて』太田出版
これは、大阪に住む中学時代来の友人との、私的読書会の第一回課題図書として私
が挙げた本。拉致問題以降(実はそれ以前からあったが)、社会にあふれでた民族
排外主義的な言説への批判本とも読めるが、それ以上に、左翼・新左翼の「拉致」
「民族問題」認識に対する痛切な自己批判の書という側面が重要である。紙幅も十
分ではなく、まだ十分に議論を深めているとは言い難いが、それでも「佐藤勝巳」
(救う会会長)の「転向」に沿いながら、日本の戦後左翼、ということは戦後日本
人のいくらかの部分が、いまだ脱し切れていない「植民地主義的思考」の陥穽をつ
いている。
もちろん、左翼がこうした体たらくであるのなら、右翼・保守においておや、であ
る。歴史家ランケの「時代精神」論を援用しながら、「過去の問題を現在の視点で
裁断するのは間違っている」と語る歴史修正主義者が、「新しい歴史教科書」論争
以降、それこそ巷のちんぴら保守も含めて、今この社会には無数に溢れているが、
それに対する太田の批判は鋭い。
「植民地主義は当時の時代精神であった」などと平気でのたまう神谷不二らに対し
て、
「(彼らの)口を大きくこじ開けて、答えさせたいものだ。「時代精神」なる
ものや「自己を拡大し誇張するのは当然であるという感覚」は、いつからいつ
までの時代に、世界のどこの地域に、いかなる原理によって、通用したものな
のか、と。……もし世界の一部地域にそれを謳歌する者がいて、その反対の極
には、その一部地域の者たちが謳歌した「時代精神」や「当然であるという感
覚」の犠牲にさらされた者がいた場合に、後世における歴史の総括はいかにな
されるべきなのか」(P.103)
と、太田は問う。
いうまでもなく、歴史修正主義者にとって「時代精神」は、ご都合主義的にしか使
われていないのだ。歴史における「時代精神」をもってくるのなら、当時の被植民
地地域における「反日・反帝国主義」もまた時代精神の一つであったことを認めな
ければならないのは当然のことである。
それにしても大阪のHは、この本の全体に流れるある種の「なさけなさ」という痛
切な感覚を共有してくれるだろうか。戦後の左翼・新左翼のなさけなさは、もちろ
ん右翼・保守のなさけなさと通底するものだが、それを超えていく回路をめざした
人々(かつての私も含めて)には、拉致以降の日本の言論は、なさけなさを超えて
して、かなり深刻な事態に立ち至っているようにみえることを。
_ 長官 [まだダメでしょうか(^^;]
「利用者はルールを自ら形成しなくてはならないのに、現状はネットの匿名性に隠れ、やりたい放題となっている。利用者がその実態を直視しなければ、規制しか対抗手段はないと言える」という田島泰彦・上智大教授のコメントだが、「利用者がその実態を直視し」というところがまずはポイントだろう。しかし、現在の2ちゃんねる大衆に、そんな覚醒を期待するなど、はたして可能だろうか。理性への目覚めなどとは無縁の、潜在意識がそのままキーボードを介してぶちまけられているのが、現状の2ちゃんねるではないのか。
「清水さんが所属する麻雀店のホームページ上の掲示板にも同様の書き込みが10万件以上」というから、凄まじい。
ひろゆきは「掲示板管理人から金を取ろうとした裁判なので、清水さんを知らない一般ユーザーからも反感を買ったため」と言うのだが、これではまるで「石投げられたのは、あんたが訴訟なんか起こしたからだよ」というに等しいではないか。
田島教授のいう「規制」が何を意味するか不明だし、実際にネット掲示板の一切を実効的に規制することは困難だろう。しかし、だからといって、そのまま放置というわけにもいかないだろう、現に被害者が出ているわけだからなあ。
しかし、Mentor っていってもなあ。そういうこと理論化するのがアメリカらしいけど、そんな簡単にはいきませんって。
_ 長官 [こびと1号です(わら]
午前中の打合わせから戻ってきたら、ちょうど昼時だったんで、後楽園ラクーアの「ババガンプ・シュリンプ・トーキョー」へ。週末だと混んでてとても入れないから。ものは試しとばかり。
映画「フォレスト・ガンプ」をイメージしたアメリカン・レストラン。店の中のデコレーションや、ブリキのプレートでウェイトレスを呼ぶギミックは楽しい。
シュリンプってんだから、メニューはエビが主力。マヒマヒ(白身魚)とエビのココナツクリームソースみたいなのを頼む。まずくはないが、1780円の価値はないなあ。もう少しボリュームを落としてせいぜい1300円ってとこか。まあ、ランチのサラリーマン・OL向けじゃなく、観光客向けだから仕方がないけれども。
“RUN FORREST RUN”と大書されたブリキ・プレートが気に入ったので、オミヤゲに購入。これも1200円はちょっと高かったが。
パントマイムの大道芸人さんへのインタビューをまとめる。大道芸は芸術か否かなんてことより、聴衆を惹きつける彼の巧みなノウハウは、面白かった。
ってのになぜか行くハメに。ラクウェル・ウエルチ(古いなあ)似のグラマラスな美人や、もう付けまつげが10cmはあろうかという奇怪なヒトや、あれ、これはマジに女の人じゃない?というスレンダーな美女やら、なんかとっても漫画的な世界で2時間。えーと、仕事の打合わせのはずだったんだけれど、何をどうすりゃいいのか、全然覚えてないぜよ。後でメールよろしく>Uさん
_ ひろぽん [Webマガジンの記事です。アップされたらurlお知らせします。]
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2003.08.21朝日新聞朝刊・私の視点「外来語言い換え カタカナの利点忘れるな」(国立民族学博物館教授・出口正之)。
国立国語研究所が「データベース」を「情報集積体」、「ノーマライゼーション」を「等生化」などと言い換える試案を発表したことに触れて。「(カタカナ表記は)異なる言語圏の接点を明示的に表現できる優れた特質」と評価したうえで、「外来語には、その言葉を定着させようとする人々の様々な努力が集約されている。安易に外来語を使用しているという国語研の主張は、こうした現場の努力を無視する態度」と批判している。「ノーマライゼーション」も少しずつ浸透してきたのに、「上から『等生化』という語を広めたら、その努力が水泡に帰してしまう」と。
これはよくわかる。「データベース」もたしかに「情報集積体」という意味ではあるが、こう言い換えられてしまったら、なんかピンと来ないというぐらいには、すでに浸透した言葉なのだ。
しかし、ふだん文章を書く立場に立つと、「もっといい訳語はないものか」と思う瞬間は多い。たとえば「コア・コンピタンス」とか「フィジビリティスタディ」とか「モニタリングシステム」とか。字数を稼がないといけないときは、こういうナマの外来語表記は重宝するが、限られた字数で収めないといけないときは、苦労する。結局、適当な訳語をでっち上げてお茶を濁しているというのが実情ではある。
坂の下の角っこにタバコやコーヒーの自販機があって、昼間はそこでタバコを買うことが多い。ところが、この自販機、しょっちゅう売り切れだったり、コインが入らなかったり、一度などお釣りがちゃんと出てこないことがあった。
今日の午後にちょっとした事件。270円分コインを投入してもウンともスンとも。足りないのかと思って財布をみたら500円玉しかない。それを投入したら今度は全品売り切れランプが点灯。あれ、と思って返却レバーを押しても、全くコインが戻ってこない。
頭に来て、自販機を何度かこづいたが、人通りもあるので、いったん退散。自販機の下に管理者の電話番号が貼ってあったので、電話するも不在。だいたいこの自販機を設置している角の家は、以前はタバコ屋だったのかもしれないが、オレが引っ越ししてきて以来ずっとシャッターは閉まったまま。人は住んでいるようだが、マメに自販機をメンテナンスしているふうではない。
憤懣やるかたない気持ちで、「お金返して」という趣旨の手紙を書いて、その家のポストに投函。もちろんちゃんと丁寧に、常識をわきまえた文章にはしたものの、内心は怒り狂っている。
こちらの連絡先も書いておいたら、7時ごろになって、その家の女性が大変恐縮したそぶりで、うちのマンションまでやってきた。770円の返金とお詫びのしるしにと、洗剤一箱。コインを流す内部のメカニズムを、今朝は誤って設定してしまった、それが原因とか。ってことは、オレ以外にも被害者がいるのではないか。
なんでもつい先日、バールで機械をこじ開け、小銭を盗み出す自販機強盗の被害にあったらしい。最近この街一帯でそういう事件が増えているとか。しかし、夜道でもそんなに人寂しいところじゃなくて、大きなマンションが目の前にあるような所なんだけどなあ。
それにしても、あのとき、もっとガンガン自販機をこづき回していたら、危うく警察に通報されるところだったかもしれない。そうでなくても、自販機は、私にとっては「鬼門」なのだからして。
たとえば、ジュビロからオランダ・エールディビジ・ユトレヒトに移籍の藤田。今節はフル出場で、ゴールの起点になったというニュースはあるのに、テレビの実況・録画放送はない。
オランダリーグはスカパーが放映しているが、PSV、アヤックス、フェイエノールトが中心で、ユトレヒト・ホームの放映権は買ってなかった。今ごろきっと交渉中で、もしかして数ヶ月先には放映されるようになるかもしれないが、そのころ藤田がスタメンを確保している保証はどこにもない。間の悪いことに、フェイエの小野はケガで休養中。藤田が見れれば、スカパーの高い KINGDOM セットも元は取れたのに、と残念がるのは私だけか。
フランス・リーグアン・モンペリエの広山についても同様。スカパーの放映は、リヨン、モナコ、マルセイユ、ボルドーの上位チームのホームゲームが中心。昨季16位のモンペリエなんて、シーズンスタート前に購入しておけ、ってのが無理な話だろう。しかし、第2節、アウェイでのボルドー戦は広山を観る絶好の機会だったのに、なぜかこのときボルドー戦の放映はナシ。微妙にタイミングを外しているのだなあ。
鈴木隆行が移籍したゲンク戦をすかさず放映したスカパーも、鹿島に戻ったら放映ナシ、と思ったら、再びゾルダー移籍で、慌てているに違いない。選手の移籍は直前まで予想が難しく、放映権ビジネスもそれをリアルタイムで追いかけるのは無理というもの。スカパーの番宣・購入担当者の悩ましさはいかばかりか。
放映権はシーズン通しの契約。かつてナカタがシーズン途中でローマに移籍した後も、スカパーはえんえんペルージャ戦を放映せざるをえなかった。もちろん、ペルージャというチームが好きになりかけていた私にはそれはそれで良かったのだけれども、スカパー担当者の「ちぇっ」という舌打ちが聞こえるようではある。
例年の残暑程度には暑いところを、2時過ぎから外出。品川インターシティあたりは新幹線開業準備が進む。
取材の後、京浜東北線に揺られたままアキバへ。SONYの「Cocoon」をチェックに。欧州蹴球シーズンが始まってスカパー録画が増えそうなので、いよいよHDD/DVDレコーダー購入を検討中。CSV-P500 は現在のうちのCSチューナーにも対応していることを確認。ただ、この機種はDVDなど外部記録ができない。まさに「録る、観る、捨てる」に特化しないと。ネットBBSを見ていると画質が悪いらしい。「悪い」ってどの程度なんだろう。
最近全然汗をかいてないから少し歩こうと、秋葉原→湯島→本郷界隈を坂を上り下りしながら散歩。途中、真砂坂下の「伸寿司」というところで一杯。二代目の若い板前が丁寧に仕事をしていた。ただ、月曜日ということもあり、ネタが少なかったのが残念。中生ジョッキ1、日本酒3本、つまみ、あと適当にいくつか握ってもらって7000円ちょっと。
後楽園ドームホテルは、最初修学旅行生を取らないという地元との約束で開業したのに、すぐにそれを反故にした。だもので、本郷あたりの修学旅行向けの古い旅館は壊滅といった話など。ジェットコースターの絶叫騒音といい、地元の人から嫌われてちゃなあ。
この日記を読む人で、デルのコンピュータなんて使っている人はいないだろう。デル・コンピュータの会長マイケル・デル。私はこの人が大嫌いだ。だいたい顔が嫌いである。こういうと差別になるけど、アメリカの典型的な田舎者の顔。知性のひらめきの一片さえ、そこからは感じられない。
かつてアップルが苦況に陥っていたとき、この人はこう言った。「いまどきアップルのような会社が存在すること自体が不思議だ」。これに対して、スティーブン・ジョブズが皮肉をこめて反論したはずだが、その詳細は忘れてしまった。
今日の日経新聞にデルのインタビューが出ていた。
「当社の研究開発費は年間約5億ドルだが、MS、インテル、オラクルなど他社が開発した優れた技術を活用することで、実質的に500億ドルの研究開発費を自社製品に投じている。テコの原理だ」
ん? 要は人が苦労して開発した標準技術を利用して、儲けるだけの会社なのか。「研究開発は顧客や株主に価値をもたらすためのもので、決して『面白いからやってみよう』というものではない」とまで言い切っている。つまらん会社だ。この会社に万が一、研究開発部というものがあるとすれば、そこで働くエンジニアは不幸だろう。
もちろんデルはものすごく儲かっている。なんせ売上高に対する研究開発費の比率は1%しかないというのだから。でも、技術の歴史には残らない。コンピュータを、コンビニのアイスクリームと同じようにした人という意味では、記憶されるかもしれないけれど。
この日記について、筆者は必ずしも内容の信憑性を保証するものではありません。あしからず。
_ Zephyros [ほほぉ,ツッコミを入れられるようになりましたか。]